プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
以前から続けてきた手作りでのクラフト創作で、主に手先・目そして頭を使うことで多少なりとも老化速度を遅らせる効果を期待している。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。


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まとめ

物忘れ防止法

物忘れは誰もがするのですが 小生も例にもれず 最近激しくなっている

今朝のNHK「あさいち」で 物覚えに効果的な方法が紹介されていた
つまり 物忘れ防止法だ

例えば「卵と玉ねぎ人参」を覚えるのに 「ピーピーピー」と言ったあとに「卵と人参と大根」と暗記すると忘れないとのことだ

「パ・ピ・プ・ペ・ポ」の音が
ハッピーに また楽しい気持ちにさせることで
物覚えが良くなるとのこと

幾つでも ものを覚えるとき
3回「ピーピーピー」と言えばよいようだ

また
大根をおろすときは 「ザ・ザ・ザ」と声にしながら行うと
作業時間が短く早く終わるとか 

片手で卵を割るとき
「キュ」としっかりつかみ「コンコンコン」と軽くたたき「パッ」と声に出して割ると うまくいくらしい

実験していたが 確かに効果があったようだ

心理現象なのかどうか よくまあ こんなことを研究する人がいるもんだと感心している

昨年のこと

小生が作業に取り掛かろうと 気合を入れて工房へ行く時のことだ 
自宅の2階から4つの材料と道具を持っていかなければならないところ 
階段を下りる途中で1つの忘れ物に気づいた
つまり3つしか持っていなかった
 
2階に引き返し忘れ物を確認 
その残りの1つの道具を持って階段を下りたが・・・
今度はもともと持っていた3つの道具を忘れたのです

「二兎追うもの一兎も得ず」ではなく
「四兎を追うもの一兎しか得ず」だった

でもまだ良かったのです
どうしてかというと 作業場に行く途中で思い出したからだ

しかし今となっては その4つの物が何だったのか
完全に忘れ 思い出せない

今度からは この「あさいち」の効果的な方法を取り入れることにし

作業場へ行くときは「ピーピーピーピー」と四回口にしてから確認することにした

でも
小生は 国際的スターになった「ピコ太郎」のファンだから

「ピーピーエーピー(P・P・A・P)」と言うことにしたのです

これは効果がありそうだ


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まるで雲海でした

24日の朝は 全道的に冷え込み 占冠村・幌加内町朱鞠内など4地点で氷点下30度台を記録
全国の観測地点の80%(790箇所)で氷点下

当市でも放射冷却現象が強まり20度を超えた

放射冷却現象ということは 日中は晴れる
風が無いから留萌らしくないが 過ごしやすい

今冬は少雪 吹雪も少ないので 体が楽だ
こんな冷えた朝は 例によって「けあらし」が発生する

けあらし1
今季最高の「けあらしショー」 
まるで雲海だ 雲海に暑寒岳がそびえ立っている

外気温と海面水温の差が15℃程度で発生する

この時間は7時過ぎ 気温は氷点下19度であった

けあらし3
夏は家族連れでカニ釣りで賑わう黄金岬

けあらし5

けあらし6
黄金岬から留萌港南防波堤方向

「けあらし」で防波堤・灯台が見えない

今日は全国各地で「けあらし」が発生した報道もあったようだ


高校時代3年間は上川管内風連町(現名寄市)で過ごしたが 3年生の時 氷点下30度台が1週間続いたことがあり
月曜日の体育館での朝礼が長く 寒さでバタバタと生徒が倒れたこともあった

当時校舎の暖房は各教室石炭ストーブで 当然ながら体育館には暖房設備は無かった

留萌管内では今も吹雪で小・中学校がよく臨時休校になる

当時の風連では 吹雪はほとんどなかったが 氷点下25度で小学校が始業時間1時間遅れ 
30度を超えると小学校が臨時休校で 中学校は始業時間が午後からとか・・・

ただし高校は気温には関係が無く 残念がっていた記憶がある

また高校の校舎までは徒歩で5分ほどであったが 耳が凍傷で毎年2~3回皮が剥けていた

あのころの肌に突き刺すような寒さは忘れたが 気温の下がった日には いつもこの風連町の寒さを思い出す


「増ケ」の話題

昨年12月JR留萌線留萌~増毛間が廃線となったことは ご承知のとおり
廃線ブームで増毛町へ訪れていた観光客の姿は 今はもう見られなくなった

しかし 全国から増毛町への応援団が増え いわゆる「ふるさと納税」への寄付額が過去最高を記録
最終運行日の12月4日には658件もの寄付者がいたようだ

増毛町と言えば 読んで字の如く「毛が増える」と書いて「増毛」 ゾウモウだ

昨年12月 JR留萌線留萌~増毛間廃線関連報道で 四国四万十市の半家(はげ)駅から増毛(ぞうもう)駅までの「願掛けプライベイトツァー」がもう出来なくなるとテレビで残念がっていた旅行者がいた

小生も若いころから抜け毛が激しく 50歳を過ぎるころはもうダメかなと諦めていたのだが 意外とハゲの侵食力が遅れ まだそれなりに残っている 

しかし いつ加速するのか恐怖だ

養毛剤のカロヤンを使ったりしていたが 面倒くさいということもあり最近はほとんど使っていない
効果があるのかどうか わからない

リアップは効果があるとテレビでPRしているが これは高価な硬貨(お金)が必要
そこまでの努力が必要なのか?


先日ちょっとした文章を頼まれ パソコンでプリントアウトして自信を持って確認してもらったところ 1ケ所間違いがあった
「スケジュール」という単語が「スジュール」となっていたのだ

間違いに気づいた方からは「増ケ」してくださいと 言われた
「ケ」が抜けており これぞまさしく「抜けケ(毛)」だ

かたじケなく思い 「ケ」を増やして訂正

最近は「半家(はげ)」だとか「増毛(ぞうもう)」だとか「送毛(おくりげ)」だとか「大楽毛(おたのしけ)だとか「毛無山(けなしやま)」だとか とにかく「毛}にまつわる字に取りつかれ 意識過剰になっているのだ

「ケ(毛)」に意識しすぎているために 
こんなことになるのだネ 

アラ・セブ(Around Seventy)だから
もう自然体・無心の域に達しないといけない

と思っている ケウ(今日)この頃なのです


ただ一度だけの鼓笛隊演奏

14日(土)旭川市民文化会館で北海道アンサンブルコンクール旭川地区予選が開催され 身内の者が出場していたので 聴いてきました 

吹奏楽などの演奏を聴くと いつも思い出されるのは 小学校の卒業式での学年全員による鼓笛隊の演奏なのです

卒業直前1960年(昭和35年)の年明けに鼓笛隊が急きょ結成され 初めてで 最後の ただ一度だけの演奏でした

当時 わが小学校にはめぼしい楽器もほとんど無く もちろん鼓笛隊も存在していませんでした

ところが6年生の時 3年後を目途にした鼓笛隊編成の計画が具体化したのです

さっそく楽器購入資金調達のため毎月1回高学年児童で廃品回収を行うことなり
手分けしながらリヤカーを引き 冬はそりで町内の各家庭を回ったのを覚えています

学年全員といっても60人程ですが 学校の行事には何でも積極的に取り組んだ学年でした

この廃品回収の収入は1回2~3千円で 当時としてはこの1回の収入では小太鼓一つにも届かない金額だったようです

6年生としては 後輩下級生のための活動ですから 気の遠くなるようなリアカーとそり引きなのでした

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ところが 担任のO先生が 卒業までに楽器を手にすることの出来ない無償の活動で 顔を真っ赤にしてそりを引く子どもたちに楽器の姿さえ見せられない不甲斐なさを痛感し この気持ちを暮の12月のPTA役員会でぶつけたそうなのです

この気持ちが通じ 大太鼓 小太鼓 リラグロッケン アコーディオン アルトパイプなど最低限の楽器が揃い 卒業式で我が学年全員による鼓笛隊の演奏が行われたのでした

急な鼓笛隊編成でしたので 練習回数も少なく スペリオルパイプを口にするだけの吹いてはいけない者もいたのです
演奏曲は「希望の虹」(どんな曲か忘れています)「小学校校歌」の2曲ですが このとき一度だけの演奏でした


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さて このときの楽器はどのようにして揃ったのか 今だ謎なのです
当時は ニシン漁の衰退などで第一次産業中心だった村はどん底状態であったはず

楽器店からの協力はあったのかもしれませんが 保護者からの大口寄付なんて考えられず・・・
PTAで融資(借金)を受けたのか???

とにかく 担任のO先生の情熱が 12月のPTA役員会で参加者全員の心をつかんだことは事実なのでしょう

そして この担任O先生のPTA役員会での行動は 数十年後に解ったことなのでした



激しい吹雪でした

年明けから 当市では珍しく穏やかな日が続いていたが やはりやってきた
荒天です 10日から吹雪

吹雪1
12日朝 猛吹雪に耐えた我が家の姿

当市の冬の季節風は西または北西で玄関の向きが東だから 家の前に吹き溜まりができる
昨日は雪かきは3回 今日は2回で済み ようやく夕方には静かになった
でも今回の吹雪での雪の量はそれほど多くはなかった

吹雪2
今年は雪が少なく 家の前の道路は まだ2車線残っている
いつもは1車線になり 車のすれ違いに苦労する

吹雪3
吹雪の日でも一瞬の間 風がやむときもあり

吹雪4
また吹雪の状態
これ以上になると 何も見えなくなり 
真っ白なので 写真は省略

わが家は NHKお天気カメラの設置されている千望台の中腹の団地にあり
ここは海抜約100mなので海から吹き上げる風がもろに建物に当たるため シベリア団地と呼ばれている

どこの住宅も強風で2階は揺れる
そのため 中古住宅として販売しても なかなか買い手がつかない

でも 良いこともある
冬以外は 景色が良く 夕陽と天売・焼尻島 そして利尻島も見えることがある

一番良いことは 絶対的に津波には強いことだ


留萌の冬が 小生の体力づくりをしてくれているのです  

      

初山別村イメージキャラクターグッズの製作~その2~

初山別村のイメージキャラクターデザイン「しょさまる」を使用したグッズの製作です

前回「時計」と「レターボックス」を紹介しましたが 今回は次の3点

まずはカッププレート
コーヒーカップ ジュースのコップなんでも結構
コースター感覚のものです

カッププレート1 カッププレート2
5.5mm厚のMDF材でかたどりしたプレート版にキャラクターをトレースし 色付けします
1枚1枚手書きです

カッププレート3
色付けした後 ウレタンニスを2度塗りして仕上げ
プレートのサイズ上 顔だけのデザインです

つぎに ポケットティシュボックスです

ティシュボックス1
5.5mm厚のMDF材を使い
同じ工程です

ティシュボックス2
これも顔のみのデザイン

このポケットティシュボックスを作りだしたきっかけは あちこちで貰ったポケットティシュが溜まり過ぎ なんとか使えるようにするためでした 
結構好評です

つぎに テープカッター

テープカッター1 テープカッター2
9mm厚のMDF材で部材をかたどり トレース後色付け

MDF材を30ミリ厚にしたもので歯車を作り 丸棒を通す穴をあけてつくります
これは結構技術が必要

テープカッター3
ウレタンニスを塗り 
木工用ボンドで 組み立てて完成

とりあえず これで「置き・掛け時計」と「レターボックス」と合わせ5点のグッズが出来上がりました
時計完成2 レターボックス完成2


さっそく初山別村長へ完成報告したあと 初山別温泉「ホテル岬の湯(岬センター)」と商談した結果 3月から温泉とホテルの売店で扱っていただくことになり それまでに注文数だけ製作しなければなりません

また 岬センターの前に「道の駅(ロマン街道しょさんべつ)」があり この売店でも販売できるよう近々商談交渉の予定

「しょさまる」グッズの紹介でした

留萌での冬休み合宿

親たちが帰って2日目 

孫たちは いつも休みは留萌でと 居残り
遊びに学習にと一生懸命です

2日がかりで凧を作りました
凧作り1
凧の紙に自分の個性を出しながら絵を描いています

凧作り2
こんな絵柄になりました
左から「アオフクロウ」 「ドラえもん」 「自分の顔と魚と蝶」など
新聞紙の足を付けて完成です

さっそく5日の朝 揚げてみました
凧揚げ1

凧揚げ2

凧揚げ3
留萌には珍しく元旦から無風状態
この四十数年間で あまり雪も降らず 風の無い正月は初めて
この日も 風が全くないので 走らすことにしました

何とか揚がりましたが 走り疲れました

つぎに自由研究です
状差し作り1
作業場が寒いので 完全防備です
のこぎりを使っていますが なかなか難しい
曲がったり 別なところを切ったり
コツを教えながら 進めます

大工道具などに興味を覚えるかどうか ここで決まります

 状差し作り2-2 状差し作り3-2
木部用塗料で色付け後 乾燥させます

状差し作り5
木工用ボンドで組み立て後 ニスを塗り
文字を入れ
「手紙入れ」が出来上がりました 
これも2日がかりでした

つぎに自由研究その2です
自由研究1
悩みながらデザインし 色紙・厚紙を切ったり貼ったり時間がかかりました
相当疲れ顔です
お多福が見かねて 手を貸します
自由研究2
これが来上がりました
立体感を出すのに苦労したようです
「クリスマスの夜」 と 「海の水族館」だそうです

夏・冬休みは留萌で過ごさなければ 休んだ気がしないと 
いつも孫たちは1週間は親が帰っても残るのです

様々な新しい体験をしながら過ごします
時には じいちゃん ばあちゃんに怒られながら・・・

 

娘家族と正月を過ごしました

いつものとおり元旦に娘家族がやって来ました

一気に3家族12人が増えました
まず例年の如く 孫たちに「まゆだま」の飾りを付けてもらいます

「まゆだま」の木は いつもミズキの枝を近所の散歩コースから調達してきます
まゆだま1

まゆだま2
喜んで力をあわせながら飾りを付けます
おたふくもぶら下げます

まゆだま3
出来上がりました

孫たちはさっそく遊び出します
すごろく
すごろくです
福笑い
これは福笑い なかなかうまくいかない
こま回し
こま回し これが一番むずかしい

今年の三が日は全く雪が降らず 非常に楽な正月
こんな年は珍しい

4日からはそれぞれ仕事なので 3日に親たちは帰り
6人の孫のうち4人が8日まで残ることになった

除雪1
除雪2
今朝は雪が降り 適度な積雪なので
雪かき 雪運び 雪捨ての手伝い

このあと 冬休みの自由研究などに取りかかっている
孫たちもよく遊ぶが すべきことも多い

新年あけましておめでとうございます

年が明け 新しい年2017年(平成29年)を迎えました
おめでとうございます

今年の年賀状の絵柄は これです

羽子板2

毎年 年賀状のデザインに頭を悩ませるのですが
今年は年末に製作した 「おたふく羽子板」にしました

昨年11月 お多福が京都で見つけてきた「おたふく」の日本手拭いの絵柄を参考に 正月の飾りにと製作したものです

   絵てぬぐい

「おたふく」は  「お多福」 「阿多福」とも書き 文楽人形では「お福(おふく)」 狂言面では「乙御前(おとごぜ)」あるいは「乙(おと)」ともいうそうです

「おたふく」という名称は この狂言面の「乙(おと)」音の転訛ともいわれ 他にも「福が多い」という説と 頬が丸くふくらんだ様から魚の「ふく(ふぐ)」が元という説もあるとのこと

img042-2.jpg

「阿多福」は「阿多福面(おたふくめん)」の略で 醜い顔であるという意味で 女性に対して浴びせかける侮辱語としても使用されることがあるのもご存知のとおり

「おふく」は室町時代にはすでに出現していた大道芸 新春の予祝芸能を行う門付芸「大黒舞」で大黒天を中心に えびすの面を覆った人物とともに 同様に覆面で連れ立って現れたキャラクターであるとのこと

「おふく」という名称はとくに江戸時代初期(17世紀)に大阪で生まれた文楽でとくに使用されるもので 文楽人形の首(かしら)の一つの名称でもあるらしい

「おたふく」と同じ意味に使われる「おかめ」という名称は時代は新しく とくに近世(17世紀~19世紀)の江戸の里神楽で使用されるもの とネット「Wikipedia」から参考にしました

いづれにしても「福を呼ぶ面相」であるとして愛され 写真の「おたふく手拭い」のとおり酉の市の大熊手にも取り入られています

パーツ2
羽子板はこのようなパーツを作り 小間物として100円ショップで購入した飾りを適当に貼り付け完成させています
さすが熊手までは取り付けるスペースがありませんでした

正月は孫たちと
だるま落としけん玉2
だるま落とし けん玉
こま
こま回し
凧工作セット
凧・連凧工作セットで組み立てなど 
童心に戻り一緒に遊びます

新しい年を迎え 「健康第一」「商売繁盛」「家内安全」を祈願し おめでたい「おたふく」を紹介しました

ミニ門松

よい一年でありますように

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