FC2ブログ

「現存天守12城めぐり」 番外編10~金沢城~


「現存天守12城めぐり」 番外編10 金沢城

6月18日(火)
輪島朝市を見学後 金沢市を目指した

午後1時半到着
金沢城と兼六園を見学

「お堀通り」を挟んで北側が「金沢城公園」で 南側が「兼六園」

金沢城2-1(1)
  (金沢城公園マップ)

加賀百万石前田家の祖前田利家は尾張の土豪前田利昌の四男
織田信長に従い大名としての基を築き
前名は又左衛門 槍の名手であったことから「槍の又左」とも呼ばれた

秀吉と提携し 天正11年(1583)金沢城に入城し 
天正14年(1586)に天守を築城したと伝わる

慶長7年(1602)落雷により 天守・本丸の建物が焼失
寛永8年(1631)城下の大火・本丸御殿類が焼失し
本丸の機能を次第に二の丸へ移した

金沢城へは兼六園側から石川橋を渡っていく
この石川橋の下が「お堀通り」で今は幹線道路 当時は名の通り金沢城の「お堀」だった

金沢城3(1)
  (石川橋 橋の向こうに石川門が見える)

石川門
金沢城の搦手門(からめてもん=裏)として重要な位置にあり 河北門・橋爪門とともに「三御門」と呼ばれる
宝暦の大火(1759)の後 天明8年(1788)に再建され現在に至る

金沢城4石川門(1)
  (石川門)

門は欅(けやき)に鉄具が張られ 門の左右は白漆喰の海鼠(なまこ)塀 

門の右には唐破風の出窓(だし)があり ここから侵入者に鉄砲で攻撃 石落としもある
この出窓(だし)を何故 門の真上に設置しなかったのか 
その理由は 門を綺麗に見せるためだったとか

また門の石垣の積み方が左右違うのが珍しい
右側は「切石積み」 左側が「粗加工石積み」 昭和2年(1765)改修時のものと考えられている

金沢城5(1)
  (石川門 左右積み方が違う石垣)

石川門から三の丸に入り 右側には 
三御門のうち二つ目の門 河北門がある
金沢城の実質的な正門で 
高麗門の一の門 櫓門の二の門 桝形土塀で構成された桝形門
平成22年(2010)に復元されている

金沢城8(1)
  (河北門)

三の丸広場からは 圧倒させられる景色が目に入る

二棟の三層三階の物見櫓「菱櫓」と「橋爪門櫓」を二層二階の倉庫「五十間長屋」でつないだ建築物
平成13年(2001)に復元され明治以降に建てられた木造城郭建築物では国内最大規模
一間は6尺(1.82m)だから 「五十間」は90m以上の長さになる

この建築物の形体は
寛永8年(1631)の城下の大火・本丸御殿の焼失以降に整備されたと考えられている

  金沢城6
(右に菱櫓(ひしやぐら) 左に橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら) その間に櫓をつなぐ五十間長屋)

建物の役割は加賀藩の政治の中心で 藩主の住居でもあった「二の丸御殿」を守ることであり
長屋は石垣や土塁の上に建てられた最大建造物で防御と倉庫などの役割を兼ねていた
「櫓」は「矢倉」とも書かれ 武器などの倉庫に使われ 
見張りの役目も持っていた

金沢城7(1)
  (上 菱櫓・下 橋爪門続櫓・ 五十間長屋)

宝暦9年(1759)・文化5年(1808)にも大火を受けるが 
その都度再建され明治期まで存続
しかし明治14年(1881)にも 二の丸御殿・橋爪門・五十間長屋等焼失

橋爪門橋爪門続櫓

橋爪門は二の丸の正門として最も格式の高い門
平成27年(2015)に復元された

金沢城9(1)
  (橋爪門一の門と 下 橋爪門続櫓)

橋爪門続櫓は二の丸大手の橋爪門桝形に付随する三層の物見櫓で 三ノ丸で戦闘が起きた時の指揮所

橋爪門二の門番所

橋爪門は二の門の内部に番所が置かれ 二の門櫓(二階)への出入りは番所内に設けたの急勾配の階段から出入りしていたと考えられている 
中には畳が敷かれ 門の通路側は板戸となっている

金沢城10(1)
  (橋爪門二の門と番所の急階段)

橋爪門を通ると二の丸
二の丸には「二の丸御殿(千畳敷御殿)」があったが 
明治14年(1881)橋爪門・五十間長屋などとともに焼失し 
現在は「二の丸広場」となっている

二の丸から見た五十間長屋と菱櫓は素晴らしい眺め
美を追求した建物だ

屋根が白く輝いているのは 鉛瓦(なまりがわら)が酸化し 白くなったから

金沢城11(1)
  (二の丸から見た五十間長屋と菱櫓)

五十間長屋

平成13年(2001)に復元され
木材は
柱はヒノキ 床壁小さな梁は 能登ヒバ 二階丸太梁 マツ 
二階梁上の小屋組 スギ 大断面の梁(一部)は米ヒバを使っている

五十間長屋は建物の長さが五十間あることから名付けられ
武器や非常日の食料などを保管する倉庫として利用されていた

往時の金沢城には現存する三十間長屋をはじめ 
四十間長屋・七十間長屋・九十間長屋と呼ばれるものがあったようだ 

金沢城12(1)
  (五十間長屋内部)

発掘物も五十間長屋に展示されている

金沢城15(1)
  (城内の発掘物)

鉛瓦(なまりがわら)

瓦は鉛の瓦を使っており 
「荷重の軽減」「美しく見せる」「加賀で鉛が余った」など
また「戦の時に鉛を溶かして銃弾に加工した」など 色々な説が・・・

金沢城16(1)
  (鉛瓦)

菱櫓(ひしやぐら

菱櫓は3層3階 高さは17.34m
構造は床・天井・柱・針の断面などが菱形
つまり部屋が菱形に造られ 部屋四隅の角度が80度と100度
その理由は 正門の大手門と搦め手門の石川門の両方を同時に広い視野で監視するため角度を開き菱形にした
つまりパノラマの視野にするためという説が有力 高い技術が必要とされた

金沢城13(2)
  (菱櫓内部) (観光客が四方八方から攻撃されるところ)

金沢城17(1)
  (櫓からの景色)

金沢城14(1)
  (堀に面にした五十間長屋)

さて 本丸には安政五年(1858)に再建された三十間長屋が残っている
倉庫として使われた建物で 屋根には鉛瓦を使っている
白くなるので 美しく見せるためとも言われてている

金沢城址には平成7年(1995)まで金沢大学丸の内キャンパスがあったが 郊外に移転
問題の天守は何処にあったのか 全く分かっていない

慶長7年(1602)落雷による天守の焼失後 天守の再建はなかった
利家没後 二代藩主利長(としなが)はこじんまりとした三階の櫓を建てただけ

幕府が外様大名を改易・取り潰して城を奪っていく時代の中で 生き残るために 
政治に触らず 目立たぬよう文化だけに力を入れ
「美を極める」ことに重きを置いた

三代藩主利常(としつね)は本丸に「辰巳櫓」を建てた
これは京都西本願寺の飛雲閣と同じように同じ階に千鳥破風と唐破風の屋根を作った櫓である

西本願寺飛雲閣1-1(1)
  (京都西本願寺飛雲閣の千鳥破風と唐破風)

金沢城の随所にみられるような美
加賀にしかない文化を作ること

「美へのこだわりを極めることは家を守ること」
文化が花開いた京都への特別な思いから 「金沢を京都にする」
「目立たぬことは安泰につながる」との信念をもっていた

このような説があるようだ



プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。

カレンダー
07 | 2019/08 | 09
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
リンク
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
最新記事
カテゴリ別記事一覧
検索フォーム
QRコード
QR
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: