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お多福を怖がるインフルエンザウイルス

先日インフルエンザにかかり 調子の戻ったところで毎朝雪かきに追われている

極端に少なかった雪も 帳尻を合わせようと必死になって降ってきた
さらに風も強烈だ

インフルエンザは今年の新薬「ゾフルーザ錠」2錠を飲んで 
24時間でウイルスを完全に消滅 
これまでの「タミフル」「イナビル」よりも効果があるという

確かに効果はあった
熱が下がったところで もう2日ほど体調管理で休みたいところであったが
雪は待ってくれない 
お多福に一日は完全に任せたが 二日前から またフル出動

今年の除雪はあさ5時 昨年は3時なので楽になった

ところで 医者からは同居人にはインフルエンザは既にうつっている可能性が高いといわれ

手遅れかもしれないと思ったが 一応家庭内別居を始めた
ウイルスの潜伏期間は1日から最長で5日とされている

もうその期間を過ぎたので ウイルスをブロック出来たのだろう
ウイルスも近寄りがたい存在だったのか

ウイルスのほうが お多福を よほど怖く
避けて逃げたのか?

恐るべきパワーだ!

またまた 
おっかない家内の登場だ(これはまた大変美人すぎる家内だ)
インフルエンザウイルス3
(余談だが お多福は おたふく風邪は子どもの頃かかっていたようだ)

そして お多福パワーのおまけ

水道管が凍結してシマッタ
連日暴風雪警報で風が強く 朝起きると室内温度が10度程の日が数日続き

水道管が凍結してしまった
温水ボイラーから冷水と温水管の配管が床下を通して台所へ

温水は出るが 冷水管が凍結
この2~3日 台所では温水を使い冷水はあまり使わずにいたようだ

床下を調べると 何と通風口を閉めるのを忘れ 風が入り込んでいた
床下は氷点下になっていたのだろう
どうりで室温がなかなか上がらなかった訳だ

今冬は雪が少ないため 通風口も雪で塞がらず
風が入り込んでいたために こんな羽目に

冷水管と温水管の2管は 1つの丸管に収め 配管されているので
理屈としては 温水管から温水をどんどん出すことで 冷水管が温まり解凍する計算

時間がどれくらいかかるか分からないが 
お多福は これに果敢に挑戦

挑戦すること1時間半ほど経過 
見事冷水管からの水も混じるようになり凍結解消

途中何度も業者を呼ぶかい? といったが 首を縦に振らない
業者を呼べば 電熱線で溶かすのだが
さすが主婦 経済観念と持ち前の根性で勝負

結果的には この根性で氷も溶かしてしまった

してやったり
私に任せなさい どうだ! と笑みの表情

向かいの家でも 水道凍結 
朝から一日中業者が来て苦戦していたようだ

この暮 水道関連業者は大忙しだ

わが家も年を越す準備と
娘たちの家族を迎え入れる準備が出来た


インフルエンザウィルスにやられた

とうとう この年末にインフルエンザにかかった

インフルエンザにかかったのは二回目
今回はA型ウィルス かなり強力なウィルスだった

2日間38.5度程の熱が出た
病院で出してもらった薬を飲んだが なかなか熱は下がらなかった

先週の土曜日に札幌で人ごみの中を歩いて 感染したのではないだろうか

インフルエンザウイルス1

もう何年も風邪も引かずインフルエンザにもかかっていなかったので ボクは「馬鹿」なのかも と思っていた

「馬鹿は風邪をひかない」 と言われている
「馬鹿」と呼ばれる人間の鈍感さを「風邪をひいても その症状を自覚しないほど」とたとえていったもので 諺の一つらしい

そうなると

ボクは「馬鹿」ではなく 「阿呆」なのかもしれない
阿呆ならインフルエンザにかかっても不思議ではない

しかし
「阿呆は風邪をひかない」「阿呆風邪ひかぬ」ともある

「愚かな者は何も考えずにのんびりと生活するため体調を壊すことがない」
「愚かな者は得てして呑気で 神経を使うこともないから 風邪を引きそうにない」
「愚かな者は心配事がないために体が丈夫である」などとされるようだ

神経質の人間はどちらかというと体が弱く風邪をひきやすいとの考えから逆に「阿呆は・・・」といわれると説があるもあるようだ
この「阿呆は・・・」も俗に「風邪をひいたのは阿呆でない証拠」などと用いられることがあるそうだ

ということでボクは「馬鹿」でも「阿呆」でもないことになる

また「馬鹿は・・・」に関連して

神経質なタイプの人間は 心配をしたり苛立ったりすることが多く ストレスの増加から免疫機能が低下しがちとなる

それに対して のんびりとした性格であまり深く考え込まないタイプの人間は こうしたストレスによる免疫機能の低下を避けることができ たとえ病原体が体内に侵入したとしても 十分な免疫機能によって病原体を撃退できる可能性が高い との考えである

こうしたことで「ストレスを感じにくい人間」を「馬鹿」と見なすのはいささか乱暴な解釈ではあるものの「馬鹿は風邪をひかない」はあながち根拠のない俗信とは言い切れない とする意見もあるようだ

インフルエンザウイルス2

こうなると
ボクは「馬鹿」なのか「阿呆」なのか
それとも「まとも」なのか
ますます分からなくなるのです


参考 ウィキペディア


クリスマス・イブ

12月25日は「クリスマス」 
24日は「クリスマス・イブ」

ずいぶん前から あちらこちらで「クリスマス」モード

12月9日の道央道パーキングでの飾り物  
100均ストアでも色々飾り物が売られていました

クリスマス1-1

23日札幌市内のホテルロビーでの飾り

クリスマス2-1

何処へ行っても 「クリスマス」 「クリスマス」 「クリスマス」

「クリスマス」はイエス・キリストの誕生をお祝いする日
日本人はキリスト教を信仰していない人も美味しいものを食べたり 
プレゼントをあげたり もらったりワイワイ騒ぐのが好き

「クリスマス・イブ」は特別なイベント日として過ごしているのではないでしょうか

24日の夜が「クリスマス・イブ」で 25日が「クリスマス」
この「クリスマス・イブ」とは
「クリスマス」の前夜(前夜祭)と思っている人がほとんど

でも どうやら違うらしい

現在の日付は0時から次の日の0時までが1日
しかし
当時のユダヤ暦(これを継承する教会暦)は日没から次の日没までが1日

となると 世間一般の「クリスマス・イブ」は 
「クリスマス」の日に含まれ

「クリスマス・イブ」は「クリスマス」前夜ではなく 
「クリスマス」当日の夜

ということになるのだそうです

NHK番組「チコちゃんに叱られる」でも この問題が出されていました

ボクも ずーと「ボ~」と生きていました


さて ボクはこの「クリスマス・イブ」は キリスト教の信者ではありませんが 
この数年「クリスマス・ミサ」に誘われて教会で過ごしていました

昨年もカトリック教会での「ご降誕ミサ」に出かけましたが 
今回は家で過ごすことにしました 

クリスマス教会1-1jpg

今日は 午後から吹雪模様になり 今晩はかなり荒れそうで
吹き溜まりが出来 帰りに車が立ち往生する可能性があるからです


今年は  
来るか来ないか分からない サンタさんを待って

外の吹雪模様を気にしながら 過ごすことにします



雪が少ない

今冬は 雪が少ない 根雪が非常に遅かった

家の前の道路に除雪車が入ったのは まだ数回

18日から19日未明までは西高東低の気圧配置で 
今冬季初の暴風雪警報が出た 

北部日本海特有の風(季節風)で北西の風が強く
夜は風の音がうるさく 熟睡は出来なかったが 

積雪はほとんどゼロだった 
風が強すぎ 雪はほとんど内陸方面に運んでくれたのか?

昨年との積雪の比較 

写真1 家の前の道路の様子
上が昨年 下が20日の様子

積雪1-1
(写真1 家の前の道路)

写真2 家の横庭の様子
上が昨年 下が20日の様子

積雪2-1
(写真2 庭の様子)

写真3同じく庭の様子
左が昨年 右が20日の様子

積雪3-1
(写真3  庭の様子)
 
写真で分かるように 今季は昨年の三分の一程度の積雪
12月中旬に雨が降り 減ったことにもよる

生活する上では非常に楽だが 
雪が少ないことで困っている方もいるのだろう

当市の厳寒期(1〜2月)の平均気温はマイナス7度ぼど
最低気温でもせいぜいマイナス12度程度だが
季節風(北西)が強く 体感温度はこれよりかなり下がる

一般的に風速が1メートル強まると体感温度が1度下がるとされているので
10メートル強まると10度下がることになる

室内温度も風の状況によって変わり 
強風が吹き荒れた朝の室内温度は10度程に低下していることもある

雪もこのままでは済まないだろう

クリスマスイブにはサンタと一緒に寒波がやって来る予報
このあと 年末には今季最強寒波となる所があるそうだ

もちろんボクの田舎方面は北海道日本海沿岸だから 
大雪と大吹雪が予想される

名古屋 広島にも雪マークが付いているようだ

22日 日の出の時間は7:03  
朝はいつまでも暗く寒いので 起きるのが大変だ
また日の入りは15:59    
暗い日には午後3時半ごろから照明を付けている

22日は冬至
冬至が過ぎると 昼も少しづつ長くなる
この日はマラソンでいえば 折り返し点
そう考えれば かなり気持ちも楽になる

ボクは冬至に
かぼちゃをいっぱい食べ
冬眠する動物のように 栄養をたっぶり蓄え 

なんとか この冬を乗り越えようと思っている
大げさか・・・


アイヌ文化「民族共生象徴空間」の愛称とロゴが決定

国は2020年4月開設に向け整備中のアイヌ文化の復興拠点である「民族共生象徴空間」の愛称とロゴマークを決定した

愛称・ロゴマーク1
(左が「民族共生象徴空間」の愛称とロゴマーク 
右が国立アイヌ民族博物館のロゴマーク 資料 国土交通省HP)

北海道命名150年を迎え 
アイヌ民族の文化の復興・発展させる拠点 および先住民族の尊厳を尊重し
差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴という国家プロジェクトが推進されている

場所は北海道白老町「ポロトコタン」

   2白老町1
    (白老町の位置)

プロジェクトの主要施設は
アイヌの歴史・文化を様々な視点から紹介する 「国立アイヌ民族博物館」

アイヌの方々との対話や交流を通してアイヌ文化を体感できる体験型フィールドミュージアムの「国立民族共生公園」

アイヌの方々による尊厳ある慰霊を実現するための「慰霊施設」

この三つの施設を整備し年間100万人の来場者を目指すというプロジェクトだ

この度 愛称は公募で 
10,641件から3候補に絞った上で 決定されたのは「ウポポイ」
「ウポポイ」は「(大勢で)歌うこと」の意味

他の候補名は 「ウヌカリ」(互いに会うこと)
       「ウタルニ」(人々がいるところ)

「ウポポイ」をイメージした映像のプロジェクションマッピングは 
12月20日まで道庁赤レンガ庁舎で毎日午後6時半~8時半に披露されている


以下は 6年前に「しらおいポロトコタン」で撮った写真

「ポロトコタン」とは「大きな湖の集落」の意味

白老はもともとアイヌの集落のあった所で
古くから伝わってきた文化を後世に残すため 
市街地の集落をポロト湖畔に移して「ポロトコタン」(博物館)を創った

「民族共生象徴空間」は この場所に現在整備中だ

しらおいポロトコタン1
(ポロトコタン 現在は「民族共生象徴空間」整備のため閉館)

アイヌの踊り1
(アイヌの古式舞踊)

しらおいポロトコタン コタンコルクルの像1
(ポロトコタンの象徴 コタンコロクル像) 
「コタンコロクル」とは「むらおさ」の意味

(看板ではコタンコルクル アイヌ語発音をローマ字表記にすると「r」これを「ル」と書くのか「ロ」にするのかの違い)

北海道150年を迎え 
アイヌ民族が日本政府に訴えてきた権利回復の一歩が見え始め
この17日「アイヌ新法の概要」が公表された

この新法は 来年3月通常国会で成立を目指すが
国民そしてアイヌ民族に理解されるようなものになるのか 期待したい


「民族共生象徴空間」の開設は 2020年4月24日とのこと


北海道の地名 ~その10~

北海道アイヌ語由来の地名 第10弾

ボクはもう「愛だの恋だの」を語る年齢ではないのだが

今回は 
「愛」・「恋」などの付く地名を紹介

◎愛牛(あいうし) 浦幌町

北海道の地名~その3~「牛」特集で紹介したが 再度紹介
アイヌ語で「アイウシニウシイ」 
意味は センの木・群生する・所
名前からして「愛くるしい牛」が沢山いたのか

1906(明治39)年までは「愛牛」という村があったようだ
浦幌町は肉牛の生産と畑作が盛んな町

この町の鳥は「アオサギ」なので 
カントリーサインの鳥は「アオサギ」か?

    浦幌町
    (浦幌町カントリーサイン)


◎愛冠(あいかっぷ) 足寄町

アイヌ語で「アイカブ」
意味 ローマ字表記でaykapは地名の場合は大崖のことで 
「矢を放ったが届かなかった」という昔話が残るそうだ

足寄町は 「らわんぶき」の生産で有名
「らわんぶき」で「チャンバラごっこ」が出来そうだ
「らわんぶき」がまさしく「らわん武器」だ

カントリーサインのも「らわんぶき」のデザイン
足が「らわんぶき」をかついで歩いている 器用な足だ

    足寄町
    (足寄町カントリーサイン)


愛冠(あいかっぷ) 厚岸町
アイヌ語で「アイカブ」 で足寄町の愛冠と同じ意味

厚岸町は漁業の町で カキの産地
道の駅では炭焼きで海の幸が食べられる

厚岸クルメパーク1
(道の駅 厚岸グルメパーク)


◎愛別(あいべつ) 愛別町

アイヌ語で「アイペツ」
意味は矢・川
アイヌが矢を流したため
「水の流れが矢のように速い」だとか
「昔十勝のアイヌの酋長が矢に当たって転落し 矢を流した川」だとか種々の伝説が生じているようだ

愛別は北海道有数の「きのこの里」 きのこの生産地

別れなければならない愛も あるかもしれない
しかし愛別では やめた方が良い

    愛別町
     (愛別町カントリーサイン)


◎桂恋(かつらこい) 釧路市

アイヌ語で「カチロコイ」「カツラコイ」
意味はよくわかっていない
カチロコイとさえずる鳥がいたため 昔カツラコイ・チリという鳥が多くいたためという

釧路市米町公園に石川啄木 高浜虚子の句碑が建っていた

啄木・虚子の碑1
(釧路市米町公園内の句碑 3年前に訪れた時の写真)


◎母恋(ぼこい) 室蘭市の岬名

アイヌ語で「ポクオイ」 「ポコイ」
意味と由来などは不明

「母恋(ははこい)しぐれ」とか 演歌の題名に使えそうだ

室蘭市はアイヌ語で「モ・ルエラニ」
意味は小さな・下り路に由来 明治期の呼称は「モルラン」

鉄の街として栄え 工場群のライトアップは観光客に人気らしい
また観光船による「イルカウォッチング」も人気

    室蘭市
    (室蘭市カントリーサイン)


最後におまけ
◎しらぬか恋問館 白糠町

地名ではないが [恋」の付く「道の駅」
太平洋を一望できる恋問海岸の傍にある「道の駅」

しらぬか恋問館1
(道の駅「しらぬか恋問館」)

店名の「恋問」から特産の「柳ダコ」と九州の「スルメイカ」が恋問海岸で恋に落ちる物語をイメージした グッズがあるらしい
その名は「タコ君とイカさんの恋物語」

面白いものが売っているらしい
・「恋恋ギョーザ」(ギョーザの名前)
・形状記憶昆布「恋結び(えんむすび)」
 これは白糠昆布で見た目では分からない乾燥昆布
 水に入れると「祝」「寿」「大吉」の文字になるという

たまたま 以前にもらった昆布細工が家にあった
これは利尻富士町の方が作った 「花」と「ハート」と「魚」の昆布細工

昆布細工1
(利尻昆布細工)

水に入れて形が出来るものではなく 初めから形が出来上がっているものだが
昆布を細く切って組み合わせており これもなかなかの出来だ
出汁に使って そのまま食べられるとのこと

道の駅「しらぬか恋問館」へも 今度行ったら じっくり見てこよう


*参考資料
北海道アイヌ政策推進局アイヌ政策課
「アイヌ語地名リスト」


北海道の歴史 その3~北海道旗~

「北海道150年」にちなんだ北海道関連ブログ第3弾

北海道の歴史はまだ新しい 
1869(明治2)年に「蝦夷地」が「北海道」と命名されてから
たかが150年

北海道旗も「北海道100年」の節目にようやく制定された
1967(昭和42)年のことである

「北海道章」と「北海道旗」

道章と道旗1
(左が北海道章  右が北海道旗)

北海道章は
開拓時代の旗章のイメージを七光星として現代的に表現したもので きびしい風雪に耐え抜いた先人の開拓者精神と 雄々しく伸びる北海道の未来を象徴したもの

北海道旗は
開拓使が使用した北辰旗と当時着想されていた七陵星のイメージを現代的に表現したもので 地色の濃紺は北の海や空を意味し 星を囲む白は光輝と風雪を表し 七光星の赤は道民の不屈のエネルギーを またその光芒は未来への発展を象徴したもの
(以上 北海道ホームページより引用)

道章・道旗とも開拓使の旗印である「北辰旗(ほくしんき)」が由来である

五陵星と七陵星1
(左 北辰旗(五光星・五陵星) 右 黒田清隆提唱のデザイン変更案)

左が開拓使旗の「北辰旗」と呼ばれるもので 青地に赤の五陵星を描かれている 北辰とは北極星のこと
このデザインは開拓使公用船船長だった函館の蛯名末次郎が考案したもので 開拓使全体の旗印として定着し 1872(明治5)年に正式な開拓使の旗となったとのこと

この蛯名末次郎は蘭学者の武田斐三郎のもとで航海術を学んだ
その武田斐三郎とは「箱館五稜郭」の設計者であったことから 蛯名末次郎が師の「五稜郭」のデザインをイメージして星の旗を考えたのではないかとの説を唱えている方もいるようだ

ところで上の写真右のデザインは
黒田清隆が五陵星を七陵星にを変更するよう提案したデザインだが
政府は却下したようだ

五稜郭設計図1
(箱館五稜郭図 資料 道立文書館)

以来この旗章は「紺の地に赤の五陵星」が出回ったり 
開拓使の本庁舎にも「白地に赤の五陵星」の旗が掲げられたりしたようである

道立文書館には様々な種類の章旗が存在していたことが分かる写真がある

開拓使の消防ポンプ 札幌農学校 屯田兵大隊 開拓使病院 時計台
提灯などにも使われていた

章旗様々な
(資料 道立文書館)

その後「北辰旗」は1877(明治10)年 開拓使は旗の掲揚を止めるよう通達を出し 開拓使が廃止され「北辰旗」を目にすることもなくなり 旗章の存在は長い間消えていた

1967(昭和42)年 北海道100年に際し「道旗・道章選定委員会」を設置し 選定されたものが現在の道旗・道章であるが 過去に黒田清隆が提唱した「紺地に七陵星」に似ている 
星の形は違うが 「赤い星」を白で縁取りしているだけだ

北海道ホームページで説明している
「当時着想されていた七陵星のイメージ」とは 「黒田清隆が提唱したデザイン案」なのか?

開拓使北辰旗に使われた「五陵星」は「北海道のシンボル」としていたるところに残っている

北海道庁旧本庁舎(赤レンガ庁舎)

道庁2(1)
(北海道庁旧本庁舎赤レンガ庁舎 屋根小窓の上に五陵星のマーク)


豊平館(ほうへいかん)

豊平館は1880(明治13)年に開拓使が建てた洋風建築のホテル 
大正11年札幌市の所有になり 1958(昭和33)年に中島公園に移築
1964(昭和39)年国の重要文化財に指定された

豊平館3
(豊平館 軒下・屋根部分の五陵星のマーク)

札幌時計台

札幌時計台は通称名 正式名は「旧札幌農学校演武場」
1878(明治11)年札幌農学校(現北海道大学)敷地内に演武場として建設
1906(明治39)年 現在の場所に移設 図書館として利用されていた
1970(昭和45)年国の重要文化財に指定

時計台1
(札幌時計台 軒下部分の五陵星のマーク)

札幌時計台は札幌市のシンボル

カントリーサインには時計台のデザインが使われ
もちろん「五陵星」が描かれている

札幌市カントリーサイン1
(札幌市カントリーサイン)

「サッポロビール」の缶や瓶に使われている「星のマーク」も
「五陵星」がルーツ

この他
北海道大学北方生物園フィールド科学センター植物園内の博物館本館や
明治天皇札幌御行幸の際に建てられた「清華亭」も同時期の建築物

これらの建築物にも 「五陵星」が使われているそうだ


北海道の歴史 その2~道庁旧本庁舎~

「北海道150年」にちなんだ北海道関連ブログ第二弾

今回は
北海道庁旧本庁舎(赤レンガ庁舎)の現在までの変遷

1869(明治2)年「蝦夷地」が「北海道」と名付けられ 北方開拓の目的で「開拓使」を設置
東京に「開拓使東京出張所」が芝の増上寺に設置され

札幌に1873(明治6)年10月「開拓使本庁舎」が完成した

開拓使本庁舎1
(左明治6年7月上棟式 右明治6年10月落成記念 
 資料 北海道文書館)

北海道開拓の村(札幌市厚別区厚別町小野幌)には復元された本庁舎が保存されている
      
この庁舎の特徴は 建物は米国風ジョージア様式とかアメリカン・バロック様式と言われている洋風建築で
中央屋根部分には八角塔(ドーム)があり これは「独立と進取のシンボル」として当時アメリカで流行したものらしい

この本庁舎は完成後わずか6年後の1879(明治12)年1月に火災で焼失した

1882(明治15)年開拓使が廃止され 
三県一局時代を経て 1886(明治19)年 北海道庁が設置

1888(明治21)年には北海道庁本庁舎が完成した

完成時には八角塔を設置していたが 
1896(明治29)年建築上(安全性等)の問題から撤去

明治30年代本庁舎1
(明治20年代の道庁庁舎 と八角塔撤去後の写真
 所蔵 北大付属図書館)

この庁舎も1909(明治42)年 火災により内部と屋根部分を焼失

レンガ造りのため壁は損傷がなく 1911(明治44)年に復元工事が終了
復元された庁舎には八角塔は無かった

赤レンガ庁舎1-1
(資料 北海道文書館)

下の写真は
1968(昭和43)年 北海道開拓(開道)100年記念として復元工事が完了 八角塔も復元された

赤レンガ庁舎2-1
(所蔵 北大付属図書館)

この「北海道庁旧本庁舎」は 
1967(昭和42)年「開拓使札幌本庁舎後および旧北海道本庁舎」として国の史跡に指定
1969(昭和44)年には 国の重要文財に指定されている

この庁舎は「赤レンガ庁舎」と呼ばれ親しまれている

外壁に使われている「レンガ」は札幌近郊で焼かれたもので 
当時の白石区には数件の「レンガ工場」があり 
これらの工場で作られたものが使われているとのこと

「赤レンガ庁舎」に入ると 赤じゅうたんが敷かれ 
まず目に入るのが三連のアーチ状の壁や柱 西洋の雰囲気がたっぷり味わえる

庁舎館内1
(赤レンガ庁舎内の階段付近)

一階は文書館
二階に上がるとすぐ 歴代の長官や知事が執務した記念室があり
室内には歴代の長官や知事の写真が飾ってある

写真中央が第3代長官の黒田清隆 
その左が第四代西郷従道(西郷隆盛の弟)だ

黒田清隆・西郷従道1
(歴代開拓使長官の写真 資料 北海道文書館)

この他 北海道の歴史を物語る資料室があり 海外からも多くの観光客が訪れている

「赤レンガ庁舎」の横には
歴史を物語る「史跡」の標石が建っている

史跡
(史跡の標石)

この「赤レンガ庁舎」も老朽化及び耐震性の課題から 大改修計画があり
本年度(平成30年度)実施設計 来年度から改修工事が行われ2022年に完成の予定

この「赤レンガ庁舎改修事業」にあたり 現在「ふるさと納税」などで寄付を募っているようだ

今回訪れたのは12月9日 
赤と白のコントラスト すっかり「クリスマスモード」

雪の中の「赤レンガ庁舎」だった

赤レンガ庁舎3

また
北海道庁敷地内の池では

池の鳥1

カルガモの家族(?)が元気に 泳いでいた


北海道の歴史 その1 ~北海道に県があった?~

「北海道150年」にちなんだ北海道関連ブログ

北海道は都道府県からいうと「道」
しかし 過去にこの北海道に「県」があった

道産子でも ほとんどの方は知らない
ホントに北海道に「県」があったの?

それがあったんです!

江戸から明治時代になり 
1869(明治2)年に松浦武四郎の提案で「蝦夷地」が「北海道」と名付けられ

「北海道」には
北方開拓のため1869(明治2)年から1882(明治15)年まで「開拓使」が置かれた

北海道命名、開拓使設置の布達3
(北海道命名 開拓使設置の布達  資料 北海道立文書館)

そして 1871(明治4)年から10年間は「開拓使十年計画」により大規模予算で開拓が行われた

「開拓使」とは開拓のための臨時地方行政機関である

特に1871(明治4)年から1972(明治5年)は「北海道開拓使」と称した

開拓使札幌本庁舎1-3
(開拓使札幌本庁舎当時の写真と模型 下は当時の札幌
 資料 北海道立文書館)

ところで 
開拓使設置前の北海道行政は 「箱館府」が行っていたとのこと

何? 箱館府?
「県」の前に「府」が出てきた

「箱館府」は
1868(明治元)年から1869(明治2)年7月まで蝦夷地を統治するために箱館(現在の函館市)に設置された地方政治機関で 箱館裁判所(前身は箱館奉行所)の改称によって成立し 開拓使の設置により廃止された機関

「府」もあったんですね

前述の「開拓使十年計画」が終了し 開拓使が廃止された後 
1882(明治15)年に「県」が設置されている

「県」は 三県あった
三県とは「函館県」「札幌県」「根室県」

三県1
(三県一局時代 境界線は正確ではなく概略図)

この三県は一般地方行政事務を開拓使から引き継ぎ
民営事業については各省府が引き継ぐことで 新しい組織体制で勧めた

三県庁舎と県令1
(三県庁舎と県令 上から札幌県庁 函館県庁 根室県庁と各県令)
(資料 北海道立文書館)

しかし 各省間の連絡調整がうまくいかず事業の停滞を招いたため

開拓事業は 新たに この「三県」と「北海道事業管理局」で管理・統治する体制を作ったようである

これを俗に「三県一局」といい その時代を「三県一局時代」と言うのだそうだ

しかし これまた うまくいかなかった

北海道を管轄する組織を黒田清隆をはじめ その部下たちの薩摩閥が独占するという旧態依然の体制で
しかも「三県」と「管理局」の二重行政による弊害や 不況による財政的な問題などにより行政と事業の停滞が著しくなった 

背景には 
当時の北海道の人口は 26万5千人 うち15万人は松前藩時代以来の函館圏に集中 根室県は1万7千人しかいなく 著しい不均衡を抱えていたことにもある

この状況に 当時の参議伊藤博文が太政官大書記官を北海道に派遣し巡視させ その結果三県一局体制は機能していないとの報告を受け この「三県一局時代」が終焉を迎えることとなる

この「三県一局時代」は わずか1886(明治19)年までの4年間だったようだ

三県廃止と道庁の設置の布告2
(三県廃止と道庁設置の布告 資料 北海道立文書館)

「三県一局」の廃止後
1986(明治19)年1月に「北海道庁」が設置され
再び統一的な行政が行われるようになった

これは 
内閣制度が創設され 第一次伊藤博文内閣が発足した翌月のことであった

「北海道庁」は中央政府による組織で 
トップは知事ではなく長官 初代長官は高知藩出身の岩村通俊

以後 北海道10年計画に続く北海道拓殖事業計画などを経て 現在に至る

現在北海道の人口は531万人(2018年9月末住民基本台帳)
うち札幌市が196万人 3分の1以上が札幌市に集中している

北海道庁
(現在の北海道庁旧本庁舎 愛称赤れんが庁舎)

北海道には 現在の行政形態とは違うといえども
「府」も「県」もあったことになる

*資料 
  北海道立文書館(北海道庁旧本庁舎)


方言玉手箱 その23 ~そだねーPART2~

大賞受賞です!

今年の世相を反映した言葉を選ぶ「ユーキャン新語・流行語大賞」に2月のブログ「方言玉手箱16~そだね~~」でも紹介した 北海道の方言「そだね~」が受賞した

カーリング女子日本代表 平昌オリンピックで銅メダルを獲得した「ロコ・ソラーレ(LS北見)」のチームが試合中に使っていた「そだね~」 
これが大流行

北海道の方言には大きく分け二つあるという

一つは東北地方の影響を受けた海岸方言(浜言葉) 
そして明治以降に全国から移住してきた者によって形成された内陸方言

海岸方言は早くから開けていた道南の函館・松前方面から日本海・オホーツク海・太平洋の海岸地域まで広がり
「ロコ・ソラーレ(LS北見)」の北見・常呂も海岸方言の残る地域

この「そだね~」の起源は「そんだね」で
「そんだね」に標準語が混ざった言葉だと解説する日本語学者がいるそうな

「そだね~」を方言だと思っていなかった道産子にとっては 
札幌など内陸都市部の言葉は全国の方言が混ざってきたため 標準語に近く日常的に使う言葉だった

道外でも「そだね~」を使うらしいが 

北海道弁は標準語と違いアクセントなどが違い
語尾のイントネーションが下がらず 
アクセントが頭に付きやすい特徴があるそうだ

北見工業大学の学内生協ではオリンピック後「そだね~Tシャツ」を販売しており 現在商標登録を申請中 
また受賞を記念し学生食堂では「モグモグタイム」で昼食を無料提供しているニュースも流れていた

帯広の菓子メーカー「六花亭」も商標登録を申請しているとか

そだね~1

ボクの田舎方面では 「そだね~」は主に女性が使い
男性は「そんだ」「んだ」とか「んだな」とか「んだべ」など 
どんどん汚い言葉を使っている

「そだね~」の肯定する言葉に対し 
否定的・疑問の言葉の 「そうだろうか?」「そうかい?」は
「そ~だべか?」「んだべか?」になるのは面白い

「ロコ・ソラーレ(LS北見)」の代表本橋麻里は
「大会中はポジティブな言葉だけを発するというルールで活動した 注目されて最初は戸惑ったけど みんな今は地方の言葉に誇りを持っている」
と喜びを語っていたのが印象的

北海道には「そだね~」の他
「なんも」「めんこい」「なして」など 
ほのぼのとした方言がいっぱいあるんだから

道産子は これからももっともっと
誇りを持って北海道弁を発信しなければダメでっしょ

NHK番組人気キャラクター 
5歳のチコちゃんに 「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
と叱られないようにしようっと!

そだね~!


*参考 
2018年5月18日 朝日新聞デジタル記事(浅野有美記者)
「そだねーの起源は東北弁? 北海道弁の専門家に聞くと・・・」



プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。

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