小生の子どものころの遊びと言えば
かくれんぼ 竹馬 コマ回し たこあげ パッチ(めんこ) けん玉 缶けり ブランコ飛び ケンパ だるまさんが転んだ くぎ刺し 忍者ゴッコ 竹とんぼ
山では ぐすべり ぐみ 桑の実 山ぶどう 野いちご 食用たんぽぽ きのこ採り ザリガニとり(沢の小川にいた) 昆虫採り
川では ドジョウ 川カジカ ウグイ ヤマベ トンギョ釣り ゴリすくい カワガニ採り 水泳
浜では 相撲 プロレス(力道山)ごっこ 姿三四郎ごっこ チャンバラ 水泳
冬は スキー スケート かまくら作り 雪合戦 雪だるま作り 城攻めごっこ
女の子の遊びは まりつき お手玉 あやとり おはじき かるた すごろく 折り紙 ゴム飛び なわとび
(女の子の遊びはあまり知りませんがこんなところかな)
田舎の町内の中央部に小規模の公園があって この場所に 仲間が集まりいろいろな遊びをしたものだ

「カクレンボ スルモノ コノユービ トーマレ」
場所によっては
「カグレンコ スルモノ コノユビサ トーマレ」
( かくれんぼ するもの このゆびとまれ )
これは女の子も すぐ集まってくる
仲間に入れてもらいたい者は 「 オレモ カデテクレ 」
( 俺も 仲間にいれてくれ )
女の子は 「 ワタシモ カダシテ 」 と集まってくる
この「カデル」は「仲間に入れる」という言葉だから 仲間に入れることが 認められると 「カデテヤル」(入れてあげる)となり 一緒に遊ぶことになる
参考 ; 札幌市の道庁のそばにある 「 カデル2・7(道立道民活動センター) 」は「仲間を集める」との願いを込め付けた名称のようである(2・7は北2条西7丁目が根拠)
遊びをするときは 「アソブベー」「アソブベア」と仲間をより積極的に誘い込むのに有効で 「ヤマニ ノボルベア」( 山に登ろう ) 「ウミサ イクベー」( 海に行こう ) となると 行かざるを得なくなる
「オレモ カデテクレ」と来たら 時にはこんなことになる
「ヤズハ ナマズルイヤズダガラ カデテ ヤラネベ」
(あいつは ずるいやつだから 仲間にいれないことにしよう)
「ンダ ンダ ヤズハ ヘナマズルイカラ ソウスルベ」
(そうだ そうだ ものすごく ずるいやつだから そうしよう)
「ナマズルイ」に「ヘ」が付くと大変 「ものすごーく」になり 「ヘナマズルイ」と言われたら もうあきらめた方がよい
女の子には
「アイツ メンコイ カラ カデテヤルベ」
(あの子は 可愛いから 仲間にいれてやろう)
一方
「アイツ ミッタクネー カラ カデテ ヤラネベ」
(あの子は 器量が悪いから 仲間に入れないことにしよう)
当時から いじめはあったんです 冷たいんでないかい
この「かくれんぼ」では 「ポッコペン ポッコペン ダーレ ツッツイダ」で鬼をきめるるが 「ツッツイダ者があてられると その者が鬼となり 「ドーコマデ」「○○さんの家の玄関まで」 鬼がその玄関を往復するまでに それぞれ隠れることになる

結構危険な遊びもあった
「くぎ刺し」は1寸釘を土に渦状に刺して 刺したところを線で結び 陣地を作っていくのだが 石に当たり 跳ね返った釘が目に当たり 失明したものがいた
忍者ゴッコでは 薄い鉄板で作った手裏剣を投げ 小屋の壁などに刺すのだが 他の子供の唇に当たり 歯を折ったものがいた もちろん唇は血だらけになった
またブランコを漕ぎ より遠くに飛び出す「ブランコ飛び」では 頭から落ちて 脳震とうを起こしたものやら コブを作ったものやらいたが この遊びは 尻がすれ ズボンに穴を空ける事が多く 帰ってから 母さんに大きくつぎ当てしてもらうことで丈夫になり 「大丈夫」になる
小生もぶどう採りで山へ行き ぶどうの木のツルでターザンごっこをしたものだが そのぶどうのツルが切れて 背中から落ち何分間か息が出来なくなり このまま死ぬのではないかと思ったことが何度もある
意識はあるから心臓は動いているだ とにかく苦しい 誰か背中をさすってくれたらまだ楽なのだが 誰もいないときは 死ぬほど苦しい 声も出ない ようやく息ができるようになると この世にまた戻ってきたような感じなのだ
木に登っている途中つかまった枝が折れ 背中から落ちたこともあるが これまた同じく苦しい
スキーのジャンプで 背中から落ち またまた 息を吹き返すまで 死ぬ思いをした
いま思い出すだけで苦しくなる この話はもう止めよう
パッチ(めんこ)はミカン箱をひっくり返して 底の面を使うのだが 力が入り過ぎて指先を箱板にぶつけ爪をはがしたり 豆を作ったものだ
自分より裕福な家庭の子は 流行りの新しいパッチを持ってくる 何とかそれを狙うと どうしても力が入る
このころのみかん箱は 当然木製であったが 殆どが「有田みかん」 の箱 当時から有名だった
(このミカン箱は正月になると 餅の保存ケースとなる ケースと言えば聞こえはよいが 単なる保存箱だ)
指先をぶつけることを「デッペ」と言った なぜそう呼んだのか分らない 「デッペ」なのだ
珍しい絵柄のパッチがあると 自分のものと交換交渉になるが これを「バクル」と言い
「ソノ パッチ オレノト バクッテ ケレ」
(そのめんこ おれのものと 交換して ほしい)
交渉が成立すると
「バクッテヤル」 (交換してあげる)になる
リモコンの乾電池の交換は「バクル」とは言わない
「交換する」という 当たり前
当時パッチは 漫画の主人公の絵柄 野球選手 大相撲の力士などの顔写真が人気だった

遊んでいて 時には喧嘩になることも多かった
故意にではないが 相手の 頭だとか顔に手が当たったりすると
「オメ ナニスルノヨ イテデ ネガ」
(おまえ 何するのだ 痛いじゃないか)
「オラ オメニナンカ ナンモ シテネド」
(俺は お前に なにもしていないよ)
「ナニヨ オメガ オラサ ブッタダイダ ベヨ」
(何さ お前が 俺を 叩いたのではないか)
そのうち 大喧嘩になり 叩き合いになることあった
「コノー テメデ ネガ ワッチャクチャニ ハダギヤガッテ」
(この野郎 お前でないか むっちゃくっちゃに たたきやがって)
だんだんエスカレートしてくる
しまいには 相手の親の悪口まで言い出す
「オメノ オヤジハ クソオヤジ オマゲニ デーベソ」
(お前の親父は くそ親父 そのうえ 出べそ)
「ナニ コクダ オメ オヤジハ ゴリンパゲ」
(何言ってるのだ お前の親父は 五厘はげ)
*五厘はげは 昔の五厘硬貨と同じ大きさのはげ ということになるが 誰も五厘硬貨など見たことはない
喧嘩言葉にも 言い伝えの伝統があった
「オメコソ ナニコクダ オメノ ヤンジハ ツルッパゲ」
(お前こそ 何を言ってるのだ お前の親父は つるつるはげ)
喧嘩言葉も出尽くし これ以上の言葉が見つからなくなると 大抵はお開きとなる
「コッタラ モント アソンデラレネ」
(お前なんかと 遊んでいられない)
「カエル ベア」
( 帰ろう ) ここでまた「ベア」が付き 積極的に みんな一緒に 帰ろうということになる
でも こんなことになって お開きになることは 稀であって
いつもは 空が夕焼けに染まり カラスがねぐらに帰るまで 楽しく遊んだものです

今日のブログも この辺で お開きですが
一緒に昔の遊びをしたり 昔のことを思い出させて話をすることで 年寄りの認知症予防に 役立つ方法があるらしい これを「 回想療法 」 と呼ぶそうです
同期会 クラス会などを頻繁に開催し、当時のことを語らうことも 小生たちの年代にとっては 必要なことのようです
この 「 方言玉手箱 」 を書く毎に どんどん童心に戻っていきます
若い気持ちは必要なのですが ・・・・・
必要以上に 子供になっているのです