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留萌港内のニシン釣り

留萌港内ではニシン釣りで賑わっている

先日隣町の小平町ではニシンの群来(くき)が見られ 
このところ留萌港内にもニシンが入り込んでいるようだ

今日(8日)は雨 
しかも結構寒いのでそれほどの釣り人ははいなかったが 
それでも岸壁はこんな状態

ニシン釣り1-1

釣り人は雨と寒さしのぎのため 車中から様子を確認しているが
今日は掛かりが悪いようだ

ニシン釣り2-1
(自動しゃくり機による釣りの様子)

釣り棹を自動的に上下させる 「しゃくり機」が大活躍

釣り人も手抜きをし 見てるだけ これは便利だ
バッテリーで 動かしているそうだ 
しかもこの「自動しゃくり機」は3本用

ちなみに値段を聞いたところ 3万円ほどするとのこと
釣りも道楽の一つに違いない

この場所は 巡視船が係留する岸壁のすぐ近く
 
ニシン釣り3-1

この港にも古い石造りの倉庫群がある
この倉庫は日本通運のもの

その昔は 貿易船も数多く入港し 
荷役・運送会社もフル回転で活気があった
近年はひっそりとしている


最近は港内で釣ったニシンをよくもらっている

釣れすぎて 全て家に持って帰ったら奥さんに怒られるそうで
帰り道 わざわざウチへ寄って半分ほど置いていく
貰ってもらって よかった よかったと言って帰っている 

捌くのに手間がかかるからね

ニシン釣り4

半分は抱卵ニシン 勿論 カズノコが美味しい



萌っこ春待里

3月10日「萌っこ春待里」が開催

毎年この時期 春を待ち焦がれる市民のお祭が開催されている
今年で21回を迎えた

萌っこ春待つ里パンフ1-1

数日前から日中の気温はプラス この日10時現在でプラス4度
従って雪解けが進み 会場は所によってはザクザク
新雪が無いので 雪も汚れている 
 
一昨年は暴風雪警報で中止 
過去にも途中で風雪が強くなり テントが飛ばされるなどで 中止になったことがある

今年はどういう風の吹き回しか 春が早過ぎの感

文字通り春を告げるお祭になった

開会式では 実行委員の(女性3人) 市長 自衛隊駐屯地指令が挨拶
そしてご当地キャラクター「かずもちゃん」とお祭キャラクターの「雪だるま」も参加

開会式
(開会式の様子)

会場は陸上自衛隊駐屯地グランド
自衛隊は会場設営の他 お祭の運営も全面的に協力している

自衛隊「千望太鼓」で開会

動画1分11秒


(開会 自衛隊千望太鼓)

このお祭は子ども用のイベントもあるが メインはやはり伝統のある「ばんばレース」
北海道での有名な「馬のばんばレース」は見方によっては動物虐待になるが

このレースは「人間ばんば」 
有り余っている力を充分出し切ってもらいたい

出場チームは20 内高校生チームが6チーム 自衛隊も3チーム参加

それでは予選のスタート
ばんばレース動画 (42秒)


(ばんばレース 予選)

足場が悪く コケる選手も多々 決勝まで予選が2回
優勝賞金の10万円を獲得するには3回 闘わなければならない

ばんばレース1
(ばんばレースの様子 高校陸上部は短パンで出場)

会場内は 焼き鳥コーナーなども参加出店
ライオンズクラブは甘酒のふるまい

会場の様子1
(焼き鳥 甘酒コーナーなど)

北海道のイベントなどには「北方領土返還要求運動」の署名活動を必ず行っており
また人権擁護運動も委員が PRを兼ねグッズ配布等活動展開していた

北方領土返還運動・人権擁護運動1
(北方領土返還署名運動と人権擁護活動の様子)

ジャンボ滑り台は 雪が溶け滑りはあまり良くないようだ
受験生には良いかもしれない

すべり台
(ジャンボ滑り台の様子)

お昼には郵便局提供の「もちまき大会」やら 「大抽選会」があり 
この抽選会の景品用に毎年当萌樹工房でもキャラクターグッズを提供している

この後 快晴となり 雪解けはさらに進んだが
お祭も無事終わったようだ


冬の風物詩「ギンナンソウ」

「けあらし」 「猛吹雪」 と冬の風物詩を紹介したが 

「冬の風物詩 第3弾 「ギンナンソウ」
毎日時化(シケ)つづきで ようやく波もおさまり
待ち構えていたかのように 漁師は「ギンナンソウ」の摘み採り

ギンナンソウ1
(1月21日付 日刊留萌新聞)

「ギンナンソウ」は 地元では「銀杏草」とも書き 北海道日本海沿岸で獲れる海藻
1月から3月にかけてわずか3ヶ月の漁期だが
最近は年々資源が減少し 漁に出るのは1月から2月の数回


TVローカルニュースで20日に摘み取り作業の話題が出ていたので 
さっそく21日朝 魚屋さんへ行ってみると店頭に出ていた

初物の値段はいつもは非常に高いのだが 意外と安い
隣町小平町産のものだが 稚内からの「ギンナンソウ」が出てくると
もっと安くなる

ギンナンソウ2
(100g袋詰めの「ギンナンソウ」)

漁協名は「新星マリン漁業協同組合」 留萌市と小平町の漁協が合併し この名になった
なかなか洒落た名前になった

「ギンナンソウ」の名の由来は 「銀杏の葉」に似ているからという説がある
また 地元では仏像の耳に似ていることから 「ホトケ(仏)の耳」とも呼ばれ

さらには 「ボンズ(坊主)の耳」と呼んでいる

ギンナンソウ3

正式名称は「アカバギンナンソウ」

食べ方は ほとんど「味噌汁」の具材として利用
最初は「ツルツルコリコリ食感」で 繰り返し温めることで
2度目以降は「トロトロ食感」となる

稚内の業者で「乾燥銀杏草」として販売しているところもあるようだ

ところで「海の草」は「海藻」と書くのだが 
販売用の袋には「ぎんなん草」となっており

ウチのお多福の意見としては「草」ではなく 
「海藻」の「藻」を使った方が良いのでは・・・との意見

一理 ありそうだ

ともかく 新聞写真のとおり 
漁師が厳寒の中 箱メガネで岩に付着している「ギンナンソウ」を探し 採取する大変な作業

感謝しながら 食べることにする


午後8時の「イエスタディ」

当市では毎日午後8時になると 
あのビートルズの「イエスタディ」の名曲が流れる

このたび
「なぜこの時間に この曲が流れるのか」という疑問に地元高校放送局が挑んだ
放送局では道内の自治体や市民ら約250人にインタビューし 
5分間のラジオ番組にまとめた

この番組は 高文連の放送コンテスト上川地区予選で2位になり 
江別市で開催の全道大会に出場したとのこと

この放送局による調査では
この曲が流れるようになったのは1988(昭和63)年11月 
子どもの非行防止などを目的に市教委が帰宅を促すために開始

また「イエスタディ」の曲の選定は小中学生のアンケートにて決定されたことなどが判明

このドキュメンタリー番組の取材により 
道内利尻富士町など5自治体がこの曲を採用し 
このうち空知管内月形町でも非行防止などを目的としていたという

取材で集めたものでストーリーを練り 
そのタイトルを「帰ろう歌」とし
「世代を超えて愛されているイエスタディ。これからも市民のためになり続けます。あっ、8時だ。帰ろう。」と締めくくっているそうだ

全道大会の成績はどうだったのか 

Yeasterday1.jpg

このメロディーを流すのはもう一つの目的があり 
防災無線を使って広く響き渡らせるのだが 災害時にその機能(放送)を発揮できるかの試運転でもある

いざという時に本当に鳴り渡るのか 毎日確認をしている

この「イエスタディ」の曲に異論を唱えている者もいる

一日の終わりに「イエスタディ」を流すのは 
後ろ向きではないか
むしろ「TOMORROW(明日)」にしたらどうかなど色々な意見がある

ところで当市では午後8時に鳴り響く「イエスタディ」の他に
午後6時にも同じ目的で「夕焼け小焼け」の曲も流している 

夕焼け

この「夕焼け小焼け」(作曲中村雨紅)の童謡 
「小焼け」の意味については ほとんどの辞典には載っていないようだ

「小焼け」は語調を整えるために添えたもので
「夕焼け」に同じでそれ自体意味の無いものらしい

「夕焼け」に「小焼け」が付くのだから 
「朝焼け」も付けられるだろうと考えた詩人がいて
「朝焼け小焼けだ大漁だ」という詩を書いたのが詩人の金子みすゞさん

同じように意味の無い言葉に「仲良しこよし(小良し)」がある

「大寒小寒」「大雪小雪」「涼風小風」などはどうなのか 
「小焼け」と同じように意味の無いものなのか

当市はまだ 雪が遅く「小寒」が続いていたが 
今朝は室内温度が10度ほどになり 
「大寒(おっ!寒)」で今日から本格的な暖房を入れた

雪が遅いのは結構で「小雪」なら良いが そのうち「大雪」になり
さらに「涼風小風」どころか「季節風」が吹いて「大吹雪」になる


「小吹雪」という言葉は?・・・    無いな


増毛町めぐり5 ~旧富田屋旅館~

増毛町めぐり
今回は歴史的建物 旧富田屋旅館

旧富田屋旅館1

この建物は1933(昭和8)年に建設された木造3階建て 延べ床面積は約4百平方メートルの旧駅前旅館 
北海道遺産の「増毛駅前の歴史的建造群」の一つで 木造で趣のある外観が観光客から人気を集めている

1970年代後半(昭和50年代前半)に営業を終了し 現在は老朽化による雨漏りや外壁や基礎部分の腐食が進行 また所有者が高齢になり維持管理が困難になったこともあり 町が今年7月に土地を購入し 建物を譲り受けた

この場所は増毛駅や観光案内所に隣接しているため 観光客の撮影スポットにもなっており 観光施設と間違えて無断で立ち入る人もいるらしい

同施設は故緒形拳さんの主演映画「魚群の群れ」のロケに使用されているほか 昨年開催の「増毛町まちづくりセミナー2017 歴史文化資産を活かしたまちづくりを考える」では講師を務めたNPO法人歴史的地域資産研究機構の理事が「ちょうちんや番傘なども残る旧旅館富田屋は当時の姿に復元することでまちづくりの強力なツールの一つになる」と述べている

隣には観光案内所がある 
この施設内には故高倉健さんが倍賞千恵子さんと共演した「駅~STATION」のロケに使用した居酒屋が再現されている

その様子は 去る4月18日付のブログ「増毛駅がリニューアル」の中でも紹介した

風待食堂1
(高倉健主演「駅~STATION」のロケに使われた風待食堂 映画の中では居酒屋「桐子」)

町ではこの旧富田屋旅館施設を保存活用する方向で検討しており 具体的な活用方策はまだ決まっていないものの 多額の修繕費用が必要となるため この度「ふるさと納税の寄付金」の使い道に「旧富田屋旅館の管理・保存に関する事業」を加え 修繕費用の募集を始めた

2016(平成28)年に旧増毛小学校校舎保存のための修繕費用として目標を上回る4千2百万円寄付金が集まり 本年度末までにさらに1千万円の寄付を目指しているようだ

これらの歴史的建造物とも連動させることを視野に 観光振興策を進めている

地方ではどのまちも このように郷土の歴史に誇りを持ちながら なんとか生き残り策を考えながら取り組んでいる


増毛町めぐり4 ~元陣屋~

増毛町は当管内では最も歴史のある町
今回は「元陣屋」を紹介

写真の施設は「増毛町総合交流促進施設元陣屋」
元陣屋の歴史を物語る施設として1996(平成8)年に増毛町が建設した文化交流施設

元陣屋1

外国(ロシア)との緊張感が高まる中 江戸幕府は1855(安政2)年に蝦夷地を幕府直轄として 仙台 秋田 南部 松前の五藩に蝦夷地を分割して警備することを命じた

当増毛町などは 秋田藩が分領警備することになった

元陣屋2

1856(安政3)年蝦夷地警護を命ぜられた秋田藩は 兵士を派兵するとともに北蝦夷地三出張陣屋(増毛・宗谷・樺太)を含める陣屋を置き 元陣屋の構築を始めた

増毛元陣屋は最終的には1,160坪に及び18棟の兵舎の他に兵具庫 武芸所 火薬庫 診療所等を備えた大規模なものとなっている ちなみに衛士の数は150から200余名であったという

元陣屋3

元陣屋4

本陣となる元陣屋の東西には台場が二ヶ所設営され 砲台を設置して警備にあたった

台場はロシアをはじめとした異国船が姿を見せた場合にすぐさま追い払えるよう和製大砲の他に外国製のホイッスル砲が装備された


第一台場と第二台場跡 及びホイッスル砲

元陣屋5

第一台場は海を見渡せる高台 第二台場は海岸近くに設置
但し 異国船が現れた際にも箱館奉行所からは「決してこちらから攻撃してはならない」と通達されており 何よりも穏便が第一とされていたようである

元陣屋6

藩士たちは宗谷にも出兵し 冬になると増毛で越年 本国秋田とは一年おきに交代した
武士だけでなく 鍛冶・大工・木挽きなどの職人や人夫・山子や医師も滞在し 戦に向けた訓練と警備の毎日に明け暮れた

秋には越冬のための薪づくりが重要な仕事 単調で自然の猛威や病などに対する防備を心がける毎日は ひっそりとただ耐えることの多い毎日で 寒さをしのぐために酒を酌み交わし 故郷を思いひたすら春を待ったようだ

津軽藩勤番越冬陣屋のジオラマ

元陣屋10

冬期間には多くの凍死者や野菜不足による水種病(壊血病)による病死者が出て ロシア軍よりも一番恐ろしかったのは蝦夷地の寒さだったのかもしれない

また
秋田藩の蝦夷地経営は 豊富な海産物を獲るなど 漁業を発展させることにも重点が置かれていた
このジオラマは当時のニシン漁の様子を再現したもの

元陣屋7

マシケは春から秋にかけては波も平穏な良港で 豊富な水産資源に恵まれ 一帯は「マシケ場所」と呼ばれていた

1858(安政5)年頃から福山・江差地方ではニシンが獲れなくなり 近蝦夷地や奥蝦夷地に追いニシン漁に出るようになり また本州での肥料の価額が上がりマシケ地方のニシン漁は大いに発展した

当時の銃剣

元陣屋9

古文書類

元陣屋8

勤皇佐幕の両論が活発になり 世の中が騒然とし始めた頃 本国秋田では数年にわたり災害が続き 百姓一揆もおこり 秋田藩は北蝦夷地の警備の免除を数度にわたって願い出 幕府はこの願い出を受け入れ1867(慶応3)年秋田藩の蝦夷地警衛は終った

1856(安政3)年の出兵から12年 増毛 宗谷 枝幸 利尻 礼文 の各場所が秋田藩領になった1859(安政6)年から足掛け9年に及ぶ蝦夷地警衛の歴史は幕を下ろした

1867(慶応3)年10月 徳川慶喜は大政奉還を行い 新政府は年号を明治と改め 翌年蝦夷地に開拓使を置くことを決め 開拓使は「蝦夷地」を松浦武四郎の意見を採用し「北海道」と名付け同時に道内を11の国と86郡に分けた
増毛は天塩国増毛郡に入り 山口藩支配地として新しいスタートを切った

山口藩は1870(明治3)年に運上屋及び勤番所を役所として旧秋田藩増毛陣屋の一部を使って開拓業務にあたり この場所を山口藩庁出張所と名付けた

しかし1871(明治4)年に廃藩置県が行われ 山口藩は北海道の支配を罷免されわずか1年余りで増毛から引揚げることになる

この間 陣屋は山口藩増毛出張所役人の住居として利用され 
陣屋建物は1997(明治30)年頃まで残っていたとのこと

「増毛町総合交流促進施設」はこの「元陣屋」跡地に建設され 郷土資料室や図書室 映像体験室を備え 

増毛町の文化の創造や 交流の発信基地として町民に利用されている


増毛町めぐり3 ~旧商家 丸一本間家~

増毛町めぐり第3弾
今回は 前回(10月5日付)紹介した酒蔵「国稀酒造」の創始者本間泰蔵氏の建てた「旧商家丸一本間家」を紹介

本間泰蔵氏は佐渡出身
小樽で商売を学び 明治8年26歳で増毛で荒物雑貨の商売を始め その後事業を拡大し 呉服商 ニシン漁の網元 海運業 酒造業などの事業を展開 当時の天塩国随一の豪商と呼ばれるまでに至った

現在は「国稀酒造」を営業を続け 4代目となっている

現在残る建屋は 店舗 呉服蔵 居宅 付属屋 酒造蔵 などで構成され その面積は806㎡(約244坪) 延床面積は1,238㎡(約375坪)で 明治35年に20年以上の歳月をかけ完成された

平成15年には国の重要文化財に指定されている

明治13年の大火後再建され 石造りの建屋となった

丸一本間家1

中へ入ると
今でも使われているような雰囲気の呉服店舗
 
丸一本間家2

店舗内の屏風と 土間に置いてある懐かしい 当時の門燈と荷車

丸一本間家3-1

廊下の様子
窓ガラスも当時のまま (外が歪んで見えるガラス)

丸一本間家4-1

奥帳場と天井の明り取り

丸一本間家5-1

茶の間
茶の間の左襖に描かれているのは昭和初期の日本画家仙田菱畒(せんだりょうほ)の作

丸一本間家6-1

次の間
桐のタンスは120年経っている
電灯は大正6年頃のもの 増毛では大正5年に街灯がつき翌年増毛電気株式会社が設立され 本間泰蔵氏が初代の社長に就任している

丸一本間家7-1

客間
書院造りが用いられており 付書院 床 棚が設置されている

丸一本間家9-1

巌谷一六による漢詩が揮毫され 内容は「赤壁賦」からの引用とのこと

丸一本間家8-1

下勝手 台所 
そして「駅(ステーション)」でロケで使われた部屋に高倉健の写真が展示

丸一本間家10-1

最後に呉服店舗の上の階には観光客が自由に休憩できる大広間が用意されている

丸一本間家11

豪華絢爛 当時の丸一本間家の繁栄ぶりが伺える

*天塩国とは
大宝律令の国郡里制を踏襲し戊辰戦争(箱館戦争)終結直後に制定された日本の地方区分の一つ
道北に位置し 現在の留萌振興局管内全域と 上川総合振興局管内の塩狩峠以北(幌加内町は含まない) 及び宗谷総合振興局管内の豊富町と幌延町さらに稚内市の南端部の一部にあたる(参考:ウィキペディア) 

参考資料 
増毛町発行パンフレット 重要文化財 旧商家丸一本間家


プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。

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