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北海道開拓の村 ~その12~


北海道開拓の村に移築・復元された歴史的建造物の紹介
第12回

~農村群その2~

旧岩間家農家住宅

岩間家は 旧仙台藩の士族移民団の一員として1871(明治4)年に入植

写真の建物は1882(明治15)年に郷里の大工によって建築され 間取りなどに郷里の建築様式が取り入れられている
一方で 仙台地方にはあまり見られない石置屋根が採用されている

旧所在地 伊達市弄月町
建築年代 1882(明治15)年
復元年  1982(昭和57)年

44旧岩間家農家住宅1(1)

内部の様子 結構立派な造りのようだ

44旧岩間家農家住宅2(1)

旧河西家米倉

札幌厚別地区の米作は1883(明治16)年長野県からの移住者によって始められた
水田は付近の低湿地に造られ 明治20年代になり本格的に耕作されるようになった

この米倉は最初の移住者の一人である河西由蔵が建てたものを再現した

旧所在地 札幌市厚別区厚別
建築年代 1897(明治30)年
復元年  1986(昭和61)年
 
45旧河西家米倉(1)

旧樋口家農家住宅

樋口家は富山県から移住した農家で1893(明治26)年に入植し 5年後にこの家を建てた

富山出身の棟梁に建築を依頼し 郷里の建築様式である枠の内(わくのうち)造りを取り入れ 材料は近くの原始林から切り出した

復元に際しては同じ建築様式の山口家の解体材もあわせて使用した
* 枠の内造り:金物を一切使用せずに組み上げられたもの

旧所在地 札幌市厚別区厚別東
建築年代 1897(明治30)年
復元年  1978(昭和53)年

46樋口家農家住宅(1)

旧小川家酪農畜舎

大正末期に札幌農学校出身の小川三策(さんさく)がアメリカから取り寄せた設計図を参考に建築したもの

19世紀のバルーンヘレーム構造が特徴の建物
また軟石のサイロは 後に札幌厚別の農家より譲り受けて移築したもの

* バルーンヘレーム構造: アメリカの近代住宅の建築工法で 枠組壁工法の前身の工法らしい

旧所在地 札幌市清田区平岡公園東
建築年代 大正末期
復元年  1988(昭和63)年

47小川家酪農畜舎1(1)

47旧小川家酪農畜舎2(1)

旧菊田家農家住宅

1886(明治19)年新潟県長岡の有力者であった大橋一蔵や関矢孫左衛門などは 北越植民社を組織し野幌原野の開拓を計画した

この建物は その一員の新潟県魚沼郡出身者が移住直後の1893(明治26)年頃に建築し のちに同じく南蒲原郡出身の初代菊田常吉が買い受けて移築したもの

旧所在地 江別市西野幌
建築年代 1893(明治26)年頃
復元年  1988(昭和63)年

48旧菊田家農家住宅1(1)

内部には笛や太鼓があり 郷土の伝統芸能を伝承していたのかも

また家の周りにはリンゴの木などが沢山見られた 
果樹栽培をしていた農家なのかもしれない 

48旧菊田家農家住宅2(1)

開拓小屋

開拓小屋は開墾小屋とも称し 移住者が最初に建てた住宅
丸太を埋め立てて柱とし 桁や梁(はり) 垂木(たるき)をわたし 笹や茅(かや)などで屋根や壁を葺き 出入り口と窓にはムシロを下げた

屋内は一部が土間で 他は笹や枯草を重ねた上にムシロを敷いて居間とし 炉を設けた
明治期のものを再現している

建築年代 明治期
復元年  1990(平成2)年

49開拓小屋1(1)

アイヌの住宅チセと同じような造り
この小屋で 北海道の厳しい冬を越せたのが不思議だ

49開拓小屋2(1)

農村群の一角に ボクも知らない 稗(ひえ)や粟(あわ)・除虫菊などなど
「懐かしい作物」として育てられていた

懐かしい作物1(1)

懐かしい作物2(1)

農村群はこれで終わり

次回は最後の 山村群を紹介




後ろ姿のきみ


「後ろ姿のきみ」 とはボクのこと

若いころ 
特に20代から30年代前半のころは 
女性に「後ろ姿のきみ」と呼ばれていたことがあった

何故???・・・
それはネ 
見るに耐えられなかったのかどうか分からないが
ボクを正面から見るより
「後ろ」から見たほうが良かったから らしい

ひょっとして・・・
スタイルはそれほど悪くなかったのかもしれない

    後ろ姿のきみ3-2(320)

年をとるにつれ だんだん額が広くなってきたころ
友達は
「頭の良いやつは前から禿げ 後ろから禿げるのは頭の悪いやつ」
と言って励(禿げ)ましてくれていた

ところが そのうちお互いに後頭部がかなり薄くなり
もうこれ以上 励(禿げ)ましようが無くなってきた

人によっては 「髪は長~い友達」ではないのだ

髪はもう半世紀近くウチのお多福に切ってもらっているが
その都度 
「てっぺんが薄くなってきたね」 と言われていた

でも「薄くなってきたね」と「禿げたね」とは大違い
「薄くなってきたね」は まだたいしたことない

この言葉で すっかり油断していた

ある時 リサイクルショップの中を歩いているとき
天井の一部分が鏡になっていて 
チョット上目づかいに見ると 頭のてっぺんがかなり禿げている人が見えた

周りを見ると ボク以外は誰もいない
何!これ! いま見えたのは ひよっとしたらオレか?
もう一度戻って 同じところを歩いて 上目づかいで見ると  

やっぱり「これオレだ!」

このときボクははっきり自覚した
「自分に見えないものは 分らないから自覚症状がない」

したがって
「分からないほうが幸せだ」 ということ

それにしても
何の目的で天井に鏡を取り付けているのか
その意図が不明だ 非常に意地悪な鏡だった

今度そのリサイクルショップに行ったら 店長に聞いてみよう

ボクの場合は
「薄くなったね」ではなく 「禿げたね」だった

そこで「後ろ姿のきみ」はもうこれ ダメ!ダメ!

「前姿」がもともとダメで 次に「後ろ姿」
「後ろ姿」も もうダメ 
賞味期限も消費期限も切れた

後ろ姿のきみ2(1)
(30代から70代までの華麗(枯れ)なる変遷だ)

そして今度は 最後 奥の手の「横姿」で 「カニ歩き」だ
ボクはガニ股ではないので この姿はあまり似合わないが

しばらくは「横姿のきみ」で通すつもりだった・・・
しかし

今度は 横から見ると いつの間にかおなかがポッコリ
このおなかポッコリが そのうちボッコリになる
ボッコリもまた 非常に見苦しい

メタボも度が過ぎると 相手にしてくれるものはいない

結局 これもまたダメだろう

でも 
後ろ向きにならず 
残り少ない人生 前向きに生きていかなければならない

な~んでか?

これからは
「後ろ向きのきみ」と呼ばれないためなんだわ・・・


北海道開拓の村 ~その11~


北海道開拓の村に移築・復元された歴史的建造物の紹介
第11回

漁村群につづき 今回は農村群の建築物 
~農村群その1~

農村群の位置図
漁村群位置図2(1)

旧山本消防組番屋

札幌山本地区にあった消防用具の格納庫
消防組織は1919(大正8)年頃からの自警団が前身で のち山本消防組となる
火の見櫓を持つ番屋は 農漁村の小規模な消防組織にみられ 防災や治安の中心であった

旧所在地 札幌市厚別区厚別町山本
建築年代 1925(大正末期)年頃
復元年  1986(昭和61)年

36旧山本消防組番屋(1)

旧若狭家たたみ倉

たたみ倉は道南の上ノ国(かみのくに)町周辺にみられる
倉は長方形の角材を積み重ねて外壁を作り 屋根をかける校倉(あぜくら)造り
漁家や農家が 家具や調度品・漁具・農具などを収納した

旧所在地 桧山郡上ノ国町字中須田
建築年代 1850(江戸時代末期)年頃
復元年  1986(昭和61)年

37旧若狭家たたみ倉(1)

旧ソーケシュオマベツ駅逓所

駅逓(えきてい)では人や荷物の運搬 農作業に馬が使われたので 付属する建物として厩舎(きゅうしゃ)が設けれれていた
この駅逓では1911(明治44)年約50ヘクタールの牧場と 8頭の官馬を持っていた

旧所在地 虻田郡喜茂別町双葉
建築年代 1915(大正4)年
復元年  1980(昭和55)年

38旧ソーケシュオマベツ駅逓所1(1)
馬車は現在観光用として線路を使い村内を周遊

厩舎にはレプリカの馬とともに 観光用の馬車を引く本物の馬2頭が食事中だった
38旧ソーケシュオマベツ駅2(1)

旧田村家北誠館養蚕種製造所

絹(糸)の原料となる蚕(かいこ)の卵(蚕種)をとる建物
浦臼町の養蚕(ようさん)伝習所教師が東京蚕業試験場の蚕室を参考に建築した
ここでは蚕種の製造販売を行うとともに 多くの養蚕技術者を養成した

旧所在地 樺戸郡浦臼町ウラウスナイ
建築年代 1905(明治38)年
復元年  1982(昭和57)年

39旧田村家北誠館三養蚕種製造所1(1)

所内では養蚕技術の説明 実演などが行われており また各種資料が展示されている
北海道全道各地で養蚕種の製造がおこなわれていたとは 知らなかった
39旧田村家北誠館養蚕種製造所2(1)

旧納内屯田兵屋

納内(おさむない)に屯田兵が入地したのは1895・1896(明治28・29)年
1875(明治8)年に始まった屯田兵は家族とともに兵村で暮らし 北辺の警備と農業開拓に従事した
当初は士族を募集したが1890(明治23)年からは主力を平民に移し 上川・空知・北見地方など北方内陸部に屯田兵村がつくられていった

旧所在地 深川市納内町
建築年代 1895(明治25)年
復元年  1985(昭和60)年

41旧納谷屯田兵屋1(1)

内部は質素な造りである
41旧納谷屯田兵屋2(1)

旧山田家養蚕板倉

開拓使は屯田兵の授産事業として養蚕を奨励し 琴似(ことに)兵村ではその成果が実って屯田兵の中には独自の養蚕施設を持つ者も現れた
この板倉は 屯田兵として入植した山田家が建てたもの

旧所在地 札幌市西区琴似1条6丁目
建築年代 1881(明治14)年
復元年  1985(昭和60)年

42旧山田家養蚕板倉(1)

旧信濃神社

間口が2本の柱で構成される「一間社流造」という様式で神社によく用いられる
旧所在地は 長野県諏訪地方の出身者が多かったので信濃開墾地と呼ばれ 神社を建立するにあたっては郷里の諏訪大社明神の御分霊をいただき 信濃神社と命名した

旧所在地 札幌市厚別区厚別中央4条3丁目
建築年代 1897(明治30)年
復元年  1980(昭和55)年

43旧信濃神社(1)

~農村群その2~ へつづく


北海道開拓の村 ~その10~


北海道開拓の村に移築・復元された歴史的建造物の紹介
第10回

北海道開拓の村は 明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を54.2㌶の敷地に移築復元・再現した野外博物館

今回は漁村群
見にくいが 案内図の左上に位置する

漁村群位置図1(1)
漁村群には
 「旧土屋家はねだし」「旧秋山家漁村住宅」「旧青山家漁家住宅」「廊下」の4件の施設が移築・復元されている

旧土屋家はねだし

はねだしは ニシン漁家の付属施設として海岸の地形に合わせて海側に跳ね出す形で建てられた倉
床の開口部を通して直接荷物を出し入れを行う
この倉は漁具・漁獲物・漁粕・身欠き鰊・数の子などの加工品を保管するために使用されたもの

旧所在地 八雲町熊石根崎
建築年代 1887(明治20)年
復元年  1986(昭和61)年

旧土屋家はねだし1(1)
(床下には2隻の磯船が見える)

旧秋山家漁家住宅

明治末期に秋田県男鹿半島から移住した秋山嘉七(かしち)の漁家住宅
洋風の棟飾りをもつ寄棟造
三代にわたり刺し網漁業 磯回り漁業を続け1978(昭和53)年まで住んでいた

旧所在地 羽幌町焼尻字白浜
建築年代 1920(大正9)年
復元年  1989(平成元)年

旧秋山家住宅1(1)

煮炊きする薪ストーブと囲炉裏の部屋がある
現代風に言えば3LDKの住宅 
旧秋山家住宅2(1)

旧青山家漁家住宅

青山家は1859(安政6)年に山形県から小樽へ移住し 小樽沿岸を中心に鰊建網(たてあみ)などを経営した
鰊建網経営には番屋をはじめ網倉・干場・船入澗(ふないりま)など多くの施設などを必要とした
鰊漁場の建物が集約されているところは少なく 重要な文化遺産の一つである

旧所在地 小樽市祝津町3丁目
建設年代 母屋1919(大正6)年 
     文庫倉・石倉・板倉1888(明治21)年
     米倉・網倉・外便所1887~1896(明治20年代)
復元年  1980(昭和55)年~1984(昭和59)年

8月下旬に訪れたときは建物外観は修復工事のため見ることができなかったので 冬(2月)の写真を使用

旧青山家漁家住宅1(1)

母屋は建網(たてあみ)2カ統 およそ60名の漁夫が寝泊まりした建物
中央の土間を挟んで 右側が親方の住宅 左側が漁夫(やん衆)の生活の場所

これは親方の住まいの部屋 番傘やら提灯が壁に取り付けられている

旧青山家漁家住宅4(1)

やん衆の居住部分 
はしごを登ると周りは ぐるりと寝床だ

旧青山家漁家住宅3(1)

ニシン漁が始まる前に 船頭から炊事係までこの漁場で働く者の名が全て掲げられる
一枚の板に筆書きされるが毎年 板はカンナがかけられ 新しくなる
旧青山家漁家住宅2(1)

下の写真は
ニシン粕と魚油を作るための道具
ニシン粕は本州の柑橘類の肥料としても使われたと聞く 

旧青山家漁家住宅5(1)

青山家元場(本拠地)には10数棟の建物が存在したが 7棟が移築
他には廊下・粕倉・船倉などがあった
建物は海岸に対して縦に一直線に配置したのは 狭い土地を一定の間数で地割した江戸時代末期以来の土地の利用形態によるものとのこと

旧青山家漁家住宅6(1)

廊下

廊下は陸揚げした鰊を一時収蔵するための施設
漁期後は 船・櫓(ろ)・櫂(かい)などの大型の漁労具や加工用具を収容する倉として利用された

廊下1(1)

廊下の中には枠船(わくぶね)が収蔵されていた
鰊建網漁では大量に漁獲した魚を枠船につり下げた枠網によって海岸近くまで運搬した

廊下2(1)

漁村群はこれで終わり 
次回につづく


学生の抗議活動


香港政府は「逃亡犯条例」改正案を出したが その案に反対する運動が広がった
この条例案は中国本土への容疑者引き渡しに道を開くものだ

これまでも「普通選挙の実施」などを要求していた市民活動がくすぶり続けていたが
この機会に抗議活動に拍車がかかった

抗議活動は「デモ行進」「集会・座り込み」「ストライキ」「授業ボイコット」「銀行預金引き出し」「鉄道の進行妨害」「公共施設の破壊」など過激な行動もある

香港は中華人民共和国の特別行政区で自由貿易地域
1997年にイギリス領から中国へ返還され 中国の政治制度において本土領域から分離した領域を設置し主権国家の枠組みの中で一定の自治や国家参加を可能とする いわゆる一国二制度をとっている

香港も本土政府の枠組みの中に取り込もうとする動きがあり
これに抗議する運動が広がり過激な展開にもなっていた

結果この「逃亡犯条例」も撤回された
しかし 抗議活動は一向に収まらない

というのも抗議活動は「五大要求」からなっており
「普通選挙の実施」など四つの要求があるからだ

デモ行進1(1)

ところでこの抗議運動の中心は「学生」

先日北海道新聞の「うそクラブ」蘭にこのような投稿があった

「香港、中高生もストライキ 血が騒ぐ!」 -団塊の世代ー

ボクも団塊の世代
当時(学生時代) 慶応大学の授業料値上げ問題から日本大学不正会計問題などをきっかけに学生たちが大学の垣根を超えた「全共闘」が組織され 「大学自治権要求運動」に加え「日米安保条約」「ベトナム戦争」「成田空港建設」への抗議・反対運動が展開された
いわゆる「学生運動」と呼ばれたもの  もう半世紀前の話だ

香港のこの様子を見て「学生運動」に参加していた団塊世代の方が血が騒ぐという投稿なのだろう

これらの運動は1968(昭和43)年~1970(昭和45)には ピークに達し
北海道でも 連日デモ学生と機動隊との衝突が繰り返された

デモと言ってもヘルメットをかぶり角材・石を手にした学生たち

反帝国主義を唱える「革マル派」「中核派」「社青同」等々
ヘルメットは色とりどり ヘルメットのデザインで「・・・派」がわかったものだ
このヘルメットに角材の姿が学生運動の定番スタイル

「民青」(日本民主青年同盟)と呼ばれる同じ共産主義系の活動団体は過激ではなかった

東大安田講堂占拠事件を機に全国の大学へ波及し 北海道大学でも大学本部が占拠され大学の機能は完全麻痺 授業は長期間にわたり休講の日々が続いた

のちに「内ゲバ」などと呼ばれる事件
もっと過激になると
「連合赤軍派」による「日航機乗っ取り事件」「あさま山荘事件」などにつながった

ボクはと言えば「学生運動」とは無縁
政治に関心が無かったわけではないが 
いわゆる「ノンポリ派」だった

この「学生運動」は1970年代前半には完全に消え失せ
今では日本の「学生運動」は死語に等しい

さて学生の時期は社会への懐疑・批判などを抱きやすい特徴があり
世界中どこでも若者が「抗議・反対運動」を通して社会を動かし 変革してきた実績がある

現在日本の若者はNPO・NGOや社会的企業などのボランティア活動に積極的に参加することで社会貢献をし
また社会福祉(児童・高齢者)に対する変革運動にも関わるなど地道な活動が主流となっているような感じがする

いま世界は 核兵器こそ使っていないがあちこちで紛争が絶えず キナ臭い状態が続いており
共存共栄の思想は薄れ 各国は「自国主義」に走り「同盟」を解消し 大国同士は「経済戦争」と呼ばれる戦争に突入している

「自国主義」の行き着くところは「戦争」ではないのか

国内では長期政権が続き 「安定政権」と呼ばれているが
本当にこれで良いのか
来年度予算で各省が要求している額が膨大に膨らんでいる
増税分を各省が当てにして獲得競争しているのではないか

増税分が本来の目的通り使われるのか
今後未来永劫年金制度は安心できるのか

「憲法改正」は必要なのか

デモ行進2(1)

国内では多くの課題・難題が山積み
これら様々な問題・課題に対する学生たちの動きが全く見えない
「憲法改正」に対しても学生たちが自ら主体性をもって議論しているのだろうか
「憲法改正賛成・反対」運動・デモにも学生たちの姿はあまり見かけない

政治に関心のある学生はどれほどいるのだろうか


北海道開拓の村 ~その9~


「北海道開拓の村」に移築・復元された歴史的建造物の紹介 
第9回

旧札幌拓殖倉庫

五十嵐倉庫合名会社より1912(明治45)年に創立した札幌拓殖倉庫(株)に引き継がれた倉庫
札幌軟石を使用した倉庫で札幌駅北側に隣接していた6棟の内の1棟
開拓期の農産物の集散に大きな役割を果たし 地域の発展に貢献した

旧所在地 札幌市北区北6条西1丁目
建築年代 1907(明治40)年
復元年  1984(昭和59)年

旧札幌拓殖倉庫1(1)
「拓殖」とは未開の荒れ地を切り開いてそこに住みつくこと
北海道拓殖銀行(1998年まで存在していた都市銀行)もそのような意味で付けられたのか

この壁にも開拓使の旗印である「北辰(ほくしん)旗」の「五陵星」が」刻まれている

旧札幌拓殖倉庫2(1)
上の写真左は「北辰(ほくしん)旗」の「五陵星」
右は現在の北海道旗で「七光星」で
開拓使の「北辰旗」と「七陵星」のイメージを現代的に表現したもの

旧札幌師範学校武道場

札幌師範学校は北海道教育大学札幌校の前身
外観は入母屋(いりもや)造 平入(ひらいり)の和風系移築意匠を強調した木造平屋建て
剣道・柔道場として使用され 1949(昭和24)年からは一時 図書館・第二体育館として利用された

旧所在地 札幌市中央区南22条西12丁目
建築年代 1929(昭和4)年
復元年  1996(平成8)年
 
旧札幌師範学校武道場1(1)

旧札幌師範学校武道場の内部
旧札幌師範学校武道場2(1)

旧札幌農学校寄宿舎(恵迪寮けいてきりょう)

開拓使仮学校に始まる札幌農学校(現在の北海道大学)は1876(明治9)年現在の時計台付近に開学
1903(明治36)年に現在の北大校内に移転し寄宿舎も新設され 恵迪寮(けいてきりょう)と命名された
当時は玄関棟と2棟36室および厨房棟があったが 玄関棟と2棟12室が復元されている

旧所在地 札幌市北区北17条西8丁目
建築年代 1903(明治36)年
復元年  1984(昭和59)年

旧恵迪寮1(1)

旧恵迪寮2(1)

恵迪寮内部の様子
旧恵迪寮3(1)

寄宿舎棟 部屋は4人部屋 将棋などができる娯楽室も復元されている
旧恵迪寮4 (1)

寄宿舎廊下の天井一面に下手な字で書かれた張り紙が
「悪の根源学生部は恵迪から自治をとりあげようとしただけでなく 恵迪の廊下や便所がいくらこわれようとも直し・・・」などと書かれている
旧恵迪寮5(1)

復元された恵迪寮内部は古材を使っておらず実際よりかなり小奇麗 

当時 壁・天井などは落書きなどで汚れ放題 
当時を知っている方にとってはイメージがあまりにも違うと思う方がいるのでは・・・


村内では自由に使える「竹馬」が用意されている
子どもたちが上手に乗っていた
竹馬(1)


次回につづく




北海道開拓の村 ~その8~


北海道開拓の村~その7~に続き
北海道開拓の村その5その6で紹介した建築物を夏の時期と比較した写真を紹介

旧北海中学校
1909(明治42)年に建設された旧北海中学校本館部分
現札幌市豊平区に建設された
旧北海中学(1)

旧島歌郵便局
現瀬棚町北島歌に島歌郵便局が1886(明治19)年に設置
1902(明治35)年に建設された建物
旧島歌郵便局(1)

旧山本理髪店
北海道神宮裏参道沿いの「床屋さん」として親しまれ
現札幌市中央区南1条西24丁目に大正末期に建設
旧山本理髪店(1)

旧渡辺商店
明治30年代に砂金掘りで賑わった中頓別市街地に建てられた雑貨店
漆喰仕上げの土蔵造り 大正末期のもの
旧渡辺商店(1)

旧龍雲寺
開拓期の農村ではまず寺社が建てられ 寺は学校でもあり集会所でもあった
現札幌市篠路に1886(明治19)年創建された
旧龍雲寺(1)

旧浦河公会会堂
神戸の北海道開拓会社「赤心社」が浦河へ結社移民として入植
指導者の多くはキリスト教徒で 1866(明治19)年「浦河公会」が組織され
1894(明治27)年には2代目の礼拝・集会場を建設した
旧浦河公会堂(1)

旧武岡商店
1871(明治4)年に淡路島から静内群に移住し本格的な店舗兼住宅を新築
米穀・雑貨・荒物などを扱い この地方の商業発展に貢献
現新ひだか町東静内に1898(明治31)年に建築
旧武岡商店(1)

旧大石三省堂支店
菓子職人の大石泰三が1925(大正5)年に帯広町で菓子の製造販売を始めた
現帯広市東2条南5丁目 1907(明治40)年頃の建築物
旧大石三省堂支店(1)

旧太田装蹄所
1924(大正13)年から1945(昭和20)年まで営業していた装蹄所
現札幌市中央区北1条東11丁目 大正初期の建築物
旧太田装蹄所(1)

旧藤原車橇製作所
深川へ入植した兵庫県出身の宮大工が1903(明治36)年に妹背牛で車橇製造を開始
現妹背牛町本町にあった開業以来使われていた製作所を再現
1903(明治36)年の建築物
旧藤原車橇製作所(1)

旧本庄鉄工所
1925(大正14)年から昭和50年代まで使用されていた鉄工所
漁具や漁船の付属品・農機具などを制作していた鍛冶屋
現石狩市親船12 1997(明治30)年頃の建物

旧本庄製鉄所(1)

雪あり・無しの対比写真紹介は今回で終わり

次回からは 
「北海道開拓の村」に移設・復元された 他の建築物を紹介する


北海道開拓の村 ~その7~


北海道開拓の村~その7~

北海道開拓の村にある移設復元の建造物を 2月26日から6回にわたり紹介したが
写真は雪に埋もれた様子だったので 今回改めて撮ってきた

今回はその続きで まず 
北海道開拓の村その1その2その3その4で紹介した建築物を雪の無い状態と比較した写真を紹介

北海道開拓の村管理棟 「旧札幌停車場」
現JR札幌駅の前身
1908(明治41)年築のもの 当時の5分の一で復元

1-1旧札幌停車場(1)

旧札幌開拓使札幌本庁舎
北海道旧本庁舎(赤れんが庁舎)の前身
1873(明治6)年完成したが 6年後に火災で焼失
2-1旧開拓使札幌本庁舎 (1)

旧浦河支庁庁舎
北海道庁の出先機関 後に日高支庁と改称
1932(昭和7)年築のもの
4-1浦河支庁庁舎(1)

旧近藤染舗
1894(明治31)年徳島県から旭川市へ移住し創業した染物店
1913(大正2)年新築された店舗兼住宅
5-1旧近藤染舗(1)

旧手宮駅長官舎
小樽市手宮の駅長官舎
1984(明治17)年築のもの
8-1手宮駅長官舎(1)

旧開拓使爾志通洋造家
札幌市内開拓使の官舎
1878(明治11)年築のもの
9-1旧開拓使爾志通洋造家(1)

旧有島家住宅
札幌市白石区 有島武郎が32歳の頃住んでいた住宅
1904(明治34)年築のもの
10-1旧有島家住宅(1)

旧福士家住宅
札幌市中央区北海道開拓に貢献した福士家の住宅
明治時代のもの
11-1旧福士家住宅(1)

旧松橋家住宅
明治初期に秋田県から札幌に移住した都市生活者の住宅
1897(明治30)年頃のもの
12-1旧松橋家住宅(1)

旧開拓使工業局庁舎
札幌市中央区 1877(明治10)年のもの
13-1旧開拓使工業局庁舎(1)

旧近藤医院
古平町で開業時に建設された病院
1958(昭和33)年のもの
14旧近藤医院(1)

旧札幌警察署南巡査派出所
札幌市中央区南1条にあった派出所
1911(明治44)年のもの
15旧札幌警察署南巡査派出所(1)
(この日(8月25日)は派出所の警察官がボクを敬礼で迎えてくれた)

当時は人や物の運搬に馬が使われていた
夏場は線路を利用した観光馬車で村を一回り
3-1馬橇(1)

旧来正旅館 旧三〼河本そば屋は修理中のため囲いで覆われていた

つづく

手づくり市用展示棚の作成


手づくり市へ出品する品物を展示するための棚を依頼され 作ってみた

手づくり市では 一般的にクロスをかけた長テーブルに品物を置き
飾り付けして 提供するのだが

出店者は 品物をより多く出すため テーブルを有効かつ立体的に利用する

今回は依頼者の希望通りの単純な組み立て式の棚を作った
棚は二段 材料はコンパネ材 

見た目が良く また持ち運び時に楽な穴の開いた軽い材料とした
棚板が上下2枚 そして 棚板を抑えるために両脇2枚の立て板を作り

展示棚2(1)

棚板が薄いので(厚さ3mm) 裏に5mmのMDF材で補強

提示棚3(1)

棚と立て板を止めるための 木製くさびを上下両脇3本づつ作り
組み立ててみたが こんな感じになった

展示棚4(1)

幅は90cm 高さは45cm 奥行きは下の棚が25cm 上が15cm
女性用のアクセサリーなどは かなりの量のものが飾れるはず

解体し伸縮バンドでまとめると コンパクトになり
巾着袋には くさびと木製トンカチを収納

展示棚5(1)

塗料は ホームセンターで入手できる
屋内木部用アクリル樹脂塗料MILK PAINTスノーホワイトを使用した


秋の空

「女心と秋の空」とは

変わりやすい秋の空模様のように 
女性の気持ちは移り気だという意味らしいが

男心は移り気ではないというのか? そんなことはないだろう!

男のボクが言うのだから 間違いはない!!

9月に入ってからは 天候も不純・・・ではなく不順

日が差していたかと思えば 真っ黒な雲が現れ バケツをひっくり返したような雨が降ったり
止んだかと思ったら また おてんとうさまが顔を出したり
とにかく忙しい秋の空だ

この1日も雨が降ったり 止んだり

朝起きて二階の窓から 
西側(海側)を見ると また虹が発生していた
今回は半円に近い虹だ

虹1(1)

虹を見ると
昔懐かしい「虹の彼方に」という曲が流れてきそうな感じがする
原題は「Over the Rainbow」 
ミュージカル映画「オズの魔法使い」の劇中歌だ

虹2(1)

ホントにこの虹の上で自転車でも乗って渡れるような気がするが
魔法は使えず 危ないから やめた方が良い

この虹も すぐに消えてしまった

よくよく見ると 虹が二重になっていたようだ
写真の右端をよく見ると 上にも一本虹がかかっていた痕跡がある

もう少し早く気付いていれば 虹の二重橋が見られたかも

2日も夕方に風雨が強くなり 大雨警報と竜巻注意情報が出ていた
環境異変も激しく 超大型台風もまだまだ来るのか

秋の空も 「暴力的」になっているので 

やはり 「男心と秋の空」だ
 

プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。

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