FC2ブログ

旭川常磐公園の紅葉


あと3日ほどで11月
北海道道北地方は もういつ雪が降っても不思議ではない季節になった


25日羽田から旭川空港へ降り 
旭川市内へ向かう途中の大雪山は すでに雪化粧

大雪1(1)

北海道立旭川美術館で 
滝川市出身の画家 文化勲章受章 没後20年 岩橋英遠展を鑑賞

img278-1.jpg

美術館前の常磐公園内の紅葉がすばらしい
平地での紅葉も これで見納めか

常磐公園紅葉1(1)
(左の建物が北海道立旭川美術館)

常磐公園の紅葉2(1)

常磐公園の紅葉3(1)

常磐公園の紅葉4(1)

常磐公園の紅葉5(1)

今回は
旭川市常磐公園内の紅葉の紹介でした

小サバ釣りで賑わう


留萌港では小サバが釣れている

当地は日本海であるが
太平洋各地で漁獲されるサバは秋が旬 「秋サバ」と呼ばれている

サバの種類は「マサバ」「ゴマサバ」が代表的なもの

このサバは 「マサバ」であるがまだ成魚ではない
いわゆる「小サバ」と呼ばれている

いま 当留萌港ではこの「コサバ」が釣れている

小さば1(1)

知人が釣りのあと 
自宅へ帰る途中 釣ったサバを全て置いていった
釣るのが楽しく あまり持ち帰ると 嫌がられるそうだ

上の写真の4匹はまだ 生きて跳ねている
下は 知人が岸壁で 既にさばいたもの

後で岸壁へ行ってみたところ
家族連れの釣り人でいっぱい 相当釣れている様子であった

小サバ釣り1(1)

さっそくお昼には「サバの煮つけ」で食事
残りは「甘露煮」にするようだ

一昨日は 「チカ」をもらい これは天ぷら 
これもまた同じ知人が釣ったもので 場所は隣町の漁港らしい

チカ1(1)

秋サケは特別な「秋味」であるが

これらもまた「秋味」なのだ


「家内」という言葉


ボクは 妻のことを他の人には 「うちの家内は・・・」と話す

「家内」の中には 
「おっかない家内」やら「きかない家内」もいる

「家内安全」と言う言葉があるが 

「おっかない家内」「きかない家内」の場合は
「家内安全」ではなく「家内不安全」で
「家の中はかなり危険」だ!

過去には
家の中で家庭・子供たちを守る役割が妻であったため
「妻」のことを「家内」と呼んだのだろう

専業主婦1(1)

こんな時代はとっくに終わった

今どきは 家の中に閉じこもっている若い奥さんは少なくなった
外で働く奥さんたちが多く 
「家内」ではなく「家外」活動をする「妻・奥さんたち」が増えてきた

その場合は 「妻・奥さん」のことを もう「家内」ではなく 
「うちの家外」と呼ぶ方が良いかもしれない

「家内」は もう死語になるかも

一方「イクメン」とかで 
男性が「育児・家事」に積極的に参加するようになり
「育児休暇」を取るどころか 旦那が家庭を守る姿が多くなりつつもある

「専業主婦」・・・ではなく「専業主夫」だ

専業主夫1(1)

近い将来
奥さんが 旦那のことを「ウチの家内」と呼ぶようになるかもしれない

やはり「家内」は死語にはならないことになる


p.s
「一体何を言いたいの?」とお多福に言われた
「たわいもない話」なのに!


紅葉はもう終わり


めっきり涼しくなり 朝の外気温は一桁

この日(21日)は秋晴れ 最高気温は19度ほど
快晴だが 島(天売・焼尻・利尻島)はかすんで見えない

秋晴れ1(1)

山はすっかり紅葉している

神居岩公園へ行ってみると
まずまずの紅葉が見られた

今年は風が強かったせいか 赤紅葉はやや不良

紅葉2(1)

紅葉3(1)

紅葉4(1)

ナナカマドは既に葉が落ち 実だけが残っていた

紅葉1(1)

公園の一部は パークゴルフ場
いつも リタイア組で賑わっている

紅葉5(1)

もうすぐ紅葉は終わる

庭では 雪虫が賑やかに飛んでいる
・・・と言うことは 初雪も近いか


コハクチョウの飛来


10月16日 砂川市からの帰り道
「コハクチョウ」が隊列を組みながら 次の中継地点へ飛来

コハクチョウ1(1)

越冬のため 本州への旅の途中だろうか

北海道北部では稚内市の大沼 オホーツク浜頓別町のクッチャロ湖などの中継地点から
美唄市の宮島沼 そして苫小牧市のウトナイ湖 そして道南駒ケ岳ふもとの大沼などを経て本州へ渡る

また 道東方面から渡るルートもある

先日(8日)に訪れた オホーツク浜頓別のクッチャロ湖では 
マガンの姿は見られたが コハクチョウの姿はまだ見えなかった 

コハクチョウ3(1)
このクッチャロ湖では 
この10日(飛来数780羽)から本格的に飛来しているようだ

コハクチョウはユーラシア大陸北部のツンドラ地帯で繁殖し
越冬のため温帯へ渡るが 
日本では宮城県以南から鳥取県辺りで越冬するという

北海道で見られるのは 通過途中の渡り鳥ということになる
それにしても物凄い数だ

このあとも 隊列を組んだ 群が次々と飛来していた
コハクチョウ2(1)

この群れは
次の中継地として美唄市の宮島沼へ向かっているのだろうか

島根県宍道湖では 
この14日に今季初のコハクチョウ飛来を確認したとの報道もあった

来春には また無事北海道を中継して 帰ってもらいたいものだ



浜頓別町のキャラクターグッズの販売


去る5月18日付の道の駅シリーズで「北オホーツクはまとんべつ」を紹介したところ

このブログを見た浜頓別町のパン屋さんから「ネットショップ」を通じ浜頓別町のキャラクター「スワットン」の時計の注文があった

この時計がそうだ
スワットン1(1)

さっそく品物を送ったところ そのパン屋さんから
「こちらの店で その時計を置きたいので何個か送ってもらいたい」
との連絡があった

詳しく話を聞くと 
この5月にオープンした道の駅「北オホーツクはまとんべつ」内でパン屋「こんがり堂」を経営する方だった

こんがり堂1(1)
(こんがり堂)

こんがり堂2(1)
(こんがり堂のパン なかなか人気のパンのようだ)

この「こんがり堂」さんは道の駅内の売店を管理運営しており
売店で扱う品数もまだ少なく 他に扱うものを探していたとのこと

この時計を気に入ってくれた

買ってくれた時計は「こんがり堂」で飾っており 
売り物用に 当工房の時計を扱いたいとのことである

店内の様子
売店内1(1)
(地元作家さんたちの手作り品もある)

スワットン4(1)
(他業者のぬいぐるみなどのスワットングッズ)

浜頓別町へは当市から190km 車で3時間半 結構な距離だ
隣の猿払村へは年に一度猿払村キャラクターの「さるっぷグッズ」を納品しており
この村よりはチョット近い

ドライブがてら 他の「スワットングッズ」を持参し 
道の駅「北オホーツクはまとんべつ」で商談の結果

これまで制作している他市町村キャラクターグッズと同じクラフトを
この道の駅でも 販売してもらえることになった

グッズは「時計」の他4種類 

レターボックス&テープカッター
レターボックス&テープカッター(1)

ポケットティッシュボックス カッププレート
スワットン2(1)

浜頓別町のマスコットキャラクターは
「スワットン」はクチャロ湖に舞い降りる「白鳥(スワン)」と「頓(豚=トン)」を合わせてデザインしたもの
様々な表情のデザインがある

スワットン5(1)
(デザインの使用については許可済み)

当初 この「スワットン」はあまり制作意欲の湧かないデザインだったが 
この度 数多く作ってみると 
段々と そのデザインが可愛くなってくるのが不思議な現象である

また取扱店を増やしてしまった
呆ける暇がないのは良いことだが 忙しいのもどんなものか

・・・と思っているが まあいいか!


アイヌ文化のふるさと「二風谷(にぶたに)コタン」その3


アイヌ文化のふるさと「二風谷(にぶたに)コタン」その3
「二風谷アイヌ博物館」のつづき

身に着けるもの

写真上は アイヌ語で「タマサイ」 首飾り
下左はサケの皮で作った靴など
下右は手甲 (作業用手袋) アイヌ語で「チカミコテ」 「テクンペ」 
「ホシ」脚絆 糸巻なども写っている

身に着けるもの1(1)

衣服

衣服は動物を使った衣服(獣皮衣 魚皮衣 鳥羽衣)
植物を使った衣服(樹皮衣 草皮衣) 
また外来の衣服として 本州や大陸から渡ってきた木綿の古裂(ふるぎれ)でアイヌの人たちが作った衣服(木綿衣)があるようだ

写真左は正装用衣服のようだが 頭にはサパウウンペ(写真左下に小さく写っている)をかぶる
これはブドウ蔓(つる)や木の皮で作り 神にささげるイナウ(御幣)をつけ
晴着の上には陣羽織を羽織る 
さらに エムシアツ(刀掛帯)に刀を通し身に着け儀式用に用いた

衣服1-1(1)

これは代表的な樹皮衣でアトゥㇱと呼ばれた衣服

衣服2(1)
アトゥㇱはオヒョウの木の樹皮がよく使われた

その方法は 
木の皮は立木のまま下から上へ剥ぎあげるときれいに取れ 剥ぎ取ったらその場で外皮を取り除き内皮だけを持ち帰り 温泉に(あるいは沼)に漬け 繊維が柔らかくなったら流水でヌメリをおとし 数枚に剥がし 天日乾燥させて糸に紡ぐ 

オヒョウの繊維は長くとれるので紡錘車のようなものは必要がなく 手を使って軽く撚りをかけながら機結びにして 糸球を作った

木の皮は一枚だけ剥がしたら 樹皮が再生できるよう印をつけ それ以上剥がさないようにした
必要以上は取らないというアイヌの精神は 欲深い和人との大きな違い

アイヌ文様

アイヌ独特の文様は衣服や服飾品に付けられている
文様は祖母から母親へそして娘へと 母方の系譜に伝え続けられているそうだ

この記念館には様々な刺繍文様が展示されていた

アイヌ文様1(1)

一方男性の場合は小刀を使った彫刻文様があり
この小刀文様は代々男親が伝えるもの

アイヌ文様2(1)

横道に逸れるが 
カナダ西海岸の先住民族が代々伝えているトーテムポールの文様もその家独自の文様
アイヌ民族とカナダ西海岸の先住民族の文化には共通点がある

トーテムポール1(1)
  (トーテムポール 萌樹工房作)

儀式

カムイミンタㇻ(神々の祭り場)

火の神や水の神は位が高い 神の国では神々は人間と同じ姿や形で暮らしている
クマ神タヌキの神はときどき肉や毛皮を身にまとって人間の所へ遊びに来る
アイヌはそう考えていた

この場所は人が住むチセではない 
今立っているここは 神々が集い遊ぶ神の国の祭り場
ここには 捧げ物がたくさん並んでいる 
人間たちが神々に見せよう 聞かせようと歌い・踊り・語る

カムイミンタㇻ1(1)

トゥキパスィ(棒酒箸)

お祈りする時はこのパスィにサケをつけて神々に捧げる

アイヌたちはこれをただの道具ではなく 
人間の願いを神に伝えてくれる雄弁な生き物だと思っていた
人間と神との仲介役だと思っていた

若い者たちが 何かで言い争っている時など 年寄りがこれでコツンとやると文句も言わず静かになる
大事なものだけに 工夫を凝らして作ったものが沢山残っている

棒酒箸1(1)

カムイカㇻオンネ(天寿)

天寿をまっとうしたような年寄りの弔いの時には使者にユカㇻを聞かせる

普通と違って一番面白いところから始めて 必ず最後まで語り終える
話の続きを聞きたさにこの世に戻ってこないよう心残りなくあの世に向かわせる

行った先 神の国でも不自由しないようにお椀や鍋・火打石・小刀と普段使っていたものもいっしょに葬った
イヨイタㇰコテ 引導渡しのことばとともに

天寿1(1)
  (左が女性の墓標 右が男性の墓標)

紹介したのは「二風谷アイヌ文化博物館」の一部でした


おまけ

先日 某小学校の学芸会を観賞した
昔は踊りと言えば「日本舞踊」であったが 最近は子どもを含めた若者に人気のダンスが学芸会で披露されている

今回はハワイの伝統的なダンスも披露されていた

ダンス1(1)

北海道の一部の小中学校では「アイヌ民族の文化・伝統」に関する授業が行われているが まだまだ充分とはいえない

外国の伝統ある踊りも悪くはないのだが 

日本の先住民族である「アイヌ民族の踊り」なども授業で取り入れ 
この様な場で披露してはどうなのか と感じた一日だった


アイヌ文化のふるさと「二風谷(にぶたに)コタン」その2

アイヌ文化のふるさと「二風谷(にぶたに)コタン」その2

「二風谷アイヌ博物館」

沙流川(さるがわ)流域に息づく アイヌ文化の継承「二風谷コタン」内には
1992(平成5)年に開館した 「二風谷アイヌ博物館」がある

アイヌ博物館2(1)

開館看板と入口ドア部分にはアイヌ文様が描かれている
なかなか雰囲気がある

アイヌ博物館3(1)
入口案内に置いてある 記念スタンプ

アイヌ博物館0(1)

中は 広く解放感があり
アイヌ文化を伝える様々なものが展示されている

アイヌ博物館5(1)

住居

アイヌの住居「チセ」
アイヌ博物館4(1)
「チセ」の外観は ほぼ長方形で大きいもので長さ5~6間(約9~11m) 幅2~3間(約4~6m)
柱は地面に埋められ固定され 
材料はナラ・カシワ・カツラなど4隅は特に太いものが使われた

柱と柱の間はヤチダモ・ナラのようなまっすぐな木が使われ 柱の上には梁と桁をわたして中梁が数本等間隔に縛られ 家枠の強度を高めている

屋根は四方向に勾配のつく寄棟造りで 
屋根や壁を葺いた材料はカヤ・ヨシ・ササ・樹皮など地方によって異なっていたようだ

「チセ」のまわりには生活や信仰に関わる付属施設が建てられ 
写真上のように 倉庫・動物の檻・便所・干し柵・祭壇などが主なもの

狩猟・漁労用具

アイヌ民族は狩りと漁労で食料を確保し 
また 和人との交易のため特定の動物を捕っていた
川ではサケ・マスが主体だが 
ウグイ・イトウ・ヤマメ・イワナなども捕っていた

サケは主食 しかし必要以上には捕らない 
保存用には産卵の終わったあとのサケを使い
漁が終わったら キツネやカラスの分を川のそばに残すことを忘れなかった

写真下左
これはマレク(突き鉤)と呼ばれるサケを突く道具
写真下右
2隻の丸木舟の間に網を張り サケを捕獲する方法もあった

漁労具1(1)

また海では 大型魚海獣の漁も行われていた
獲物はマグロ・メカジキ・オットセイ・イルカ・クジラなど
大型丸木舟も展示されていたが大型魚海獣の漁に使われたのかもしれない

漁労具2(1)

オットセイは食料の他 毛皮として和人との交易に使われた

山では ウサギ・キツネ・ムジナなどの小動物を捕獲していたようだ
クマやシカなども捕獲していた
クマは食用は勿論 毛皮は自分たちで利用するほか 和人たちとの交易に利用

写真左はクマを射止める「クワリ」と呼ばれる仕掛け弓 

右はテンを捕る「ホイヌプクペ」と呼ばれるわな
イモツ(いも)でテンを引き寄せ 石を乗せた罠が落ちてくる仕組みになっている

狩猟具1(1)

シカ猟は毒矢で射る方法など色々な方法があったらしい
シカの皮も珍重された

これは何の皮か 確認を忘れた

動物の毛皮1(1)

生活の道具

生活用具も数々展示
壁には アイヌ文様の盆が芸術作品として飾られていた

生活用具1(1)

次回に続く


アイヌ文化のふるさと「二風谷(にぶたに)コタン」その1


沙流(さる)川流域の平取(びらとり)町二風谷(にぶたに)は
アイヌの伝統が色濃く残る地域として古くから知られている

先日この「伝統文化を伝える集落」を訪れた
二風谷コタン2(1)

二風谷コタン1(1)
   (平取町観光協会・平取町役場発行パンフより)


その前に

この二風谷コタンは 二風谷(にぶたに)ダムに隣接している
このダムは沙流川の治水と日高地域への利水を目的に1997(平成9)年に完成した特定多目的ダム

建設に際し水没予定地は チプサンケと呼ばれるサケ捕獲のための舟下ろし儀式を始めとしてアイヌ文化が伝承される重要な土地であったため この地に住むアイヌ民族との軋轢が「二風谷建設差し止め訴訟」にまで発展し アイヌ民族の先住性を問う契機になったダム事業として知られている

訴訟を起こしたのは
参議院議員として国政に参与した故萱野(かやの)茂と故貝澤正 

萱野(かやの)茂 
元平取町議会議員 元参議院議員 二風谷アイヌ資料館創設
元世界先住民族サミット2008実行委員会最高責任者 
アイヌ文化研究社(博士) 
(金田一京助の影響を受けアイヌ語記録に着手 このころ知里真志保とも出会う)

貝澤正 
元平取町議会議員 元北海道ウタリ協会副理事長 

両氏はアイヌ文化を守るためダム建設に反対し
所有する土地の補償交渉に一切応じず 補償金の受け取りも拒否した

このため北海道開発局は法に基づき強制収用に踏み切った

これを不服とした両氏は「収用差し止め」を求めたが棄却
請求棄却に反発した両氏は札幌地裁に行政訴訟を起こした 
これが「二風谷建設差し止め訴訟」
 
この訴訟の真の目的は
アイヌ民族の現状を広く一般に認知させ アイヌ文化を国が保護・育成させることだった

1997(平成9)年ダムの建設が完了した後 札幌地裁は原告側の訴えを棄却した
しかし「土地取得に関し アイヌ民族の文化保護などを置き去りにして収用を行ったことは 法を逸脱している」として収用は「違法」と判断 
その上で既になされた収用裁決を取り消すことは「公益に著しい障害を生じる」として判決には違法は明記するものの 原告の請求を棄却した

この訴訟を契機として アイヌ民族を国の機関として初めて先住民族として認め
同7月に悪名高かった「北海道旧土人保護法」が廃止され 「アイヌ文化振興法」が成立した

また国は
1991(平成3)年に建てた二風谷アイヌ文化博物館を国庫補助でアイヌ文化・アイヌ語伝承や文化財保護の拠点として拡充させ チプサンケの代替地を8月に完成させた

1998(平成10)年には沙流川博物館が開館し 現在は二風谷アイヌ文化博物館とともにアイヌ文化の保護拠点となった

ダム建設が契機となり アイヌ民族の悲願が成就したが 萱野・貝澤をはじめとしたアイヌ関係者の血のにじむような苦労が この二風谷コタンに潜んでいる
(参考 ウィキペディア)

二風谷コタン

二風谷コタン3(1)

チセではアイヌ工芸の実演が行われていた

二風谷コタン4(1)
(チセとアイヌ文様の刺繍)

囲炉裏の上では保存食用とするためトウモロコシとウバユリの根(球根)が吊り下げられていた

二風谷コタン5-1(1)

ウバユリの根(球根)の保存食製造方法
球根を薄く剥がして搗(つ)き 発酵させて良質の澱粉をとる
これを一回茹でて ひもを通し乾燥させる

また工芸のチセでは刀の鞘や盆作りの実演が行われていた

二風谷コタン6(1)

コタンにはアイヌの生活の様子が分かるようなものが数々ある

写真下左は
アイヌ語で「プ」と呼ばれる高床式の倉
おもにヒエやアワなどの穀物の保存・貯蔵のために用いられ 足を長くした床は丸太を並べて通気性を良くするため
ネズミの侵入を防ぐために倉を登るハシゴは使うときにだけ立てかけ 柱に板や木の皮などでネズミ返しをつけることもあるようだ

穀物はトッタといわれる大きなかます(袋)に入れて「プ」の中に貯蔵し穀物の他に春から夏にかけて収穫した山菜類も乾燥させたあと冬のための保存食として蓄えていた
チセのまわりには倉だけでなく 祭壇 仔グマのオリ 便所などがおかれた

二風谷コタン7(1)
写真上右は「ペペレセッ」(仔グマのオリ)

アイヌの伝統的生業カレンダーでは 早春3月ごろ穴で冬眠しているクマをとる
仔グマは村に連れられ1年~2年ほど神の国から来たお客として養われる
仔グマは家の中で2ヶ月ほど暮らした後「ペペレセッ」に移され大切に育てられ 1歳から2歳になったころ神の国へ送り返すため 「イヨマンテ(クマ送りの祭事)」が村をあげて盛大に行われる
 
二風谷コタン内には
1992(平成5)年に平取町の博物館として開館した
「二風谷アイヌ文化博物館」がある

アイヌ文化博物館1(1)
(二風谷アイヌ文化博物館)

この博物館は次回に紹介する


道の駅めぐり~「あびらD51ステーション」~


北海道の道の駅は現在125ヶ所が登録
今回は今年3月124番目に登録された「道の駅あびらD51ステーション」を訪れた

安平町は昨年9月に発生した北海道胆振東部地震の震源地厚真町の隣町
まだその爪痕が残っているが 復興に向けた取り組みがなされている

img253(1).jpg

安平町は2006(平成18)年 早来町と追分町が合併して誕生した町

基幹産業は農業で 乳牛生産が有名でメロンも特産品の一つ
競走馬生産も盛んで中央競馬で活躍し 
2005(平成17)年に三冠を達成した「デープインパクト」もこの町で生産された

あびら道の駅1(1)

道の駅は「D51ステーション」と名付けられている

D51は蒸気機関車
合併前の追分町は 室蘭本線と石勝線の交差する地点にあり 古くから鉄道の街として栄えた
道の駅の設置場所はこの追分町

あびら道の駅7(1)

最近オープンする道の駅はどこもオープンスペースが広い
天井も高く空間利用が上手い
そしてファーストフード店も入っているのが特徴

あびら道の駅2(1)
この度 
五輪担当大臣になった橋本聖子は合併前の早来町の出身

地元農産品の販売スペースも棟続きにある

あびら道の駅3(1)

なつかしい ヤマブドウと コクワの実があった

コクワは米櫃に入れ 熟すのを待って食べたものだ
ヤマブドウ採りではブドウの木のツルでターザンごっこをし 
ツルが切れて落ちてよく悶絶した 小中学生の頃の話だ

買って食べてみたが 
コクワの実は美味しく 昔の味そのものであった 

あびら道の駅9(1)
(ヤマブドウとコクワの実)

別の所にあった鉄道記念館をこの道の駅に移設した

あびら道の駅5(1)

機関庫には D51が展示されている
鉄道マニアにはたまらないだろう 
当時の駅案内板もそのままに展示されている

あびら道の駅6(1)

D51の後部にはジーゼル機関車があり D51を野外に出すときに使っている

あびら道の駅8 (1)

また野外には特急ディーゼル キハ183系が設置されている
往年の「特急おおぞら」だ 
札幌苗穂駅から化粧直し後運ばれてきた

また
トイレの壁には機関車を模したデザインが可愛いい

あびら道の駅4(1)


プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。

カレンダー
09 | 2019/10 | 11
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
リンク
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
最新記事
カテゴリ別記事一覧
検索フォーム
QRコード
QR
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: