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北海道開拓の村 ~その6~

「北海道開拓の村」に移築・復元された歴史的建造物の紹介
第6回

旧武岡商店

旧徳島藩の家老稲田邦植に従い 
1871(明治4)年に淡路島から静内郡に移住
1882(明治15)年から米穀・雑貨・荒物などを扱った
本格的な店舗兼住宅を新築し 1901(明治31)年には郵便局を開設
この地方の商業発展に貢献した

旧所在地 新ひだか町東静内
建築年代 1898(明治31)年
復元年  1983(昭和58)年

旧武岡商店1
(旧武岡商店)


旧大石三省堂支店

札幌で修業した大石泰三(菓子職人)が1925(大正14)年に帯広町の繁華街に店舗を求め
菓子の製造販売を始めた建物
切妻平入で店舗兼住宅 それに併設した工場を再現

旧所在地 帯広市東2条南5丁目
建築年代 1907(明治40)年頃
復元年  1986(昭和61)年

旧大石三省堂支店1
(旧大石三省堂支店)

旧太田装蹄所

札幌から江別に通じる道路(現在の国道12号線)沿いで1924(大正13)年から1945(昭和20)年まで営業していた装蹄所
装蹄所は当時馬が物資の運搬や農耕の主役であり 何処の町にも欠かせない職種であった

旧所在地 札幌市中央区北1条東11丁目
建築年代 大正初期
復元年  1990(平成2)年

旧太田装蹄所1
(旧太田装蹄所)


旧藤原車橇製作所

1898(明治31)年兵庫県出身の宮大工工藤信吉が深川に入植
1903(明治36)年に妹背牛で車橇製造を開始 
以後3代にわたり営業を続けた
開業以来使われた車橇製作所を再現したもの

旧所在地 妹背牛町本町
建築年代 1903(明治36)年
復元年  1986(昭和61)年

旧藤原車橇製作所1-1
(旧藤原車橇製作所)

kyuu藤原車橇製作所4-1
(旧藤原車橇製作所 内部の様子)


旧本庄鉄工所

1925(大正14)年から昭和50年代まで使用されていた本庄鉄工所
この鉄工場は明治30年代から2代にわたり営業
石狩川河口の旧市街で漁具や漁船の付属品 農具などを製作していた
開拓地には欠かせない鍛冶屋であった

旧所在地 石狩市親船12
建築年代 1897(明治30)年頃
復元年  1985(昭和60)年

旧本庄鉄工場1
(旧本庄鉄工所)

*写真は2月17日に撮影したもので 建物および周辺は雪で覆われていた
現在は雪もかなり少なくなっているものと思われる

次回に続く


北海道開拓の村 ~その5~

「北海道開拓の村」に移築・復元された歴史的建造物の紹介
第5回

旧北海中学校

1908(明治41)年から翌年に建設された旧北海中学校の本館部分
創立は1905(明治38)年で前身は1885(明治18)年に設立した私立北海英語学校

旧所在地 札幌市豊平区旭町8丁目
建築年代 1909(明治42)年
復元年  1982(昭和57)年

旧北海中学校1-1
(旧北海中学校)


旧島歌郵便局

北海道で近代郵便の取り扱いが始まったのが1872(明治5)年
現瀬棚町に島歌郵便局が1886(明治19)年に設置された

旧所在地 瀬棚町北島歌
建築年代 1902(明治35)年
復元年  1985(昭和60)年

旧島歌郵便局1-1
(旧島歌郵便局 今ではほとんど見られなくなった赤いポストがある)


旧山本理髪店

大正期の洋風建築の特徴を表す切妻屋根 玄関の雨よけアーチが理髪業とよくなじんでいる
北海道神宮裏参道沿いの「床屋さん」として親しまれてきたようだ

旧所在地 札幌市中央区南1条西24丁目
建築年代 大正末期
復元年  1987(昭和62)年

旧山本理髪店1-1
(旧山本理髪店)


旧渡辺商店

中頓別は明治30年代に砂金堀りで賑わい 1916(大正5)年の鉄道開通後は交通の要所として発達
この建築物は中頓別市街地の建てられた雑貨店

漆喰仕上げの土蔵造は石造やレンガ造とともに耐火・耐寒を目的とした構造で 北海道では珍しい建物

旧所在地 中頓別町字中頓別
建築年代 大正前期
復元年  1989(昭和元)年

旧渡辺商店1-1
(旧渡辺商店 漆喰仕上げの土蔵造)


旧龍雲寺

北海道開拓期の農村では村が開かれると まず開拓者のよりどころとして寺社が建立された
寺はある時は学校で 託児所であり村の集会所でもあった

1886(明治19)年に創建された篠路山龍雲寺はこのように開拓の歴史を物語る寺である

龍雲寺1-1
(浄土宗 旧龍雲寺)

龍雲寺2-1
(浄土宗 旧龍雲寺)


旧浦河公会会堂

1880(明治13)年神戸で北海道開拓会社「赤心社」が設立し 
翌14年から浦河の西舎村や荻伏村に結社移民として入植

「赤心社」の指導者の多くはキリスト教徒で 1886(明治19)年に「浦河公会」が組織された
この会堂は明治17年の日曜学校兼会堂に次ぐ2代目の礼拝・集会所である

旧所在地 浦河町荻伏
建築年代 1894(明治27)年
復元年  1985(昭和60)年
 
浦河公会会堂1-1
(旧浦河公会会堂)

*写真は2月17日撮影のもの

次回に続く



北海道開拓の村 ~その4~

「北海道開拓の村」に移築・復元された歴史的建造物の紹介 第4回

旧有島家住宅

日本近代文学史上代表的作家の有島武郎が1910(明治43)年から翌年の7月頃まで住んでいた住宅
有島武郎は明治11年生れなので住んでいたのは32歳の頃となる

旧所在地 札幌市白石区菊水
建築年代 1904(明治37)年
復元年   1979(昭和54)年

有島武郎住宅1
(旧有島住宅の外観)

見学出来るのは一階住宅部分
和室・床の間の様子

有島邸2-1

茶の間は資料室になっている
2階の8畳間が書斎となっているが 見学禁止

有島武郎の作品「生まれ出づる悩み」の中に 豊平川右岸のリンゴ園の中にあった借家とあるのがこの家とのことで
この家で有島は「或る女のグリムプス」を書き 雑誌「白樺」に連載を開始した

有島邸1-1
(茶の間部分が現在資料室となっている)


旧福士家住宅

幕末から明治期に造船・通訳・気象観測・測量などで活躍し北海道開拓に貢献した福士成豊が明治半ばから1922(大正11)年まで居住した建物

旧所在地 札幌市中央区北4条東1丁目
建築年代 明治時代
復元年  1980(昭和55)年  

明治前期の洋風建築と明治後期の和風住宅を接続した特異な建物

旧福士家住宅1-1
(旧福士家住宅)


旧松橋家住宅

明治・大正・昭和にわたる都市生活者の住宅
松橋家は明治初期に秋田県から札幌に移住し 農業及び土地会社経営に従事

旧所在地 札幌市中央区北1条東7丁目
建築年代 1897(明治30)年頃
復元年   1961(昭和56)年

旧松橋家住宅1-1
(旧松橋家住宅)


旧開拓使工業局庁舎

開拓使工業局は1873(明治6)年に設置
道路・橋梁・官庁・学校等の建設をはじめ 家材・機械・農具・車両などの製造事業を行った

旧所在地 札幌市中央区大通東2丁目
建築年代 1877(明治10)年
復元年   1979(昭和54)年

旧開拓使工業局庁舎1-1
(旧工業局庁舎)

この建物は明治初期の洋風事務所建築の特徴を示している
開拓使工業局は北海道開拓の発展に大きく貢献した


旧近藤医院

1900(明治33)年に函館病院から古平病院長として招かれた近藤清吉が同町で開業時に建てた病院
1958(昭和33)年まで使われている

旧所在地 古平町大字浜町
建築年代 1919(大正8)年
復元年   1984(昭和59)年

旧近藤医院1-1
(旧近藤医院)

旧近藤医院院内1-1
(旧近藤医院 院内受付窓口・調剤室)



旧札幌警察署南一条巡査派出所

旧所在地 札幌市中央区南1条西1丁目創成川縁
建築年代 1911(明治44)年
復元年   1978(昭和53)年

旧札幌警察署南一条巡査派出所1-1
(旧札幌警察署南一条巡査派出所)

1885(明治18)年札幌創成橋の脇に建てられた交番は木造で札幌創成橋交番と呼ばれていた
その後 篤志寄付でレンガ造りとなった
壁のレンガは小口面と長手面を交互に積むイギリス積と呼ばれる工法が用いられている


それにしても どの建物も周りは雪の山
見学者入口(玄関前)の雪かきだけでも大変 管理には莫大な費用がかかりそうだ

*写真は2月17日撮影のもの

次回に続く



北海道開拓の村 ~その3~

「北海道開拓の村」に移築・復元された歴史的建造物の紹介 第3回

旧近藤染舗

近藤染舗は1898(明治31)年徳島県から旭川市へ移住した近藤仙蔵と弟2人で創業した染物店
徳島の特産 藍の技術を受け継いで開業
1913(大正2年)に新築された店舗兼住宅

旧所在地旭川市1条3丁目  
復元 1985(昭和60)年

近藤染物1-1
(近藤染舗)

大正後期の店の様子と生活
五穀豊穣の のぼり旗と職人 台所では食事の用意か
赤丸印内には 懐かしい当時の電話機もあった

近藤染物2-1
(近藤染舗店舗と生活の様子)

現在も開業当時と同じ場所(旭川市1条)で操業している


旧来正(くるまさ)旅館

東永山兵村(現旭川市永山)に屯田兵として入植した来正策馬(くるまささくま)が1898(明治31)年に退役後 永山駅前に移り待合所を開業
1919(大正8)年に旅館兼待合所を新築し営業を再開

旧所在地 旭川市永山1条
建築年 1919(大正8)年
復元 1985(昭和60)年

旧来正旅館1-1
(旧来正旅館)

この建物で NHK朝ドラ「マッサン」のロケが行われ
熊虎とマッサンの出会いのシーンなどが撮影されたようだ
このシーンは 
2015(平成27)年1月の第80・81回「渡る世間に鬼は無し」で放送されている

座敷では 大正14年と昭和初期の雛人形が飾られていた

お雛様1-1
(お雛様)

また店内の土間には 当時の三ツ矢・森永・フルヤのミルクキャラメル
駄菓子・サッポロビールなどの売店の様子が再現されている

サッポロビールの「星」マークは 当時から旧北海道旗の五陵星を使っていた

旧来正旅館2-1
(旧来正旅館の売店の様子)


旧三〼(さんます)河本そば屋

1885(明治18)年頃 石川県から小樽へ移住した河本徳松(当時18歳)が そば屋の修行を積み三〼(さんます)そばののれんを継いで新築した店舗
小樽の中でも 最も栄えた地域にあったそば屋で 食事はもちろん宴会の場でもあったようだ

旧所在地 小樽市住吉町
建築年 1909(明治42)年頃
復元1988(昭和63)年

旧三〼河本そば屋
(旧三〼河本そば屋)


旧手宮駅長官舎

1880(明治13)年北海道で初めての鉄道 幌内鉄道が敷設され
その職員官舎としての建物
外部の意匠に洋式の手法が用いられ 手宮宿舎5号と呼ばれた
この同じ形のものが6棟建設されている

旧所在地 小樽市手宮町
建築年 1984(明治17)年
復元 1980(昭和55)年

旧手宮駅長官舎1-1
(旧手宮駅長官舎)

幌内鉄道開業にあたってはアメリカ製の蒸気機関車2両が使用 「義経」「弁慶」と命名された
1880(明治13)年の開通は小樽ー札幌間 
翌年8月には明治天皇の北海道巡幸があり お召列車「開拓使号」が使用された

幌内鉄道の幌内とは三笠幌内
幌内ー手宮(小樽)間の計画 石炭の積み出しが目的


旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)

開拓使の官舎として建てられた

アメリカの建築様式を模範としているが 内部は和風で和洋折衷様式
外壁が白ペンキで塗装されているので 俗称「白官舎」
1棟2戸建て 4棟並んで建設された

所在地 札幌市中央区 
1878(明治11)年建設 1994(平成6)年復元

旧開拓使志通洋造家1
(旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)) 内部は資料展示室となっている

今回は ここまで



北海道開拓の村 ~その2~

北海道開拓の村の紹介 2回目

前回紹介した旧開拓使札幌本庁舎の近くに 
旧浦河支庁庁舎がある

旧浦河支庁庁舎(1)
(旧浦河支庁庁舎)

1897(明治30)年北海道庁が群区役所制度を支庁制度に変更した際に現日高管内浦河町に浦河支庁が置かれた
この庁舎は1919(大正8)年に建築 
1932(昭和7)年に日高支庁と改称
1956(昭和31)年に浦河町に払下げられ 会館や博物館として使われていた
1981(昭和56)年 開拓の村に復元

旧浦河支庁庁舎2(1)

入口看板の浦河支庁の字が「支廳」と難しい漢字を使っている
もともとは北海道庁も「北海道廳」と「廳」の字を使っていたらしい

この「廳」の字が残っているところは少なく 
現北海道立函館西高等学校敷地内に同校の前身である「北海道廳立函館女子高等学校」と書かれた碑があるようだ

この旧浦河支庁庁舎の2階に上がると「北海道のあかりと暖房」の特別展示室があり この部屋には非常に懐かしいものが展示されている

暖房・あかり器具(1)
(懐かしい暖房用器具と照明器具)

照明器具の中には時代劇にでも出てきそうな物がある

まず暖房器具から 下の写真の左が櫓ごたつ 
上部を組格子にした四角形の木枠の下に炭火などの火種を入れる容器を置き 布団をかけて暖をとるこたつ 
昭和30年代でも まだ使われていたようだ

薪ストーブ
ホームセンターなどで今でも見かけるストーブ 人気があるのか
明治時代半ばから急速に普及したようだ

このストーブの何枚かの円形の蓋がミソ 
鍋・釜・やかんなどの大きさに合わせて蓋を取り 煮炊きするアイデア商品だ

暖房器具1(1)

石炭ストーブ類

<暖房器具2(1)
(石炭ストーブ)

写真上 左から
ズンドウストーブ 鋳物製の石炭ストーブ 形状がズンドウ
灰取台の上に燃焼胴をのせた簡単な構造で 大型の鋳物が製造可能になってからはダルマストーブと呼ばれ広く利用された
学校では 小中高校ともダルマストーブだったなー

地球型ストーブ 列車の暖房用として使われた
明治30年代から使用され 通称「タコストーブ」として親しまれた
燃焼筒の丸い独特な形は乗客が魚や餅などを焼いた臭いや煙で車内が汚れるのを防ぐためともいわれた
タコも焼かれていたのか?

ルンペンストーブ
燃焼途中に石炭を追加できないため2台のストーブを交互に用いた
1台を使用中はもう1台が遊んでいる(働いていない)ことから ルンペンストーブと呼ばれるようになったとか

ルンペンの語源は布切れやボロ服を意味するドイツ語で
浮浪者や失業者を意味し 差別用語的に使われていたような気がする
この言葉は今はもう死語か

貯炭式ストーブ(右端の2個)
貯炭漕に石炭を詰めるため長時間燃え続ける
お座敷用として人気があった 
昭和初期には国産の安価な貯炭式ストーブが普及し 
長い間家庭用として利用された

次に照明器具類

ランプ2
(ランプなど 照明器具類)

相当な年代物がある 

一番懐かしいものは 上の写真の左側のガラス製ランプ
子どもの頃住んでいた田舎では 風が吹くとよく停電になった
そこでランプの出番だ これは生活必需品 どこの家にもあった

燃料は灯油で 使っているうちにススでガラス部分が黒くなるため手を入れて新聞紙で拭いたものだ
これは子どもの仕事 大人の手は大きくてガラス部分に手が入らないためだ
新聞の印刷用インクがスス汚れをよく落とした

このガラス部分は「ホヤ」と呼んでいた 
今でもキャンプ用品で燃焼部分を覆うガラスを「ホヤガラス」と呼んでいる

明治時代の火灯道具やら手燭 マッチ類もある

マッチ類1

見覚えのあるツバメ印のマッチがあった 
何と懐かしいことか
日産農林工業株式会社製と横文字でも書いてある
このような名の会社(メーカー)だったのか

1970(昭和45)年頃 
札幌の下宿屋の同居人にマッチ箱の絵柄のデザイナーがいたことを思い出した
当時もまだ マッチの全盛期だったか

次回へ続く


北海道開拓の村 ~その1~

昨年は北海道命名から150年

歴史ある本州などとは違い まだ150年 たったの150年だが

明治以降の北海道の歴史が分かる 
「北海道開拓の村」に移築・再建された建物などを紹介する

「北海道開拓の村」の概要

所在地 札幌市厚別区小野幌50-1
開 村 1983(S58)年
面 積 54.2ヘクタール(東京ドームに換算すると11.5個分の面積)
内 容 明治から昭和初期に建築された全道各地の建造物を移築復元・再現した野外博物館
敷地内には52棟の歴史的建造物が移築または再現され「博物館相当施設」に指定されている

まず
「北海道開拓の村」の入口の管理棟は「旧札幌停車場」

旧札幌停車場(1)
(旧札幌停車場 北海道開拓の村管理棟)

旧札幌停車場2(1)
(1階部分はほぼ雪で覆われていた)

札幌停車場は現在の札幌駅の前身 
1908(明治41)年築 所在地は札幌市中央区 
当時の建築物の五分の一の規模で復元

内部は管理室 休憩スペース 売店などがある

管理棟から入村すると 案内板が目に付く

案内図1(1)

まず案内板のすぐ左横の旧開拓使札幌本庁舎の存在感に圧倒される

旧開拓使札幌本庁舎1(1)
(旧開拓使札幌本庁舎)

旧開拓使本庁舎は北海道の歴史その2~道庁旧本庁舎~でも紹介したが 
1873(明治6)年に完成
北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)の前身

洋風建築で中央屋根部分には八角塔(ドーム)があり これは
「独立と進取のシンボル」としてアメリカで流行したものらしい

この庁舎は6年後の1879(明治12)年火災で焼失した

内部はコンクリートなどで建られ 頑丈な造りとなっておりビジターセンターがある

ドーム上には北海道の歴史その3~北海道旗~で紹介した五稜星の開拓旗がはためいていた


五陵星1(1)
(当時の五陵星の開拓旗)

村内は 馬そりで一周できるようになっており 
観光客が歓声をあげながら回っていた

観光用馬そり1(1)
(観光客用馬そり 写真下は回送中)

夏は馬車に代わるのでしょう

次回に続く
*2月17日撮影の写真を使用


大学入試センター試験にアイヌ民族に関する問題が出題

昨年の北海道命名150年を機に 
先住民族であるアイヌ民族に対する関心も高まり 様々な取り組みがなされている

「川村カ子ト アイヌ民族館」(旭川市) 
祖先から語り継がれた神々の物語「アイヌ神謡集」として日本語訳にまとめた「知里幸恵の文学碑」(旭川市) 
そして「知里幸恵銀のしずく記念館」(登別市) 
「アイヌの彫刻家砂澤ビッキのアトリエ」(音威子府村) 
北海道のアイヌ語由来の地名 
そしてアイヌ文化「民族共生象徴空間」(白老町)など当ブログでも昨年からアイヌ民族に関するものをアップしてきた

中でも国家プロジェクトとして
アイヌ民族の文化の復興・発展させる拠点および先住民族の尊厳を尊重し 差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴「民族共生象徴空間」は白老町に2020年東京オリンピック開催前の4月の開設に向け整備中である

愛称・ロゴマーク1
(「民族共生象徴空間」のロゴマーク)

さて

この19・20日には大学入試センター試験が行われ 
日本史Bでアイヌ民族に関する問題が出題された

問題は某大学の歴史サークルの先輩と後輩がアイヌ民族に関して
「北海道にはアイヌ語に由来する地名が多いですね」の会話から始まり 

明治政府がロシアとの国境を画定するために結び アイヌ民族が移住を余儀なくされた条約「樺太・千島交換条約」
および 救済を名目としながらも同化政策としての面が強かったとされる法律「北海道旧土人保護法」の名を導き出させる問題が出ていた

また会話文の中に
「先住民族としてのアイヌの立場を訴え続けた」萱野茂(のちに国会議員して活躍)は常々「地名はアイヌ民族であるあかしを大地に刻んでいる」といっていた」と人物を登場させたり 

2008年には 前年の「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を受け 「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が国会で採択されたことなども取り入れられていた

アイヌ民族の文化文様1-1

この大学入試センター試験問題を目にし

学校教育でもアイヌ民族に関しての教育が取り入れられていることに大いに感激
 
さらにこのように試験問題に取り上げられるのことは
先住民族であるアイヌ民族の生活・文化等に関心が高まり そして理解が深まると
歓迎しているところである



プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。

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