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夏祭り

ようやく夏らしくなり 
この日(28日)の気温は28度

北海道では7月下旬から8月上旬の短い夏にお祭りが集中

当市では「港まつり」が 
「呑涛まつり」と名を変え 今年で29回目 

前夜祭に引き続き あんどん行列が開催

1呑涛まつりチラシ1

今回は写真ブログ

先導車と広報車
スタート 6時45分 まだ薄明るい

2呑涛まつり先導車

1広報車

はねと 小学生から多数参加

はねと6-1

建設業協会

2建設業協会1

若人あんどん隊

3留萌高校1

4若人あんどん隊1

高校生による あんどん
今年度から留萌高校と千望高校が統合

3留萌高校1


市議会
議長以下議員全員参加

6市議会1

女みこし

7女みこし1JPG

はねと 
黒潮太鼓も参加

はねとと黒潮太鼓1

留萌振興局・教育局 道職員も参加
開発建設部(国機関)は はねとで参加

8留萌振興局・教育局1

みなとライオンズクラブ

9みなとライオンズクラブ1

市役所・市立病院

10市役所1

留萌信用金庫

11留萌信金1

留萌信用金庫の
あんどんの回転動画 1分08秒

クリックしてみてください



ロータリークラブ

12ロータリークラブ1

商工会議所・自衛隊

デザインは「西郷どん」みたいです
裏は 
キャラクターの「KAZUMOちゃん」が「西郷どん」に変装?

13商工会議所・自衛隊1

今回は天候に恵まれ大賑わいでした


カナダ先住民族文様の彫刻

十数年前に彫刻したトーテムポールを紹介

  トーテムポール1

  トーテムポール2

これはカナダへ行った時に小さなものを手に入れ 拡大して彫ったもの

カナダでは先住民族を尊敬の意を込め「ファーストネーションズ」と呼び 
国内では200近くの部族が登録されている 

中でも太平洋北西海岸には 豊富な資源に恵まれた環境のもとで 定住生活を営むことが出来たため 他の地域の部族とは違った独自のユニークな生活様式や文化・芸術を築いた部族がいた

この地域には大きく分けて6つの部族がいて それぞれ芸術性の高い文化を育くみ 特徴的なものにトーテムポールやマスクの彫刻などがある

以前に紹介したアイヌの木彫家砂澤ビッキもその影響を受けていると思われる作品が多くある(私見)

中でもブリティッシュコロンビア州のクイーンシャーロット諸島のアンソニー島にはハイダ族の居住する村が多く集まり ハイダ族の芸術と村落址が残っているこの場所は 歴史的に重要性が高いとして1981年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている

このハイダ族の芸術作品は最も知られた古典的なノースウエストコーストの文化スタイルとして知られている

トーテムポールはその一族のシンボル
 
全てのトーテムポールには動物と人間が刻まれ それぞれの家系の始まりは動物が化身したのだと信じ クマ オオカミ クジラ サーモン ワシ カエル などの生き物が刻まれている

ほとんどは トーテムポールの一番上にその一族を象徴するものを刻んでいる

また
身近な動物をシンボルとして芸術的にデザイン化したものが多くあり彫刻にしてみた

鷹1

これは Eagle(タカ鷹)

名声と力の象徴
素晴らしい力強さと優れたリーダーシップを表している

次に Killer Whale(シャチ)
美と力の象徴
シャチは旅人であり 仲間を終身連れ添うことからロマンスのシンボルと言われている

  シャチ1

タカ(鷲)もシャチも以前に彫ったものだが

今回は 
Salmon(サケ鮭)を彫ってみた

サケ1

木材は ヒノキ

カナダ文様サケ1

サケ(鮭)は再生 献身 忍耐の象徴
全ての沿岸の民族から高く尊敬されている

色付けは黒と赤と青が基調だが 鮭は黒一色とした

他の動物を彫ったものもあるが また紹介したい
これらのデザインは自作ではないので あくまで自己鑑賞用としている

大好きなカナダ先住民族文様だが
 
アイヌ民族の伝統・芸術文化も大切に保存・継承し 後世に残してもらいたいものだ



たわいのない話

プロ野球読売ジャイアンツの自力優勝が消滅!

オールスター戦明け ジャイアンツは7連勝後 
首位の広島カープと対戦
3連勝すれば首位との差が2ゲームになるところだったが

エース級のピッチャーが見事に打たれ
なんと3連敗 返り討ちにされた

3連戦の3戦では丸(マル)に2本もホームランを打たれ 丸(マル)は二重丸(◎)をもらった
しかもこの日20号のホームラン

3本も打たれたら 花丸(ハナマル)になるところだった
また ネスカフェの「バリスタ」でコーヒーを飲んだバティスタにも1発食らってしまった

マツダスタジアムでは今季8連敗 昨年の8月から1勝もしていない
何と12連敗!! 

ジャイアンツは文字どおり「コイのエサ」と化している

昨日もヤクルトに負け4連敗
勝利投手の小川は「ライアン小川」と言われている
太ももの筋肉がすごいらしい

ライオンみたいなやつだ

ジャイアンツの選手はもっとたくさんヤクルトを飲んで頑張らなきゃダメだ

たわいのない話1

今日の先発は調子の良いヤングマン 連敗を止めて欲しい

このヤングマンは
後期高齢者になってもヤングマンと呼ばれることに抵抗はないか?
年をとってもヤングマン いいね!

ヤングマンは日ハムに移籍した方が良い
何故か?

札幌ドームでは5回が終わりグランド整備の合間に西城秀樹のヤングマンの曲が流れ ファイターズガールと一緒にみんなで歌って踊る

この球場に似合いそうだからだ
登場曲はやはり今もヤングマン
ピッタリだ

ジャイアンツには面白い名前のピッチャーが多い

アダメス   
 雨模様(アメダス)が気になるアダメス

メルセデス 
 車はベンツが好きな メルセデス

他球団にもいるよ

トンキン (日ハム)
 何となく間抜けっぽい名前 
 トンキン湾(ベトナム)から来たわけではない
 ミネソタ ツインズから来た

アマダー(楽天) 
 人造生命体(アバター)の弟か?
 アマちゃんと呼ばれているらしい
 全然イメージが違うのではないか
  
ペゲーロ(楽天)
 酒を飲み過ぎて吐きそうになるタイプ
 少し控えた方が良い
 イチローのマリナーズにもいたらしい

ソト(DeNA)
 ウチにいるより 外(ソト)が好きなソト
 ソトだから外野手かと思ったら二塁手だった

日本人選手もいるよ

公文 (日ハム)
 学習塾(公文)に通っていたが人生の進む道
 に苦悶し最終的にはプロ野球に進んだ
 成功への道となった
   
まだまだ沢山いるが 今日はここまで
話はすっかり脱線してしまった シマッタ!

はたして ジャイアンツの 逆転優勝は可能か!

たわいのない話2

可能性としては日ハムの方があるのかも…
ー(隠れ日ハムファンより)ー


 

「アイヌ神謡集」と知里幸恵

今年は北海道命名から150年 
命名に携わったのは探検家松浦武四郎 

松浦武四郎の功績に蝦夷地の先住民族「アイヌ」の協力があったことは言うまでもない

この「アイヌ民族」に関心を持ち これまでブログに
川村カ子トアイヌ記念館 砂澤ビッキのアトリエ~その1~ 砂澤ビッキのアトリエ~その2~など

何度か取り上げたが 今回は19歳でその生涯を閉じた「知里幸恵」について紹介したい

今回のブログも長いので 興味のない方 ご遠慮なくスルーで結構

知里幸恵の生涯

1903(明治36)年
登別にて アイヌの父高吉 母ナミの長女として誕生

1909(明治42)年
旭川近文でキリスト教の普及活動をしていた金成マツ(母の姉)のもとに モナシノウク(祖母)と共に身を寄せる
祖母は有名なユカラクル(叙事詩)の語り手であった

1910(明治43)年
上川第三尋常小学校(のちの北門小 道教育大学付属旭川小)に入学
マツの聖公会伝道所が現在の北門中学校敷地に新築移転し三人で移り住む
アイヌ児童教育の目的で上川第五尋常小学校(のちの東栄小)が開校し 幸恵も移る

1917(大正6)年
祖母と叔母を訪ねてきた金田一京助と出会う
金田一京助は 幸恵の聡明さに驚く
幸恵はこの時旭川区立女子職業学校の学生

1920(大正9)年
女子職業学校卒業
金田一京助より幸恵にノートが送られ アイヌ文芸の筆記を勧められる
ローマ字表記の練習に励み金田一のもとに送る
その合理的な表記に驚嘆した金田一は幸恵の才能を再確認し 出版する企画を立てるが 心臓の持病のため療養生活を送っていた幸恵は辞退し続ける

1922(大正11)年
上京の決意を固め金田一宅に下宿し アイヌの伝承の筆記などをしていたが 徐々に心臓が悪化
9月「アイヌ神謡集」の原稿が幸恵のもとへ届けられ 校正作業が終わった18日 容態が急変 心臓発作を起こして19歳3ヶ月の短い生涯を閉じる

1923(大正12)年
「アイヌ神謡集」が郷土研究社より「炉辺叢書」(民俗学の原点となる貴重な書物を集めたもの)の1冊として刊行される


「アイヌ神謡集」は幼い頃から祖母モナシノウクや叔母の金成マツから聞いていたアイヌの神謡(カムイユカラ)を編纂 翻訳したもの

「銀の滴(しずく) 降る降るまわりに 
金の滴(しずく)降る降るまわりに・・・」
で始まる有名なフレーズ

この「アイヌ神謡集」の序は名文で 幸恵の心情 思いが充分に伝わるもの

アイヌ神謡集序1

「狩猟・採集生活」をしていたアイヌの人々にとっては自然破壊ばかりでなく 同時に生活を追われ 平和な日々をも壊すもので この「神謡集」の「序」には滅びゆく民族・言語・神話を自覚し 祈りにも似た思いを語り継いでいこうという切ない願いがあり アイヌ文化を守りたいという切々とした思いを伝えている

「アイヌ神謡集」は1923(大正12)年に出版され 英語 フランス語 エスペラント語にも訳され今なお書店に並んでいる

1990(平成2)年幸恵が住んでいた現旭川市立北門中学校敷地内にアイヌ民族関係者・旭川市民有志が 6月8日の誕生日に「知里幸恵文学碑」を建立 除幕式が行われた
この時の有志の会は「銀の滴降る日実行委員会」 

この日はポツリと雨が降ったようだ

以来毎年この日に旭川市立北門中学校にて「銀の滴降る日 知里幸恵生誕祭」が行われている
主催は 旭川アイヌ協議会 旭川チカップニアイヌ民族文化保存会 ピリカウレシカの会

いつもブログにコメントをくれている お多福の友人jyarinnkoさんが以前この学校に勤務 丁度記念碑建立時に在籍しており また現在の校長とも懇意とのことで この度彼女のツテで文学碑と校舎内の資料室を拝見することが出来た

まずは校舎敷地内の文学碑

彫刻家空充秋氏による御影石の文学碑
高さは2.5mと2m

知里幸恵文学碑1

知里幸恵文学碑2

碑の頭には 
アイヌの村の守り神「シマフクロウ」

知里幸恵文学碑3

北門中学校と校内の資料室

知里幸恵資料室

知里幸恵遺稿とノートを複写したものでユーカラやアイヌ語のローマ字表記したものが記されている

知里幸恵遺稿1

直筆の複写

知里幸恵直筆文

自らアイヌ民族の出身で35年にわたり旭川市の小学校教員だった荒井和子先生が「アイヌ神謡集」の情景を布絵に表した作品が数多く展示

荒井先生の両親が知里幸恵と共に小学校時代を過ごされている

布絵1

布絵2

また 三浦綾子が「知里幸恵さんの優しさ」と題し 「和文の表現の豊かさ 楽しさ 格調の高さは当時の詩人たちも私も19歳の訳文とは思えぬと感嘆した しかしそれ以上に幸恵氏の生来の優しさには舌を巻いた」と当時のエピソードを添えたものが三浦光世氏の書で展示されていた

三浦綾子書文1

明治政府が北海道開拓を始め 「同化政策」により日本人化させられたアイヌ民族 そのアイヌ民族の誇りを取り戻す運動の先駆者となった知里幸恵 まだ命あったならと思うのはボクだけではないはず

そしてアイヌ民族への政策と待遇改善を政府に求めた探検家松浦武四郎
その願いは届かず 無念に北海道から郷里(三重県)に帰った松浦武四郎

アイヌ民族にとっては強い味方だったが・・・

幸恵の弟(真志保)は東大に進み金田一京助に師事 北海道大学教授 アイヌ語学者となった
叔母(マツ)は「アイヌ叙事詩ユーカラ集」20巻を刊行1956(昭和31)年アイヌ文化伝承の無形文化財保持者となり 紫綬褒章受章
母(ナミ)も1962(昭和37)年に紫綬褒章を受章している

また知里幸恵の生誕の地 登別にも記念館があるので 訪れてみようと思っている

2020年には白老ポロト湖畔に 民族共生象徴空間として
国立アイヌ民族博物館 国立民族共生公園が誕生する
現在工事が行われているが 

アイヌ民族の伝統・文化を大切に後世に保存・継承してもらいたいものだ


*資料室内の写真撮影及びブログ掲載ついては 学校(校舎)管理者から許可を得ています


四季彩の丘

「四季彩の丘」が見ごろです

ここは 美瑛町の「展望花畑 四季彩の丘」

旭川市から富良野方面へ車で50分ほどの所で 野菜や穀物そして花でパッチワーク柄になる広大な畑

今では「大地に広がる観光の丘」になっています

四季彩の丘1

面積は14ヘクタール
東京ドームが4.7ヘクタールといわれているので
想像してみてください

四季彩の丘3

シーズンは5~10月ですが
最も見頃は7月から9月

四季彩の丘4

約30種類の花々が一斉に咲き乱れ
虹色と言われる時期は9月頃までらしい

四季彩の丘5

6月は     ポピー カンパニュラ
7~8月は  ラベンダー キンギョソウ
9~10月は マリーゴールド ケイトウなどが綺麗とのこと

四季彩の丘6

キンギョソウ シルバーダスト ケイトウ 
マリーゴールド など多種の花が咲いていました

四季彩の丘9 (1)

「四季彩の丘」の「ロールちゃん」が出迎え
ノロッコ号(トラクターバス)で丘を一周することができます

四季彩の丘7(1)

乗り物は他に バギーと カートも用意されています

中国 台湾 韓国などアジアからの観光客で賑わい
多くの観光バスが駐車していました

四季彩の丘8(1)

こちらは「四季彩の丘」から車で20分ほど美瑛町側に戻った
「パッチワークの路」

展望台があり
ラベンダーがまだ残っていました

パッチワークの道(1)

「四季彩の丘」はまだ色彩が淡いように感じられましたが
これから更に濃く鮮やかになるのでしょう

9月以降は 畑の奥に見える山々が紅葉し
花畑と紅葉のコントラストが楽しめるようです


白樺のペン立て

知人が薪ストーブを使っているので 冬季間の暖房用に使ってもらおうと 白樺を裏庭に無造作に置いていたのですが
 
白樺ペン立て1
(これは細い白樺)

とりあえず
ペン立てにできないか 試みることにしました 

適当な長さに切って

白樺ペン立て2

中をくり抜くのが一苦労
特殊な工具が必要なのですが

手持ち工具の電動トリマーで少しづつ削ってみましたが

白樺ペン立て3

トリマーに取り付ける長い刃の持ち合わせがなかったので 
多少浅めのペン立てになりました

白樺ペン立て4

短めの鉛筆が収まりが良いようです

工房を始めてから鉛筆を随分使うようになりました
学生時代でもこんなに使っていませんでした

木を削っただけのペン立てですが 
木の香りとぬくもりが何とも言えず良いですね



思い出した言葉

先日 小樽へ行った折に「小樽市鰊御殿」を訪れた

この鰊御殿は北海道の有形文化財に指定され 郊外の祝津(しゅくず)という地区の小高い場所に建てられている

小樽市にもともとあった鰊御殿は札幌の「北海道開拓の村」に旧青山家漁家住宅として移築されており 小樽の鰊御殿は積丹の泊村にあった鰊漁場建築物を解体しこの地に移築し その後小樽市に寄贈されたもの

小樽市鰊御殿1-1

北海道日本海沿岸松前町から稚内市沿岸までのルートは「鰊街道」と命名され 各地に鰊御殿が保存されているので珍しくはないが 小樽市の「鰊御殿は建物としては大規模で かつ明治時代の原型をとどめ 華やかな往時を偲ぶ貴重な建築物

玄関を入ると受付と資料展示室(旧漁夫溜と船頭間)
そして写真下は大広間(旧帳場 茶の間 家族部屋 酒部屋)

小樽市鰊御殿2-1
 
当時の使用していたものが展示

小樽市鰊御殿3-1

これが今回の注目品
「万棒」という道具

小樽市鰊御殿4

1枚取り出してみると
30cmほどの細長い板に「貮百枚ノ内」と書かれている

全部で二百枚あるのだろう
説明書きに「ニシン漁場で梱包された加工製品を出荷する時 運んだ数を知るために使われた木札」と書かれていた

なるほど なるほど
「マンボ札」だ

小樽市鰊御殿5

若かりし頃 イベントなどの事前打ち合わせで 「今回のマンボとりは○○君」などと役割分担を決めていた 
職場では若い者 新参者がこの「マンボとり」役がよく当たっていた

イベントでの集客数 あるいは観客数を数え 確認する役だ
数を数えることを「マンボをとる」と言っていた

今ではほとんど死語になっているので忘れていたが
この「万棒」を見て そういえば・・・と思い出した

現代でも土木用語として「マンボをとる」とは
ダンプトラックなどの運搬延べ台数を把握する(数え・記帳する)ことの意味として使われているらしい

当時は 北海道の海産物(身欠きニシン・ニシン粕・棒タラ・昆布等々)が北前船で京都・大阪方面などへ運ばれていたので「万棒」が活躍していたのだろう

遥か昔からの 漁場での知恵を 
土建屋さんもこれを真似たのかも


この日は霧雨で どんより
小樽の街もかすんでいた

天狗山からの小樽市街

天狗山からの景色 7月9日でした


家族が大量に増えそうです

昨年10月に紹介したウチの晩熟(おくて)の金魚が大家族になりそうだ

冬期間 水槽で育てていた3匹の金魚は2匹に減り 何となく寂しそうなのでチビ金3匹を仲間に入れ 6月にまた池へ放した  

池

数日前から2匹の金魚がじゃれ合うようになり もしかしたらと 池に浮かべていたホテイアオイを取り揚げてみると 

多量の卵が付着 これは産卵だ

卵は粘着性のため ホテイアオイの根のような柔らかな部分に産み付ける

すぐ取り揚げ 水槽に入れて様子を見ることにした

ホテイアオイ1

親はこの金魚
上が「リュウキン」 で多分これがメス
下が「チャキン」

親金魚2-1

偶然にも メスとオスの組み合わせで
晩熟(おくて)の金魚ではなかったようだ

ホテイアオイに付着した卵は 受精卵は透明となり
未受精卵は そのうち白濁し カビが生えてくる

ホテイアオイを水槽に入れてから
翌日には 孵化が始まり もう泳いでいた

金魚孵化2-1

その2日後 次々と孵化が続き 
水槽のガラスに付着
そのうち 泳ぎ出すだろう

この時点で 70匹以上になっている
まだ増えそうだ

金魚孵化3-1

同じように 
池のホテイアオイからも孵化しているはず

全てが 順調に育つわけではないが 

「リュウキン」と「チャキン」の交配だから 変わった金魚(珍魚)が見られるかもしれない

久しぶりに 育ててみるか


方言玉手箱 その20 ~まかだあわね~

30年ほど前に 当地でのヒラメの陸上養殖を手掛けた

本来は海に戻す手のひらサイズのヒラメ(通称アオッパと呼ばれる)を春に陸上に設置した生簀で 餌を与えながら秋までに商品価値が出るサイズまでに育てるという試験事業だ

何とか2年間の試験で 事業化に目途が付き 引き続き漁業者自らが事業として取り組み 経営も順調に進んだ

ヒラメ1

ところが 数年後
輸入自由化の流れの中で 安い水産物が国内に入り込み 経営が厳しくなったことで 

ヒラメ養殖漁業者は「とってもまかだあわねから やめるわ」と言い この事業を諦めることになった

この「まかだあわね」はこの辺の漁師が頻繁に使う言葉で「採算が取れない」の意味だ

「まがだ」と濁ってしゃべる人が多く 「が」にアクセントがある これがミソだ

「間尺(ましゃく)に合わない」という言葉があるが 「間」や「尺」は建築用語で建物や家具の寸法 これは「寸法が合わない」の意味で これが「計算が合わない」に転じ「割に合わない」つまり「損得勘定すると割に合わない 努力に見合うだけの利益がない」「労多くして益少なし」の意味に使われるようになっている

この「間尺」が「まかだ」に変化し方言として使われるようになったのではないかと勝手に解釈

「間尺に合う」とは使われず 否定的な表現にしか使われないのと同じように「まかだあう」とは使われない言葉である

いまでは「ヒラメなんか獲っても安くてまがだあわねから タコ獲ったほうが儲かるんだわ」ということになっている

その2
萌樹工房ではご当地キャラクターグッズの一つにペン立てを作っている

留萌市の「KAZUMOちゃん」(写真左)は販売しているが 
苫前町「くまだとまお」(写真右)は非売品

kazumo&とまおのペン立て1

何故かといえば 「くまだとまお」のデザインは形・色彩とも複雑なので労が多すぎる
つまり「まがだあわね」から販売できない ということだ

「まがだあう」ためには3倍の値になる 
そしたら誰も買わねべさ

その3
今日 信用金庫から定期預金の利息の通知葉書がきた

利息が1年間でたったの2円 この2円の通知に52円の葉書代をかけている
信用金庫は「まがだあわねっしょ」 無駄なことしてるね

利息でなくて溜息ばかり出るわ
逆なら いんだけどね

その4
JR北海道が関係自治体に留萌本線を「バス転換路線」への提案をした
留萌本線の一部留萌~増毛間は既に廃線になり すぐ追い打ちをかけられている

つまり これも留萌本線を維持するにはJR北海道は「まがだあわね」からだ

北海道は「まがだあわね」路線だらけ
「まがだあわね」所には容赦ないってことだ

若者が少なく 高齢者だらけの田舎にお金をかけたって「まがだあわね」ってことになり ますます田舎は住み難くなるんだわ

田舎で一生懸命に頑張って 地域に貢献している者も多く 逆に「まがだあわね」って思っている者は多いゾ

ところで 安倍さん 安倍さん!
地方創生は その後 どうなっってるんだべか!

地方が創生する「あべ」でなくて「かべ」は高いんでないかい?

担当大臣って まだいるのかい?
サッパリ顔出さねから 誰だか分かんねよ 

ひょっとして 地方創生も「まがだあわね」から諦めたんだべか!


「方言玉手箱」が 最後は「世相談義」になってしまった


砂澤ビッキのアトリエ ~その2~

ビッキアトリエパンフ2jpg

前回の砂澤ビッキのアトリエ~その1~に引き続き今回は
「BIKKYアトリエ3モア」に展示されている371点のうち何点か紹介

記念館に入ると旧校舎廊下の壁に抽象画が展示

ビッキのアトリエ2-1(1)

木彫家だが絵心が無ければ芸術家にはなれない
画家でもあるのでしょう

同じ廊下には お面の数々

ビッキのアトリエ2-2-1

そして 魚やら昆虫の彫刻作品

ビッキのアトリエ2-3-1

ビッキのアトリエ2-4-1

ビッキは1981(昭和56)年カナダの西海岸BC州(ブリティッシュコロンビア州)に滞在し カナダインディアン ハイダ族の彫刻家と交流 バンクーバーにて個展を開いており

カナダ先住民のアートの影響を受けていると感じられる 

例えばカナダ先住民文様はこのようなものがあり

カナダ原住民文様1
(LERNING BY DESIGNING
~ Pacific Northwest Coast Native Indian Art~より)

ビッキの魚文様が この文様に非常に似ている

ビッキ文様1
(ビッキ文様の版画)

ビッキのアトリエ2-3-2

トーテムポールも しかり
ビッキ文様のデッサンとトーテムポール

ビッキのアトリエ2-10-1

これは野外用トーテムポールが老朽化で倒れたものの一部
及びデッサンの版画

ビッキのアトリエ2-9-1

木彫芸術品の数々

ビッキのアトリエ2-6-1

ビッキのアトリエ2-7-1

ビッキのアトリエ2-8-1

これは真っ暗な部屋の中 
作品には スポットライトがあたり 水面に浮かんでいる
静寂の中 座って「ポトリ ポトリ」と水滴が水面に落ちる音を聞きながら作品を鑑賞する
鑑賞方法に工夫がされている

ビッキのアトリエ2-12

 ビッキが阿寒湖畔で土産物の木彫から出発した当時の民芸品店の看板もあった

ビッキの店看板1

以上 アトリエ内の展示品から何点かを紹介

大胆な作品から 緻密で繊細な作品まで 見ごたえたっぷり

記念館は古い校舎利用だが 外観より中身で勝負
アトリエは 感動作品の数々

音威子府村の宝
エコミュージアムおさしまセンター「BIKKYアトリエ3モア」
(砂澤ビッキ記念館)
へ是非一度足を運んでみてはいかがでしょうか


*記念館内外部(作品を含む)の写真撮影およびブログ掲載の許可を得ています




プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。

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