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「アイヌ神謡集」と知里幸恵

今年は北海道命名から150年 
命名に携わったのは探検家松浦武四郎 

松浦武四郎の功績に蝦夷地の先住民族「アイヌ」の協力があったことは言うまでもない

この「アイヌ民族」に関心を持ち これまでブログに
川村カ子トアイヌ記念館 砂澤ビッキのアトリエ~その1~ 砂澤ビッキのアトリエ~その2~など

何度か取り上げたが 今回は19歳でその生涯を閉じた「知里幸恵」について紹介したい

今回のブログも長いので 興味のない方 ご遠慮なくスルーで結構

知里幸恵の生涯

1903(明治36)年
登別にて アイヌの父高吉 母ナミの長女として誕生

1909(明治42)年
旭川近文でキリスト教の普及活動をしていた金成マツ(母の姉)のもとに モナシノウク(祖母)と共に身を寄せる
祖母は有名なユカラクル(叙事詩)の語り手であった

1910(明治43)年
上川第三尋常小学校(のちの北門小 道教育大学付属旭川小)に入学
マツの聖公会伝道所が現在の北門中学校敷地に新築移転し三人で移り住む
アイヌ児童教育の目的で上川第五尋常小学校(のちの東栄小)が開校し 幸恵も移る

1917(大正6)年
祖母と叔母を訪ねてきた金田一京助と出会う
金田一京助は 幸恵の聡明さに驚く
幸恵はこの時旭川区立女子職業学校の学生

1920(大正9)年
女子職業学校卒業
金田一京助より幸恵にノートが送られ アイヌ文芸の筆記を勧められる
ローマ字表記の練習に励み金田一のもとに送る
その合理的な表記に驚嘆した金田一は幸恵の才能を再確認し 出版する企画を立てるが 心臓の持病のため療養生活を送っていた幸恵は辞退し続ける

1922(大正11)年
上京の決意を固め金田一宅に下宿し アイヌの伝承の筆記などをしていたが 徐々に心臓が悪化
9月「アイヌ神謡集」の原稿が幸恵のもとへ届けられ 校正作業が終わった18日 容態が急変 心臓発作を起こして19歳3ヶ月の短い生涯を閉じる

1923(大正12)年
「アイヌ神謡集」が郷土研究社より「炉辺叢書」(民俗学の原点となる貴重な書物を集めたもの)の1冊として刊行される


「アイヌ神謡集」は幼い頃から祖母モナシノウクや叔母の金成マツから聞いていたアイヌの神謡(カムイユカラ)を編纂 翻訳したもの

「銀の滴(しずく) 降る降るまわりに 
金の滴(しずく)降る降るまわりに・・・」
で始まる有名なフレーズ

この「アイヌ神謡集」の序は名文で 幸恵の心情 思いが充分に伝わるもの

アイヌ神謡集序1

「狩猟・採集生活」をしていたアイヌの人々にとっては自然破壊ばかりでなく 同時に生活を追われ 平和な日々をも壊すもので この「神謡集」の「序」には滅びゆく民族・言語・神話を自覚し 祈りにも似た思いを語り継いでいこうという切ない願いがあり アイヌ文化を守りたいという切々とした思いを伝えている

「アイヌ神謡集」は1923(大正12)年に出版され 英語 フランス語 エスペラント語にも訳され今なお書店に並んでいる

1990(平成2)年幸恵が住んでいた現旭川市立北門中学校敷地内にアイヌ民族関係者・旭川市民有志が 6月8日の誕生日に「知里幸恵文学碑」を建立 除幕式が行われた
この時の有志の会は「銀の滴降る日実行委員会」 

この日はポツリと雨が降ったようだ

以来毎年この日に旭川市立北門中学校にて「銀の滴降る日 知里幸恵生誕祭」が行われている
主催は 旭川アイヌ協議会 旭川チカップニアイヌ民族文化保存会 ピリカウレシカの会

いつもブログにコメントをくれている お多福の友人jyarinnkoさんが以前この学校に勤務 丁度記念碑建立時に在籍しており また現在の校長とも懇意とのことで この度彼女のツテで文学碑と校舎内の資料室を拝見することが出来た

まずは校舎敷地内の文学碑

彫刻家空充秋氏による御影石の文学碑
高さは2.5mと2m

知里幸恵文学碑1

知里幸恵文学碑2

碑の頭には 
アイヌの村の守り神「シマフクロウ」

知里幸恵文学碑3

北門中学校と校内の資料室

知里幸恵資料室

知里幸恵遺稿とノートを複写したものでユーカラやアイヌ語のローマ字表記したものが記されている

知里幸恵遺稿1

直筆の複写

知里幸恵直筆文

自らアイヌ民族の出身で35年にわたり旭川市の小学校教員だった荒井和子先生が「アイヌ神謡集」の情景を布絵に表した作品が数多く展示

荒井先生の両親が知里幸恵と共に小学校時代を過ごされている

布絵1

布絵2

また 三浦綾子が「知里幸恵さんの優しさ」と題し 「和文の表現の豊かさ 楽しさ 格調の高さは当時の詩人たちも私も19歳の訳文とは思えぬと感嘆した しかしそれ以上に幸恵氏の生来の優しさには舌を巻いた」と当時のエピソードを添えたものが三浦光世氏の書で展示されていた

三浦綾子書文1

明治政府が北海道開拓を始め 「同化政策」により日本人化させられたアイヌ民族 そのアイヌ民族の誇りを取り戻す運動の先駆者となった知里幸恵 まだ命あったならと思うのはボクだけではないはず

そしてアイヌ民族への政策と待遇改善を政府に求めた探検家松浦武四郎
その願いは届かず 無念に北海道から郷里(三重県)に帰った松浦武四郎

アイヌ民族にとっては強い味方だったが・・・

幸恵の弟(真志保)は東大に進み金田一京助に師事 北海道大学教授 アイヌ語学者となった
叔母(マツ)は「アイヌ叙事詩ユーカラ集」20巻を刊行1956(昭和31)年アイヌ文化伝承の無形文化財保持者となり 紫綬褒章受章
母(ナミ)も1962(昭和37)年に紫綬褒章を受章している

また知里幸恵の生誕の地 登別にも記念館があるので 訪れてみようと思っている

2020年には白老ポロト湖畔に 民族共生象徴空間として
国立アイヌ民族博物館 国立民族共生公園が誕生する
現在工事が行われているが 

アイヌ民族の伝統・文化を大切に後世に保存・継承してもらいたいものだ


*資料室内の写真撮影及びブログ掲載ついては 学校(校舎)管理者から許可を得ています


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Comment

知里幸恵さんの伝記及び「アイヌ神謡集」の紹介記事、さらには、我らが友人jyarinkoさんの以前の勤務校旭川市立北門中学校にある資料室の紹介等々、今まで知らなかった事ばかりを教えてくださって、酷暑ボケと云うか暑さで脳味噌が溶け出しているふやけた頭には喝!が入ったようです。

先日の四季彩の丘やら、砂澤ビッキのアトリエやら魅力満載の地へ、こんな炎熱地獄を脱出して一飛びに行きたいよ!

系統的な探究心と着眼点にいつも感心させらます。そして見たものを記録することの大切さを痛感。幸恵さんも文字で残したからこそ「神謡集」が生まれたのでしたね。見習いたいです。

Re: タイトルなし

毎日「命に関わる危険な暑さ」などとニュースになっているようで、ボクは40℃前後の気温には対応出来ない。
灼熱地獄には閻魔大王が住んでいるから大変だ!北海道には登別温泉地獄谷にしか住んでいない。
あらためて、暑中お見舞い申し上げます。
こちらは6月からず~と雨模様でぱっとせず、梅雨ではないかと思われるような天候。涼しすぎるほどの気温で、今日はようやく25℃になりそう。
脳味噌が溶けたら大変なので、二飛びでもよろしいので涼みに来てください。

Re: タイトルなし

その節は大変お世話になりました。
またお褒めの言葉をいただき大変恐縮しています。
お多福に「はじめて国語の教師に評価5をもらえそうだね」と言われ、すっかりその気になっています。

蛇足「きょうしゅく(恐縮)」を間違えて「きょうしく」と打ってたら「教師句」に変換されました。
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プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。

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