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スズメの安否確認

2月1日付当ブログで「スズメがいない」と紹介したのですが 
つい最近 姿を現すようになりました

まだ数は少ないのですが 我が家の庭の木にも止まっている姿が見られます
いままでどこへ行っていたのでしょうか

北海道の鳥といえば「タンチョウ」が有名ですが
この「タンチョウ」が阿寒周辺以外でも飛来しているのが確認され

2015(平成27)年度では道内12市町村
その後 17市町村で確認され 生息範囲が広がっているいるようです

越冬地は主に釧路湿原周辺だったのが 
近年十勝平野や根室地区での越冬が また宗谷地区でも繁殖していることが確認され

さらに稀に石狩平野の上空を飛来することもあり
2015(平成27)年には札幌市の上空での飛来も確認されているようです

タンチョウ1

最近では長沼町でも数羽が確認され話題になっています

この長沼町は 
かってタンチョウをはじめとするツルが生息していた歴史があり
その証拠として「舞鶴」「繁殖橋」といった地名が残っているそうです

この地区は昔から水害が多い地域であったために
治水のため「舞鶴遊水地」がつくられ 

この遊水地造成工事中に 
それまで姿を消していた「タンチョウ」が飛来したとのこと

この工事は2015(平成27)年に完成し 
さっそく「舞鶴遊水地」を核とした 
「タンチョウとの共生によるまちづくり」の可能性について検討するなど

町では「タンチョウも住めるまちづくり」に積極的に取り組んでいるとの報道が流されていました

ところで今冬は 
わが家の庭にも渡り鳥を含めほとんど鳥の姿は見られませんでした

「タンチョウ」は無理としても 
せめて「スズメ」くらいはと思っていたのですが・・・

この「スズメ」ですが見かけなかった理由が二つほどあるようです

一部の「スズメ」は
北海道の寒い冬を避けて本州に渡っていたため北海道に残っていた数が少なかったため

もう一つの理由は
群れになって一ヵ所にいたため 

「スズメ」は秋冬には群れて ほとんど決まった場所にとどまり
そのため「いる」ところと 
「いない」ところがはっきり分かれているそうです

すずめ2

これが春になると一変し 
大きな群れにはならず 広い地域に「薄く」いるようになるとのこと
子育てをするために 夫婦2羽で暮らすようになるからのようです

(注)
スズメが見かけなかった理由については 
下記を参考にさせていただきました

3月28日付北海道新聞 「朝の食卓 春を感じるおススメの鳥」
(道教育大函館校准教授 三上修氏 )

大変参考になり 
これで気になっていた「スズメ」の安否確認がとれたことになります


北海道開拓の村 ~その6~

「北海道開拓の村」に移築・復元された歴史的建造物の紹介
第6回

旧武岡商店

旧徳島藩の家老稲田邦植に従い 
1871(明治4)年に淡路島から静内郡に移住
1882(明治15)年から米穀・雑貨・荒物などを扱った
本格的な店舗兼住宅を新築し 1901(明治31)年には郵便局を開設
この地方の商業発展に貢献した

旧所在地 新ひだか町東静内
建築年代 1898(明治31)年
復元年  1983(昭和58)年

旧武岡商店1
(旧武岡商店)


旧大石三省堂支店

札幌で修業した大石泰三(菓子職人)が1925(大正14)年に帯広町の繁華街に店舗を求め
菓子の製造販売を始めた建物
切妻平入で店舗兼住宅 それに併設した工場を再現

旧所在地 帯広市東2条南5丁目
建築年代 1907(明治40)年頃
復元年  1986(昭和61)年

旧大石三省堂支店1
(旧大石三省堂支店)

旧太田装蹄所

札幌から江別に通じる道路(現在の国道12号線)沿いで1924(大正13)年から1945(昭和20)年まで営業していた装蹄所
装蹄所は当時馬が物資の運搬や農耕の主役であり 何処の町にも欠かせない職種であった

旧所在地 札幌市中央区北1条東11丁目
建築年代 大正初期
復元年  1990(平成2)年

旧太田装蹄所1
(旧太田装蹄所)


旧藤原車橇製作所

1898(明治31)年兵庫県出身の宮大工工藤信吉が深川に入植
1903(明治36)年に妹背牛で車橇製造を開始 
以後3代にわたり営業を続けた
開業以来使われた車橇製作所を再現したもの

旧所在地 妹背牛町本町
建築年代 1903(明治36)年
復元年  1986(昭和61)年

旧藤原車橇製作所1-1
(旧藤原車橇製作所)

kyuu藤原車橇製作所4-1
(旧藤原車橇製作所 内部の様子)


旧本庄鉄工所

1925(大正14)年から昭和50年代まで使用されていた本庄鉄工所
この鉄工場は明治30年代から2代にわたり営業
石狩川河口の旧市街で漁具や漁船の付属品 農具などを製作していた
開拓地には欠かせない鍛冶屋であった

旧所在地 石狩市親船12
建築年代 1897(明治30)年頃
復元年  1985(昭和60)年

旧本庄鉄工場1
(旧本庄鉄工所)

*写真は2月17日に撮影したもので 建物および周辺は雪で覆われていた
現在は雪もかなり少なくなっているものと思われる

次回に続く


冬に逆戻り

2日前から気温も下がり冬に逆戻り

例年より早く雪も解け 当市の積雪もゼロとなり
このまま春を迎えることが出来るものと 喜んでいたが・・・

「そうは問屋が卸さない」ようだ

道路の雪が無くなり 乾いていたが また雪だ

冬に逆戻り1-1
(団地内の道路の様子)

先日町内でタイヤ交換していた人がいて 「随分せっかちな人いるもんだ」と思ったが
その人 今焦っているっしょ! 

こんな状態じゃ 夏タイヤは無理でしょう

24日現在の積雪は2cmとなったが 測候所は海岸付近の高台 
この場所は風が強く 雪はあまり積もらないところだから
あまり参考にならない

札幌は3cm 旭川はまだ46cmもあるようだ

ちなみに朱鞠内(幌加内町)は174cm 
ここは例年ゴールデンウイークでもまだ雪が残るところ

昨日 図書館へ行ったら 丁度吹雪模様

冬に逆戻り2-1
(市立図書館)

この天候の中 若いお母さんが子供を前抱っこし
もう一人よちよち歩きの子どもの手を引き図書館に向かっていた

子育ての忙しい中 本を借りに行ったのか
感心! 感心! なかなか余裕のあるお母さんだ

最近は海の荒れもおさまり カレイ類やらニシンなどが獲れている

駅前の魚屋さんで ニシンを買い 開きにして寒干しにするため
網籠に入れ 乾すことしたが 風でブランコみたいに揺れている
冷蔵庫よりも冷たく フリーズドライだ

昨日まではこの籠で氷下魚(カンカイ)を干していたが
ほぼ干しあがり ニシンにバトンタッチ

冬に逆戻り3-1
(風雪で揺れる網籠)

2日ほどで程よく干しあがるでしょう

「そうは問屋が卸さない」とは 
ご存知の通り 「そうは簡単に物事は運ばない」というたとえ

「そんな値段では問屋は卸してくれない(許さない)」の意味だが
この駅前の魚屋さんはでは 非常に安く 
ニシン一匹当たり100円チョット カズノコ入りだったら ラッキー

これからはカレイのシーズン

魚屋さん1-1
(ニシンとカレイ・タラなど 写真が赤っぽいのは照明のせい 赤ガレイではない)

箱ごと買うと もっとお得になる

魚屋さん2-1
(黒カレイと宗八カレイ)

「そんな値段で魚屋は売ってくれる」お店

こんな田舎だから 良いこともあるんですよ


方言玉手箱 その26 ~したら・したっけ~

駅前の魚屋でカレイを買い 
干して食べるために網籠に入れて物干し棹に吊り下げた

したら(したっけ)
にっくきカラスに 網を破られカレイを何枚か食べれてしまった

カンカイの寒干し1
(カラスの被害にあわないよう籠に網をかけた氷下魚(カンカイ)の寒干し)

電話が鳴ったので受話器を取った 
したら(したっけ) 「オレだ! 息子だ!」と言ったので
間髪入れずに「ウチに息子はいないんだけど!」と答えたら

相手はすぐ電話を切ったそうだ 

応対したのはウチのお多福 おっ家内よ!

「したら」は共通語で「そうしたら(そしたら)」「そうすると」の意味で北海道の方言
「したっけ」とも言っている

同じ意味で東北地方 山形・宮城県は勿論
千葉・茨城・栃木・埼玉県・新潟県でも使っているようだ

「だけれども」「そうしたら」「そうだとすると」などの意味で使っている

したっけ 仕事すっか」 は「そしたら 仕事をしようか」
「今日 海に夕陽を見に行ったのやー したっけやー・・・」  
「仕事間違えちゃったー したっけ 部長に怒られちゃった」 
このような使い方かな?

ボクが学生時代に札幌駅前通りでパチンコをして 帰ろうと店を出た
したっけ オヤジにばったり出くわしたことがあった

オヤジは転勤族 その時はオホーツクの紋別市にいて丁度出張で札幌に来た時だった
偶然にも程がある

一言二言交わして別れたが 
この時「したっけね」とは言えなかった

この「ばったり出くわし事件」はボクにとっては何とバツの悪かったことか

この「したっけね」は他の地方には無い北海道独特の方言
意味は「じゃあね」「またね」で親しみを込めた「さようなら」の意味だ

「明日また会おうね!したっけね!(バイバイ!)」・・・こんな感じ
手を振って別れるときの言葉でもあり

あるいは電話の最後に「したっけね」と言って切るときに多く使われる

しかし 「したっけね」は 
同じ意味で「したらね」と言っている方が多いかもしれない

愛情を込めた表現なので
「オレオレ詐欺」に対しては 
間違っても「したっけね(したらね)」と言って電話は切らない方が良い

「したっけね(したらね)」は親近感を持った相手に対する表現だからだ

オレオレ詐欺1-1
(オレオレ詐欺は最近はアポ電詐欺に変わりつつある 気を付けよう)

日清食品の創業者 安藤百福 仁子(まさこ)夫婦がモデルのNHK朝ドラ「まんぷく」が放映されているが
この日清食品で「したっけラーメン」という即席ラーメンを北海道で販売していたことがあるそうだ

1986(昭和61)年に醤油・みそ味などが販売されたらしいが 現在は販売されていない
お湯をかけ3分でゆで上がる袋入りインスタントラーメンだ

この時の謳い文句が
「いしかり はまなかブーラブラ あとからかけとりゃホーイホイ したっけくん
意味がよく分からないが・・・

また「はかたもんラーメン」という名のラーメンもあったようだが これは九州での販売か?

また 横道に逸れてしまった

今回はこの辺にしよう

「したらね」



北海道開拓の村 ~その5~

「北海道開拓の村」に移築・復元された歴史的建造物の紹介
第5回

旧北海中学校

1908(明治41)年から翌年に建設された旧北海中学校の本館部分
創立は1905(明治38)年で前身は1885(明治18)年に設立した私立北海英語学校

旧所在地 札幌市豊平区旭町8丁目
建築年代 1909(明治42)年
復元年  1982(昭和57)年

旧北海中学校1-1
(旧北海中学校)


旧島歌郵便局

北海道で近代郵便の取り扱いが始まったのが1872(明治5)年
現瀬棚町に島歌郵便局が1886(明治19)年に設置された

旧所在地 瀬棚町北島歌
建築年代 1902(明治35)年
復元年  1985(昭和60)年

旧島歌郵便局1-1
(旧島歌郵便局 今ではほとんど見られなくなった赤いポストがある)


旧山本理髪店

大正期の洋風建築の特徴を表す切妻屋根 玄関の雨よけアーチが理髪業とよくなじんでいる
北海道神宮裏参道沿いの「床屋さん」として親しまれてきたようだ

旧所在地 札幌市中央区南1条西24丁目
建築年代 大正末期
復元年  1987(昭和62)年

旧山本理髪店1-1
(旧山本理髪店)


旧渡辺商店

中頓別は明治30年代に砂金堀りで賑わい 1916(大正5)年の鉄道開通後は交通の要所として発達
この建築物は中頓別市街地の建てられた雑貨店

漆喰仕上げの土蔵造は石造やレンガ造とともに耐火・耐寒を目的とした構造で 北海道では珍しい建物

旧所在地 中頓別町字中頓別
建築年代 大正前期
復元年  1989(昭和元)年

旧渡辺商店1-1
(旧渡辺商店 漆喰仕上げの土蔵造)


旧龍雲寺

北海道開拓期の農村では村が開かれると まず開拓者のよりどころとして寺社が建立された
寺はある時は学校で 託児所であり村の集会所でもあった

1886(明治19)年に創建された篠路山龍雲寺はこのように開拓の歴史を物語る寺である

龍雲寺1-1
(浄土宗 旧龍雲寺)

龍雲寺2-1
(浄土宗 旧龍雲寺)


旧浦河公会会堂

1880(明治13)年神戸で北海道開拓会社「赤心社」が設立し 
翌14年から浦河の西舎村や荻伏村に結社移民として入植

「赤心社」の指導者の多くはキリスト教徒で 1886(明治19)年に「浦河公会」が組織された
この会堂は明治17年の日曜学校兼会堂に次ぐ2代目の礼拝・集会所である

旧所在地 浦河町荻伏
建築年代 1894(明治27)年
復元年  1985(昭和60)年
 
浦河公会会堂1-1
(旧浦河公会会堂)

*写真は2月17日撮影のもの

次回に続く



春はまだかいな

春はあそこまで来ていたが 
そこまでとはまだ言えないか

2月中旬から雪はパタッと 降るのを止め
今年は もうこのまま早い春か?・・・と思ったら

銀世界1-1
(春の雪)

この2日間 また銀世界となった
とは言っても 日中は気温がプラスになるので すぐ溶ける

銀世界2-1
(近所の降雪後と融雪後の様子)

雪かき担当のボクにとっては もうこの仕事とはお別れ
雪が降って積もっても すぐ溶けるので 知らんぷり

それでも近所の人は せっせと雪かき
運動なのか 体力づくりなのか 
はたまた 暇なのか 趣味なのか
几帳面な人がいるもんだ 

3月15日15時30分現在の当市の積雪は 28㎝
全道のランキング 雪深い順番では 67番目

一位が朱鞠内(幌加内町)  180cm
二位が幌加内        143cm
三位が幌糠(留萌市)    117cm

この三位の幌糠は当留萌市の農村部 夏は暑く冬は寒い所
市内は海に面しているので やや温暖

札幌市は14cmで84位で 旭川市は52cmで30位となっている
函館市 苫小牧市は0cmとなったようだ

この北海道の日最深積雪深い方からのランキングは毎日50分ごとに更新され
気象庁札幌管区気象台の情報で102位まで付けられている

当市は昨日は6cm 今日は10cm以上の積雪があった

春先には日本海沿岸より釧路・根室などの道東方面が 低気圧の影響を受けよく大荒れになることが多い

春までは降ったり 溶けたり 暫くはこのような状態が続き
やがて春を迎える

4月の入学式の日にも雪が降ることはある

日差しはすっかり春の様子
日一日と「ウキウキ」モードになりつつある

セントポーリア2-1
(セントポーリア  この花は季節を問わずいつも咲いている)


北海道開拓の村 ~その4~

「北海道開拓の村」に移築・復元された歴史的建造物の紹介 第4回

旧有島家住宅

日本近代文学史上代表的作家の有島武郎が1910(明治43)年から翌年の7月頃まで住んでいた住宅
有島武郎は明治11年生れなので住んでいたのは32歳の頃となる

旧所在地 札幌市白石区菊水
建築年代 1904(明治37)年
復元年   1979(昭和54)年

有島武郎住宅1
(旧有島住宅の外観)

見学出来るのは一階住宅部分
和室・床の間の様子

有島邸2-1

茶の間は資料室になっている
2階の8畳間が書斎となっているが 見学禁止

有島武郎の作品「生まれ出づる悩み」の中に 豊平川右岸のリンゴ園の中にあった借家とあるのがこの家とのことで
この家で有島は「或る女のグリムプス」を書き 雑誌「白樺」に連載を開始した

有島邸1-1
(茶の間部分が現在資料室となっている)


旧福士家住宅

幕末から明治期に造船・通訳・気象観測・測量などで活躍し北海道開拓に貢献した福士成豊が明治半ばから1922(大正11)年まで居住した建物

旧所在地 札幌市中央区北4条東1丁目
建築年代 明治時代
復元年  1980(昭和55)年  

明治前期の洋風建築と明治後期の和風住宅を接続した特異な建物

旧福士家住宅1-1
(旧福士家住宅)


旧松橋家住宅

明治・大正・昭和にわたる都市生活者の住宅
松橋家は明治初期に秋田県から札幌に移住し 農業及び土地会社経営に従事

旧所在地 札幌市中央区北1条東7丁目
建築年代 1897(明治30)年頃
復元年   1961(昭和56)年

旧松橋家住宅1-1
(旧松橋家住宅)


旧開拓使工業局庁舎

開拓使工業局は1873(明治6)年に設置
道路・橋梁・官庁・学校等の建設をはじめ 家材・機械・農具・車両などの製造事業を行った

旧所在地 札幌市中央区大通東2丁目
建築年代 1877(明治10)年
復元年   1979(昭和54)年

旧開拓使工業局庁舎1-1
(旧工業局庁舎)

この建物は明治初期の洋風事務所建築の特徴を示している
開拓使工業局は北海道開拓の発展に大きく貢献した


旧近藤医院

1900(明治33)年に函館病院から古平病院長として招かれた近藤清吉が同町で開業時に建てた病院
1958(昭和33)年まで使われている

旧所在地 古平町大字浜町
建築年代 1919(大正8)年
復元年   1984(昭和59)年

旧近藤医院1-1
(旧近藤医院)

旧近藤医院院内1-1
(旧近藤医院 院内受付窓口・調剤室)



旧札幌警察署南一条巡査派出所

旧所在地 札幌市中央区南1条西1丁目創成川縁
建築年代 1911(明治44)年
復元年   1978(昭和53)年

旧札幌警察署南一条巡査派出所1-1
(旧札幌警察署南一条巡査派出所)

1885(明治18)年札幌創成橋の脇に建てられた交番は木造で札幌創成橋交番と呼ばれていた
その後 篤志寄付でレンガ造りとなった
壁のレンガは小口面と長手面を交互に積むイギリス積と呼ばれる工法が用いられている


それにしても どの建物も周りは雪の山
見学者入口(玄関前)の雪かきだけでも大変 管理には莫大な費用がかかりそうだ

*写真は2月17日撮影のもの

次回に続く



萌っこ春待里

3月10日「萌っこ春待里」が開催

毎年この時期 春を待ち焦がれる市民のお祭が開催されている
今年で21回を迎えた

萌っこ春待つ里パンフ1-1

数日前から日中の気温はプラス この日10時現在でプラス4度
従って雪解けが進み 会場は所によってはザクザク
新雪が無いので 雪も汚れている 
 
一昨年は暴風雪警報で中止 
過去にも途中で風雪が強くなり テントが飛ばされるなどで 中止になったことがある

今年はどういう風の吹き回しか 春が早過ぎの感

文字通り春を告げるお祭になった

開会式では 実行委員の(女性3人) 市長 自衛隊駐屯地指令が挨拶
そしてご当地キャラクター「かずもちゃん」とお祭キャラクターの「雪だるま」も参加

開会式
(開会式の様子)

会場は陸上自衛隊駐屯地グランド
自衛隊は会場設営の他 お祭の運営も全面的に協力している

自衛隊「千望太鼓」で開会

動画1分11秒


(開会 自衛隊千望太鼓)

このお祭は子ども用のイベントもあるが メインはやはり伝統のある「ばんばレース」
北海道での有名な「馬のばんばレース」は見方によっては動物虐待になるが

このレースは「人間ばんば」 
有り余っている力を充分出し切ってもらいたい

出場チームは20 内高校生チームが6チーム 自衛隊も3チーム参加

それでは予選のスタート
ばんばレース動画 (42秒)


(ばんばレース 予選)

足場が悪く コケる選手も多々 決勝まで予選が2回
優勝賞金の10万円を獲得するには3回 闘わなければならない

ばんばレース1
(ばんばレースの様子 高校陸上部は短パンで出場)

会場内は 焼き鳥コーナーなども参加出店
ライオンズクラブは甘酒のふるまい

会場の様子1
(焼き鳥 甘酒コーナーなど)

北海道のイベントなどには「北方領土返還要求運動」の署名活動を必ず行っており
また人権擁護運動も委員が PRを兼ねグッズ配布等活動展開していた

北方領土返還運動・人権擁護運動1
(北方領土返還署名運動と人権擁護活動の様子)

ジャンボ滑り台は 雪が溶け滑りはあまり良くないようだ
受験生には良いかもしれない

すべり台
(ジャンボ滑り台の様子)

お昼には郵便局提供の「もちまき大会」やら 「大抽選会」があり 
この抽選会の景品用に毎年当萌樹工房でもキャラクターグッズを提供している

この後 快晴となり 雪解けはさらに進んだが
お祭も無事終わったようだ


春があそこまで

春がそこまでやって来た
・・・と言い切るのは まだ早いか?

でも あそこまでは来ているような感じ

あそこって 何処? と聞かれても
あそこは あそこ

2月中旬から 雪が降らず
当地の売りの風も穏やかになり
何と 楽な毎日だこと ウソみたい

家の庭には まだかなりの雪はあるが
前の駐車場は氷割りしたので スッキリ

もう雪はいらない もう結構です

道東には春は無い と言っていた人がいるが
日本海側では みんな一日でも早い春を待ち焦がれている

午前から晴れてきたので 浮かれて 浜に行ってみた
波も低く 海は穏やか

黄金岬方面1
(黄金岬方面)

まだ道端には雪が残っているが 道路は乾いている

黄金岬1-1

1.5メートルほどの高さの雪山を越えて岬へ

黄金岬2-1

黄金岬3-1

沖にはタンカーが停泊
この日も 遠くは かすんでスッキリ見えなかった

タンカーと灯台2-1
(タンカーと防波堤 右は波で倒壊した灯台の後に再度建てられた小さな灯台)

3月1日頃からPM2.5の濃度が高くなっているようだ

原因は
大陸の中国あるいはロシアの森林火災によって北海道に風に乗ってきたPM2.5ではないかと推測されている
札幌市・小樽市でも濃度が高くなり 注意喚起の指針値を超えているそうだ

この現象は数日続く見通し

このPM2.5の影響なのか
残念ながら 暑寒別岳はかすんで全く見えなかった

非常に 見ずらいな~と思ったら

ボクの目も 老化現象が進行中 かなりかすんできた
その影響もあるのか


北海道開拓の村 ~その3~

「北海道開拓の村」に移築・復元された歴史的建造物の紹介 第3回

旧近藤染舗

近藤染舗は1898(明治31)年徳島県から旭川市へ移住した近藤仙蔵と弟2人で創業した染物店
徳島の特産 藍の技術を受け継いで開業
1913(大正2年)に新築された店舗兼住宅

旧所在地旭川市1条3丁目  
復元 1985(昭和60)年

近藤染物1-1
(近藤染舗)

大正後期の店の様子と生活
五穀豊穣の のぼり旗と職人 台所では食事の用意か
赤丸印内には 懐かしい当時の電話機もあった

近藤染物2-1
(近藤染舗店舗と生活の様子)

現在も開業当時と同じ場所(旭川市1条)で操業している


旧来正(くるまさ)旅館

東永山兵村(現旭川市永山)に屯田兵として入植した来正策馬(くるまささくま)が1898(明治31)年に退役後 永山駅前に移り待合所を開業
1919(大正8)年に旅館兼待合所を新築し営業を再開

旧所在地 旭川市永山1条
建築年 1919(大正8)年
復元 1985(昭和60)年

旧来正旅館1-1
(旧来正旅館)

この建物で NHK朝ドラ「マッサン」のロケが行われ
熊虎とマッサンの出会いのシーンなどが撮影されたようだ
このシーンは 
2015(平成27)年1月の第80・81回「渡る世間に鬼は無し」で放送されている

座敷では 大正14年と昭和初期の雛人形が飾られていた

お雛様1-1
(お雛様)

また店内の土間には 当時の三ツ矢・森永・フルヤのミルクキャラメル
駄菓子・サッポロビールなどの売店の様子が再現されている

サッポロビールの「星」マークは 当時から旧北海道旗の五陵星を使っていた

旧来正旅館2-1
(旧来正旅館の売店の様子)


旧三〼(さんます)河本そば屋

1885(明治18)年頃 石川県から小樽へ移住した河本徳松(当時18歳)が そば屋の修行を積み三〼(さんます)そばののれんを継いで新築した店舗
小樽の中でも 最も栄えた地域にあったそば屋で 食事はもちろん宴会の場でもあったようだ

旧所在地 小樽市住吉町
建築年 1909(明治42)年頃
復元1988(昭和63)年

旧三〼河本そば屋
(旧三〼河本そば屋)


旧手宮駅長官舎

1880(明治13)年北海道で初めての鉄道 幌内鉄道が敷設され
その職員官舎としての建物
外部の意匠に洋式の手法が用いられ 手宮宿舎5号と呼ばれた
この同じ形のものが6棟建設されている

旧所在地 小樽市手宮町
建築年 1984(明治17)年
復元 1980(昭和55)年

旧手宮駅長官舎1-1
(旧手宮駅長官舎)

幌内鉄道開業にあたってはアメリカ製の蒸気機関車2両が使用 「義経」「弁慶」と命名された
1880(明治13)年の開通は小樽ー札幌間 
翌年8月には明治天皇の北海道巡幸があり お召列車「開拓使号」が使用された

幌内鉄道の幌内とは三笠幌内
幌内ー手宮(小樽)間の計画 石炭の積み出しが目的


旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)

開拓使の官舎として建てられた

アメリカの建築様式を模範としているが 内部は和風で和洋折衷様式
外壁が白ペンキで塗装されているので 俗称「白官舎」
1棟2戸建て 4棟並んで建設された

所在地 札幌市中央区 
1878(明治11)年建設 1994(平成6)年復元

旧開拓使志通洋造家1
(旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)) 内部は資料展示室となっている

今回は ここまで



プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。

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