プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
以前から続けてきた手作りでのクラフト創作で、主に手先・目そして頭を使うことで多少なりとも老化速度を遅らせる効果を期待している。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。


最新記事


月別アーカイブ


最新コメント


カレンダー

08 | 2016/09 | 10
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

カテゴリ


カテゴリ別記事一覧


まとめ

芸術・文化の秋

9月は充実した 芸術・文化の秋でした

2日(金曜日)
北海道吹奏楽コンクール 
於 札幌コンサートホール 大ホールKitara

img049-1.jpg
中学校C編成の部で 旭川地区代表 旭川市立北門中学校が出演
「マードックからの最後の手紙」を演奏 
中1の孫がクラリネットで出演 銀賞でした


17日(土曜日)
ピアノ教室発表会
於 旭川市民文化会館

img006-1.jpg
孫2人が出演しました

P9174268-1.jpg
 曲 「あきのささやき」 中学1年生 6回目の出演

P9174250-1.jpg
 曲「大きなたいこ」 「かっこう」 小学1年生 初出演
 緊張しましたが 頑張りました


18日(日曜日)
都山流創立120周年記念
都山流尺八札幌幹部会演奏会
於 札幌市教育文化会館

img050-1.jpg
お多福が所属している 札幌市の「宮城社・樹の会」が毎年賛助出演しています

P9184272-2.jpg
演奏曲 「秋の曲」 吉沢検校 作曲

P9184289-2.jpg
演奏曲 「秋風の辞」 菊原琴治 作曲

P9184317-1.jpg
出演者全員で演奏  「創元」 山本邦山 作曲


25日(日曜日)
留萌市民芸術祭
於 留萌市文化センター

img051-1.jpg

お多福が 「留萌ファミリーコーラス」 で出演
P9254365-1.jpg
1 あの素晴らしい愛をもう一度
2 君をのせて
3 糸
4 365日の紙飛行機

三世代コーラスグループでスタートしましたが それぞれの孫たちも 大きくなり 
おばあちゃんコーラスグループになりました 
練習日は基本的に 毎週水曜日19時から2時間です


25日(日曜日)
落語&新そばを味わう会
於 留萌市海のふるさと館

img056-1.jpg
1年ぶりの落語鑑賞で 
笑いこけた後 新そばをご馳走になりました


27日(火曜日)
歌麿とその時代
於 北海道立旭川美術館

img053-1.jpg
急いで見て1時間
見ごたえのある浮世絵でした

今月は札幌市へ7回 旭川市へ3回 
車も相当疲れました


スポンサーサイト

方言玉手箱 その5 ~昔の遊びと喧嘩~

小生の子どものころの遊びと言えば

かくれんぼ 竹馬 コマ回し たこあげ パッチ(めんこ) けん玉 缶けり ブランコ飛び ケンパ だるまさんが転んだ くぎ刺し 忍者ゴッコ 竹とんぼ

山では ぐすべり ぐみ 桑の実 山ぶどう 野いちご 食用たんぽぽ きのこ採り ザリガニとり(沢の小川にいた) 昆虫採り

川では ドジョウ 川カジカ ウグイ ヤマベ トンギョ釣り ゴリすくい カワガニ採り 水泳

浜では 相撲 プロレス(力道山)ごっこ 姿三四郎ごっこ チャンバラ 水泳 

冬は スキー スケート かまくら作り 雪合戦 雪だるま作り 城攻めごっこ 

女の子の遊びは まりつき お手玉 あやとり おはじき かるた すごろく 折り紙 ゴム飛び なわとび
(女の子の遊びはあまり知りませんがこんなところかな)

田舎の町内の中央部に小規模の公園があって この場所に 仲間が集まりいろいろな遊びをしたものだ

515009s.jpg 507141s.jpg 113006s.jpg

「カクレンボ スルモノ コノユービ トーマレ」
場所によっては
「カグレンコ スルモノ コノユビサ トーマレ」 
( かくれんぼ するもの このゆびとまれ )
これは女の子も すぐ集まってくる

仲間に入れてもらいたい者は 「 オレモ カデテクレ 」
( 俺も 仲間にいれてくれ )
女の子は 「 ワタシモ カダシテ 」 と集まってくる

この「カデル」は「仲間に入れる」という言葉だから 仲間に入れることが 認められると 「カデテヤル」(入れてあげる)となり 一緒に遊ぶことになる

参考 ; 札幌市の道庁のそばにある 「 カデル2・7(道立道民活動センター) 」は「仲間を集める」との願いを込め付けた名称のようである(2・7は北2条西7丁目が根拠)

遊びをするときは 「アソブベー」「アソブベア」と仲間をより積極的に誘い込むのに有効で 「ヤマニ ノボルベア」( 山に登ろう ) 「ウミサ イクベー」( 海に行こう ) となると 行かざるを得なくなる

「オレモ カデテクレ」と来たら 時にはこんなことになる

「ヤズハ ナマズルイヤズダガラ カデテ ヤラネベ」
(あいつは ずるいやつだから 仲間にいれないことにしよう)

「ンダ ンダ ヤズハ ヘナマズルイカラ ソウスルベ」
(そうだ そうだ ものすごく ずるいやつだから そうしよう)

「ナマズルイ」に「ヘ」が付くと大変 「ものすごーく」になり 「ヘナマズルイ」と言われたら もうあきらめた方がよい

女の子には
「アイツ メンコイ カラ カデテヤルベ」
(あの子は 可愛いから 仲間にいれてやろう)

一方
「アイツ ミッタクネー カラ カデテ ヤラネベ」
(あの子は 器量が悪いから 仲間に入れないことにしよう) 

当時から いじめはあったんです 冷たいんでないかい

この「かくれんぼ」では 「ポッコペン ポッコペン ダーレ ツッツイダ」で鬼をきめるるが 「ツッツイダ者があてられると その者が鬼となり 「ドーコマデ」「○○さんの家の玄関まで」 鬼がその玄関を往復するまでに それぞれ隠れることになる

513726s.jpg 547306s.jpg 513081s.jpg

結構危険な遊びもあった
「くぎ刺し」は1寸釘を土に渦状に刺して 刺したところを線で結び 陣地を作っていくのだが 石に当たり 跳ね返った釘が目に当たり 失明したものがいた

忍者ゴッコでは 薄い鉄板で作った手裏剣を投げ 小屋の壁などに刺すのだが 他の子供の唇に当たり 歯を折ったものがいた もちろん唇は血だらけになった

またブランコを漕ぎ より遠くに飛び出す「ブランコ飛び」では 頭から落ちて 脳震とうを起こしたものやら コブを作ったものやらいたが この遊びは 尻がすれ ズボンに穴を空ける事が多く 帰ってから 母さんに大きくつぎ当てしてもらうことで丈夫になり 「大丈夫」になる

小生もぶどう採りで山へ行き ぶどうの木のツルでターザンごっこをしたものだが そのぶどうのツルが切れて 背中から落ち何分間か息が出来なくなり このまま死ぬのではないかと思ったことが何度もある

意識はあるから心臓は動いているだ とにかく苦しい 誰か背中をさすってくれたらまだ楽なのだが 誰もいないときは 死ぬほど苦しい 声も出ない ようやく息ができるようになると この世にまた戻ってきたような感じなのだ

木に登っている途中つかまった枝が折れ 背中から落ちたこともあるが これまた同じく苦しい

スキーのジャンプで 背中から落ち またまた 息を吹き返すまで 死ぬ思いをした

いま思い出すだけで苦しくなる この話はもう止めよう

パッチ(めんこ)はミカン箱をひっくり返して 底の面を使うのだが 力が入り過ぎて指先を箱板にぶつけ爪をはがしたり 豆を作ったものだ
自分より裕福な家庭の子は 流行りの新しいパッチを持ってくる 何とかそれを狙うと どうしても力が入る

このころのみかん箱は 当然木製であったが 殆どが「有田みかん」 の箱 当時から有名だった

(このミカン箱は正月になると 餅の保存ケースとなる ケースと言えば聞こえはよいが 単なる保存箱だ)

指先をぶつけることを「デッペ」と言った なぜそう呼んだのか分らない 「デッペ」なのだ

珍しい絵柄のパッチがあると 自分のものと交換交渉になるが これを「バクル」と言い 
「ソノ パッチ オレノト バクッテ ケレ」
(そのめんこ おれのものと 交換して ほしい) 

交渉が成立すると
「バクッテヤル」 (交換してあげる)になる

リモコンの乾電池の交換は「バクル」とは言わない
 「交換する」という 当たり前

当時パッチは 漫画の主人公の絵柄 野球選手 大相撲の力士などの顔写真が人気だった

122065-2.jpg

遊んでいて 時には喧嘩になることも多かった
故意にではないが 相手の 頭だとか顔に手が当たったりすると

「オメ ナニスルノヨ イテデ ネガ」
(おまえ 何するのだ 痛いじゃないか)

「オラ オメニナンカ ナンモ シテネド」
(俺は お前に なにもしていないよ)

「ナニヨ オメガ オラサ ブッタダイダ ベヨ」
(何さ お前が 俺を 叩いたのではないか)

そのうち 大喧嘩になり 叩き合いになることあった
「コノー テメデ ネガ ワッチャクチャニ ハダギヤガッテ」
(この野郎 お前でないか むっちゃくっちゃに たたきやがって)

だんだんエスカレートしてくる
しまいには 相手の親の悪口まで言い出す

「オメノ オヤジハ クソオヤジ オマゲニ デーベソ」
(お前の親父は くそ親父 そのうえ 出べそ)

「ナニ コクダ オメ オヤジハ ゴリンパゲ」
(何言ってるのだ お前の親父は 五厘はげ)

*五厘はげは 昔の五厘硬貨と同じ大きさのはげ ということになるが 誰も五厘硬貨など見たことはない
 喧嘩言葉にも 言い伝えの伝統があった

「オメコソ ナニコクダ オメノ ヤンジハ ツルッパゲ」
(お前こそ 何を言ってるのだ お前の親父は つるつるはげ)

喧嘩言葉も出尽くし これ以上の言葉が見つからなくなると 大抵はお開きとなる
「コッタラ モント アソンデラレネ」
(お前なんかと 遊んでいられない)

「カエル ベア」 
( 帰ろう ) ここでまた「ベア」が付き 積極的に みんな一緒に 帰ろうということになる

でも こんなことになって お開きになることは 稀であって 

いつもは 空が夕焼けに染まり カラスがねぐらに帰るまで 楽しく遊んだものです

069515-1.jpg

今日のブログも この辺で お開きですが 

一緒に昔の遊びをしたり 昔のことを思い出させて話をすることで 年寄りの認知症予防に 役立つ方法があるらしい これを「 回想療法 」 と呼ぶそうです

同期会 クラス会などを頻繁に開催し、当時のことを語らうことも 小生たちの年代にとっては 必要なことのようです

この 「 方言玉手箱 」 を書く毎に どんどん童心に戻っていきます 

若い気持ちは必要なのですが ・・・・・ 

必要以上に 子供になっているのです



看板がとりもつ縁

旭川にいる娘が知り合ったDさんが 2009年に豊富温泉でのアトピー湯治治療のため息子さんと共に 旭川市から豊富町に移住し その2年後の2011年11月に この町で「餅cafe & stay わが家」をオープンしたのです

この店主のDさんは 豊富温泉での治療に効果を見出したのが 移住の理由だったようです

小生も彼女のために何か出来ることが有ればと思い 「 わが家 」 のオープンに合わせ 看板を作ってあげました 
あげました というより 勝手に作ったのです
小生はまだ 現職でしたので まだ萌樹工房を開設する前の話です

店のロゴが 餅のイメージが出ている 素敵なデザインで

   a_color.jpg

出来上がった看板の試作品は

P9290489-1.jpg

ロゴと色は違うのですが 餅の部分を雰囲気を出すため 小豆(あずき)色にしたのです

また 店の中での飾り的なものとして

PA240558-1.jpg

さらに店の外壁掛け用として

PA240557-1.jpg

こんなものになった
看板は 多少小さめでしたが このまま使わせてもらうとのことで

    t02200165_0640048011617975924.jpg

    o0480064013176302386.jpg

こんな使われ方になりました
オープン時の2011年11月の様子ですが 今でもこのように使われており
大変喜ばれ 大切に使用されています

このあと 「わが家」グッズを色々頼まれたり 頼まれもしないのに勝手に作ったもの
例えば こんなもの

DSC04529-1.jpgDSC04530-1.jpg

OPEN CLOSE 看板 OP とEN の部分をそれぞれひっくり返すと CLO SE となる
また こんなOPEN CLOSE 看板

DSC05856-1.jpgDSC05857-1.jpg

つぎは ランチプレート

下部の絵柄は 「わが家」の店主Dさんが息子さんとデザインしたもので
息子さんが描いた あずき豆が手を合わせているイラストに Dさんが鍋とスプーンを描き加え
「 ありが豆料理 」 のロゴにしたものです

トレイ2-1ロゴ2-1(スプーン銀色)

最後に世界に一つしかない 掛け時計です

    t02200165_0480036013495267959.jpg

店がオープンしてから5年を迎えようとしていますが 小生が作ったものは いつの間にか増えていました

ここで 「 餅cafe & stay わが家 」 のPR

場 所 天塩郡豊富町3条通り
営業日 水~土曜日 11時~16時 
     (15時半ラストオーダー)
     (都合により休みの場合有り 土曜日は不定期)
電  話 0162-82-2923

メニューの一部
ありが豆しるこ 生キャラメル餅 トヨトミルクココア
ゆず茶 抹茶ミルク 大和しじみスパゲティ
道産10穀米お結び などなど

「 ありが豆料理 」 とは
作る人も 食べる人も 「ありがとう」の心が料理を美味しくする
メニューには 豆を沢山使っていて カラダに優しいのはもちろん
食べると 心までが喜ぶような 
そんな豆料理を作りたい との願いで 日々研究をしているようです

店内二階には わが家茶論(サロン)があり 少人数での集まり 習い事 サークル 個別カウンセリング アロママッサージなどで活用できる個室スペースが用意されています

「餅cafe & stay わが家」のホームページ 
餅cafe&stayわが家

また 店主Dさんは パソコン教室を2014年10月まで開設していました

店主のお父さんは退職した後 旭川市でパソコン教室を開設し この豊富町で数年前に亡くなられたのですが その後を引き継いでいたのです
このお父さんは 何と80歳を過ぎてからも パソコン修理士資格を取得した 超人お父さんでした
小生もこの超人お父さんから大きな刺激を受けた一人でもあります

またDさんは 豊富町に移住した方々を中心として 「 豊富温泉もりあげ隊 」 を結成したメンバーの一人で 様々なまちづくり活性化のための活動を展開しているスーパー店主でもあるのです

店はアットホームな雰囲気で いつも若い方で賑わっています
是非 道北方面へ出かける機会がありましたら 寄ってみてください

今日は 工房看板類の紹介と 「わが家」と その店主Dさんの 紹介でした 






他人に厳しく 自分にも厳しい (?) お多福

「 他人には厳しく 自分には甘く 」 というのが一般的であるが お多福は 「他人には厳しく 自分にも厳しく」 の信念を貫いているのです

3男1女で育ち 小さいころから親に甘やかされたこともないお多福は 母親からは 「 お前は他人の中で生きていかなければならないのだから 」 と特に厳しく育てられたそうだ

精神的に早熟タイプで 妥協を許さない性格なので 何事にも疑問に思ったことは直接厳格な父親に質問したり 意見したりするものだから 返答に詰まった父親に生意気だと思われ頭を叩かれ 時にはほうきを持って追っかけられることもあったようだ

そんな環境で育ったお多福は 自分のことは 自分で責任をもって行動するという精神の持ち主で 人に甘えるという気持ちを持ち合わせていない 厳しい人種なのです

    img042-2.jpg

厳しいと言えば

エピソード その1
小生が結婚後すぐ 札幌へ出張する日の朝のこと お多福に 「 ワイシャツとネクタイをたのむ 」 とお願いしたところ 「 自分のことは自分でしなければダメ 」 と断られ それからは自分のことは自分で行う習慣になっている

大変良い教育を受けたものです

エピソード その2
お多福の母親が生前 「 私が倒れたり 寝込んでも 娘だけには世話になりたくない 」 と言っていた
厳しすぎて 怖いので うかうか寝てもいられないからなのです

その母が 若いころから高血圧の持病があり 脳梗塞で倒れ 旭川市の病院へ入院したため 看護に嫁含め4人交代で付き添いをすることになりました

そこで お多福の順番がきて病院へ行くと その時に限って ICUに入っていたそうです

これを分析すると どうやらお多福が来ても 優しい言葉もかけてもらえず 厳しく扱われるので かえって病状が悪化するとの判断なのか 安心できるICUに入ったのではないかと推測できるのです

エピソード その3
小生が30~40歳代のころ 毎晩ビールを飲んでいた時に 「体を壊したって 知らないからネ!その時は面倒なんか見ないヨ!」と言われていた

たまたま40歳後半に体調が悪くなり 仕事中に我慢出来ず病院にいったところ γGTPの数値が高くアルコール性肝炎と診断された 即ネクタイ姿のまま点滴され そのまま入院となった
お多福に電話したところ 「 何冗談言ってるの 」 と言われ 確かに 「 面倒見ないヨ!」 を実践された

その時は 三女がパジャマなど入院必需品を届けてくれた

エピソード その4
3年前 孫が1年生の冬休みに 遊びに来た時の話であるが 娘から事前にひらがなの書き方を見てやってほしいと頼まれ 相手をしたが これがまた厳しく 「 読めない字は字ではない もっときれいに丁寧に書くの!」 と孫は何度も何度も書き直しをさせられ 大粒の涙をボロボロ流しながら頑張った

それを傍で見ていた 他の孫たちは固まっていた

冬休みが終わり その泣いていた孫が学校に行って 友だちに言ったそうだ
「 うちのばあちゃんなんか おっかないんだぞ~」 と

自慢話なのか そうでないのか よくわからない
それからは 毎回宿題を済ませてから来るようになった

お多福の厳しい話はまだまだあるのだが 有り過ぎて書ききれない
だから あとは省略する

「 本当の優しさは甘やかすことではない 相手のことを思って 厳しくすること 」 とのこと
もっともなことである

ところで 自分に対してであるが 相手の対する気持ち以上に厳しさを持って過ごしている

中学生の時 「 自分に打ち勝つ者こそ 最も偉大なる勝利者である 」 という言葉を目にしてから このことを人生を通して貫いていくことを 硬く誓ったそうである

・・・とは言いながら ただ1つ 甘いもの (アンコ ) には目が無く 誘惑に負けては自分の甘さを嘆いているのです

先日 北海道新聞地方版に留萌宗谷管内で最高齢の109歳の女性が紹介されていた

明治・大正・昭和・平成と激動の時代を元気に過ごしてきた秘訣が書かれていた
特に甘いものが好きで80歳代の娘が遊びに来ると必ず2人でお饅頭を食べるそうです

しかもこの女性は お多福と同郷の大先輩でした

お多福は この記事を読んで 饅頭を食べても大丈夫と 自信を持ったようです

img041-1.jpg

 左が厳しいお多福 右がアンコの好きなお多福

おわりに このブログの公開にあたっては かなりの部分を校正し お多福の許可を得 且つ厳しい検閲を受けていることを申し添えます

方言玉手箱 その4 ~ おっかない別家のとうさん ~

初山別村に住んでいた小・中学校の時 毎年夏休みに兄と留萌市の本家(父の実家)に3泊4日ほどの日程で遊びに行っていた
本家の隣が別家で ここには非常におっかない( 怖い )とうさんがいたのだ
別家のかあさんが父の姉ですので このとうさんは婿さんでした

何がおっかないのかと言えば まず顔がおっかないのです
そのうえ 大きな頑丈な体に 足が短くガニ股 真っ黒なお獅子のような顔に大きなギョロ目 人の3倍もある大きな声 いつも怒っているような乱暴な言葉 しかもそれが浜弁丸出し おっかない条件が全て備わっているのですからもう大変 子供にとってはこれ以上おっかない人はいない

    獅子頭3

小生にとっては3泊4日で遊びに行くのは楽しいことなのだが 隣の別家のおっかないとうさんと顔を合わせることが最大の苦痛 なんとかこの4日間会わずに過ごせたらと思いながら行ったものです

当時は一家大所帯でしかも親類が近所に大勢いたものですから どこの家もわが家同然 朝早くから誰か彼か出入りしていたものでした

例にもれず 毎朝別家のとうさんが来るのですが 玄関の広い土間に入るるや否や 小生を見つけて

「 ドゴノ ワラスガド オモッダラ ○○○○デネガ 」  (○○○○は小生の名前)
( どこの 子供かと 思ったら ○○○○でないか )

「 スンバラグ ミネウズ ズンブ オガッタナー 」
( しばらく 見ないうちに 大きくなったね )

「 ママ クタガー 」
( ごはん 食べたかい )

「 トッチャ カッチャ ゲンギダガー 」
( 父さん 母さん 元気かい )

「 ウズニモ トマッテゲー 」
( うちの家にも 泊まっていきなさい )

こんな調子で話しかけてくる

話の内容は おっかない話ではないのだが とにかくその声たるや必要以上に大きく乱暴なので いつも怒られている感じなのです

「 アドデ コンブホス ヤルガラ テヅダエ 」
( あとで 昆布干しをするので 手伝ってくれ )

「 ソスタラ ウニ クワスド 」
( そうしたら ウニを ご馳走するよ )

「 ンメノ ンメグネノッテ ウニ クッタモンダラ ホガノ モンナズ クワレネド 」
( うまいのうまくないのって ウニ食べたら 他のもの食べる気にならないよ )

本家別家とも漁家でしたので よく昆布干しを手伝ったものですが 昆布とりで 磯舟に乗ったら必ず酔って吐いたものです
吐いている様子を見て 漁師は 「 サガナサ エサッコ ヤッテル ( 魚に餌をやっている )」 と言います

本家には いとこが女の子3人 別家には女3人 男3人程(確かではない)いたが、もう上の女3人は結婚していたのか家にはいなかった

夏休みの3泊を本家と その近くの親戚のおばさん(父のメイなのだが父より年上だった つまり小生のいとこ)の所に泊まるつもりで行くのだが 大変ありがた迷惑の話で 時には1泊は強引にこのおっかないとうさんの別家に泊まらされるのでした

この別家に泊まるときは ものすご~い覚悟が必要なのです

この家には 小生と同じ年ごろの男が2人いて このとうさん似でとにかくヤンチャ者で有名
一緒に寝ると 寝込みを襲われる
2人で布団をはがされ パンツを脱がされる

脱がされるだけなら まだ良いのです
押さえつけられ 男の一番大切なものをつまんで 引っ張られるのです
恒例だ 子供とはいえ 非常に恥ずかしい

注意を払うのだが いずれは眠くなる すきをつかれ寝込みを襲われる
数度 やられた

だから この別家に泊まるときには ものすご~い覚悟が必要なのでした

でもね いつも被害者ばかりでは なかったんです

こんな男の子の遊びがあったんですねー

ホンデモッテ ( だから ) 他の2軒に泊まるとホッとし安心して眠れ 熟睡できたのです


~ この別家では 泥棒に優しく接待 ~

親戚はもとより部落の皆が日々家族的な付き合いの中で過ごし 他の家を伺う時でも「ごめんください」なんて言わず 自由にあがり込んでいた時代 こんな中に 盲点があった

別家のかあさんが裏の畑仕事を終え 家に戻ると中にちょっと見慣れない人がいたが 近所の誰だか まあどっかのとうさんの知り合いかと思い 「 ドンゾ ドンゾ オチャッコデモ ノンデケ ( どうぞどうぞ お茶でも飲んでください ) 」 とお茶を出し 世間話をするなど接待したのだが ・・・

その客 (?) が帰ったあと 奥の部屋に行ってみたら大変 部屋が荒らされていたのです

すぐ警察官を呼んだようですが 「 ここでもか 」 と その警察官は言ったそうだ
そのころ出回っていた常習犯だったようです

親戚の間でこの話は 50年以上現在まで語り継がれている逸話になっています

このときは このおっかないとうさんは留守のようでした

この大事な時にいないんだから~


この花の名前は?

6年ほど前に お多福が札幌の知人からもらってきた花
珍しい花なのですが

4年前に初めて咲きました

2014a.jpg

2014b.jpg

その後 毎年6~7月に咲いていたのですが
今年は 5月に咲き 
そして8月に また こんなにも咲きました

2016a.jpg

2016b.jpg

もらってきたときは かんざしらん という名前 と聞いていたのですが
ネットで調べると

かんざしらん は 

カンザシランa

これです と出ていました

では ウチで咲いている 花は
何という名の 花なのでしょうか

知っている方 おりましたら ご一報を



音楽合宿のまち

留萌市のPRです

3年前から 留萌青年会議所が 「音楽合宿のまち・留萌」 と銘打って 中・高校・大学等の吹奏楽部を対象に 夏休み期間を利用した音楽合宿誘致活動を展開しています

行政と一体となり 公共施設(公民館・文化センター・スポーツセンター・閉校校舎・町内会館等)を利用し 企業と市民が食事や移動に関して協力体制をとりながら積極的に進められているのです

初年度は 高校1校の吹奏楽部80名から始まり 2年目は高校2校 3年目の今年は600名の申し込みがあったようで 中学校2校高校3校・大学1校合わせて 6校が合宿されました

歓迎用ポスター
音楽合宿ポスター


合宿風景 ( 留萌市議 戸水氏のブログより借用)
5a3bd5a9603d38eb4edfe046dc980887-300x168.jpg

この取り組みが注目され 日本青年会議所主催の第1回地域再興政策コンテストで 昨年7月に内閣府特命担当大臣大賞グランプリを受賞 石破前大臣から表彰状が渡されました

表彰式 (日本青年会議所HPより借用)
20150722ec1_convert_20160908063438-2.jpg


体育系部門での合宿誘致は 道内各地でおこなわれていますが 音楽部門では全国では初めてのようです

この事業に取り組んだ経緯には 実は当市の音楽に関する歴史的な土壌があったのです

これまで当市では優秀な音楽家が誕生しているからなのです

紹介しますと

佐藤 勝  
昭和3年 留萌市生まれ 映画音楽家
留萌高校卒業後 国立音楽大学卒業
黒沢明監督作品の音楽担当 「七人の侍」「用心棒」「あかひげ」等3百作品で
日本アカデミー賞ブルーリボン賞受賞
「恍惚の人」「華麗なる一族」「幸せの黄色いハンカチ」「キタキツネ物語」
ブロードサイドフォーの「若者たち」の作曲者

ピアノ  佐藤勝記念品
佐藤勝氏遺族から寄贈されたピアノとアカデミー賞ブロンズ像等
(留萌市海のふるさと館所蔵)


ダン池田
昭和10年 ソウル生まれ 留萌高校に入学しブラスバンド部を創設
「ダン池田とニューブリード」日本一のバンドとして NHK紅白歌合戦にオーケストラとして8年連続出演
独特の指揮者ぶりを発揮した


宮川 泰
昭和6年 留萌市生まれ大阪学芸大学時代にジャズに魅かれ ピアニスト兼アレンジャーとして活躍
ザ・ピーナッツの育ての親として知られている
「ウナ・セラ・ディ東京」 「銀色の道」 「愛のフィナーレ」 の作曲
「宇宙戦艦ヤマト」全シリーズ音楽の作曲・編曲 
ピアニスト宮川彬良(あきら)の父


森田 公一 
昭和15年 留萌市生まれ
留萌高校卒業後 日大芸術学部作曲科入学
昭和44年 「森田公一とトップギャラン」結成 作曲と演奏活動を続ける
CMに関するものが約4千曲 お線香のCM 「青雲」等
「愛する人に歌わせないで」森山良子 
「一人じゃないの」天地真理
「ひなげしの花」アグネスチャン 
「青春時代」森田公一とトップギャラン
「あの鐘を鳴らすのはあなた」和田アキ子


音楽の分野も色々ありますが この分野では多くの活躍者が出ているのです

このような土壌があったからなのか まちおこしのテーマに 音楽を選択したのは
なかなか 目のつけどころが良い

まだ3年の実績ですが この事業を発展させるためには 各方面の協力が必要ですね

このように 当市だけでなく 地方では 少子高齢化 過疎化が進み 過去の賑わい・活気を取り戻すために 官民一体となって 様々な取り組みがおこなわれているのです

ーーー
小生はといえば 時々 フォークギターを弾くのですが ( これも我流です)

昔々その昔 アメリカンフォークソングのグループ等 の曲をコピーしたり 和製フォークが流行り その頃の曲を ポロンポロン弾いています 

(そういえば あがた森魚「赤色エレジー」も当市出身でした ふきのとうの細坪さんも幼稚園 小学校低学年時代を当市で過ごしたそうです)

最近よく聞く音楽は どちらかと言えば ロック系が多くポールマッカートニー エリッククラプトンが特に好きで 和製では 浜田省吾(TVには決して出ない)をよく聞いている

6年ほど前に 札幌ドームで サイモン&ガーファンクルのライブがあり これは素晴らしかったですね
 






方言玉手箱 その3 ~ いっつから ~

今日は 「 いっつから 」 です  
「 いつから ] ではありません

「 いっつから 」の意味は 「 ずっと前から 」の意味に使われています 
道南方面から伝わってきた言葉のようですが この辺の浜言葉で頻繁に使われている言葉です

28年ほど前のことですが 確か6月中旬だったと記憶しています
仕事で道職員の方と札幌(道庁)に出かける日の朝のことです

そのWさんが車で小生の家まで迎えに来てくれたので 玄関に出て行ったのですが その時の会話です

Wさん 「 もう半袖のワイシャツを着て 寒くないのかい? いつから着ているの?」
小生 「 いっつからだよ なんも寒くないよ」

Wさん 「 いつからだって?」
小生 「 いっつからだよ 」

Wさん 「 ン・・・いつからだって? 」
小生 「 いっつからだよ!」

Wさん 「 だから いつから??」
小生 「 だから いっつからだって!!」

これぞまさしく 「 オウム返し 」 

このやり取りを冷静に聞いていたのが ウチの お多福
クスクス クスクス 陰で声を出さず笑っていたそうです
ああ このWさんは 「 いっつから 」 の意味が分らないのだな と思ったそうだ

小生は何回も説明をしたつもり だからもう分っただろうという判断・・・なのだが

結果的には Wさんは分らず仕舞いだったのだ 
お多福の話を聞いて後で理解出来たのでした

会話の最後は
Wさん 「 ・・・・・・・・」 ということに なるんですね

この方言を知らない人は 「 いっつから 」 の弱い促音の「っ」が聞き取れないそうです
Wさんにとっては非常に不可解な 消化不良の会話だったのでしょうネー

小生は生まれも育ちも 浜ですのでこの 「 いっつから 」 の方言は 「 いつから 」 使っているのかと問われれば物心付いてからですので 「 いっつから 」(ずっと昔から) ということになります

Wさんは確か内陸育ちですので分らないのが当たり前でした

ヤヅハ ヤマゴ ダカラ ワガラ ネンダ 
(あの人は 山村育ちだから わからないのです)

漁村の人が 山村の人を「やまご(山子)」と ちょっと軽蔑した呼び方をするのことがありますが

この言葉が ピッタリでした


ps.「お多福」とは

学生時代に 友だちに 家内の顔写真を引き延ばして みんなで福笑いをしましょうと言われたそうです
福笑いの「おたふく」に非常に似ているからなのです
当時はちょっとばかり 傷ついたそうです

また 毎年お正月には 孫たちに まゆだまの飾り付けをさせるのですが 飾りの「おたふく」をみて 「ばあちゃんがいる」 とみんなで叫びます
しかし 孫に呼ばれると それほど傷つかないようです

という訳で 家内は 「 いっつから 」 「 おたふく」 というサブネーム を 持っていたのです 

今回  「 おたふく」 を 「 お多福 」に 改名することにしました

(また この名前は 砂川市のローズミンタラさんのブログ 豆福さんを参考にさせていただきました あしからず)

留萌市黄金岬からの夕陽
夕陽1

留萌市千望台から見た落陽後の街と天売・焼尻島および利尻山
夕陽3

 | ホーム |