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知里幸恵「銀のしずく記念館」

知里幸恵はカムイユカラを「文字」にして後世に残そうという金田一京助からの要請を受け 金田一京助宅に身を寄せ ローマ字を用いた独自の表記法で「アイヌ神謡集」を完成させ 18歳3ヶ月で生涯を終えたアイヌの女性

7月24日付当ブログ「アイヌ神謡集と知里幸恵」では 知里幸恵の生涯と旭川市北門中学校敷地内にある「知里幸恵文学碑」(1990年建立)と同校舎内の「知里幸恵資料室」を紹介

今回は知里幸恵「銀のしずく記念館」

知里幸恵の業績や人となりを 今を生きる人たちに広く知ってもらい そして次世代に伝えるために2002(平成14)年幸恵の著作「アイヌ神謡集」に共感された人々の協力を得て募金活動を開始し 2007(平成19)年には運営母体の「NPO法人知里森舎」が発足 2010(平成22)年に知里幸恵の偉業を紹介するとともに アイヌ文化継承の拠点ともなる「知里幸恵銀のしずく記念館」が開館した

銀のしずく記念館1

場所は 知里幸恵の生誕の地 登別市登別本町2丁目34-7

銀のしずく記念館2

記念館の1階展示室には知里幸恵の遺品 手紙 日記 証書類 ノート(復刻版)及び関連図書 パネル 写真等が展示

2階には叔母の金成マツや弟真志保など知里幸恵を取り巻く人々を取り上げた資料が展示されている

銀のしずく記念館9-1

幸恵は1903(明治36)年この記念館の場所で生まれ 7歳の時旭川で教会の伝道師である伯母の金成マツのもとで暮らす

上川第三尋常小学校に入学 その年アイヌ児童ばかりを対象に開校された上川第五尋常小学校に移籍 俗に「アイヌ学校」と呼ばれ明治政府の同化政策のもとでの教育で アイヌ民族の言葉も文化も排除され 民族の誇りを持つことが許されない時代だった

銀のしずく記念館3-1
(金成マツと幸恵 小学校時代の賞状と習字作品)

そのような中にあって幸恵は懸命に勉強し高等学校を目指し 旭川区立女子職業学校に進学

しかしこの学校での生活も とても孤独で アイヌがたった一人という孤立感は耐え難いものがあったようだ

15歳の夏 アイヌ語学者金田一京助は旭川近文にある日本聖公会の教会を訪れ金成マツ(伯母)とモナシノウク(祖母)にアイヌ語の教えをこい
あくる朝 金田一の帰りがけに幸恵が「先生!私たちのユーカラのために先生が貴重なお金や時間を費やしてご苦労なさいますが ユーカラは そんな値打ちがあるものなのでしょうか?」と質問

金田一は「自分の全財産をなげうっても良い」といい 世界の五大叙事詩を持ち出してまでユーカラの価値を説明し それを聞いた幸恵は「わたしはわたしの一生をユーカラの研究に捧げます」と答えたたそうだ

この15歳の決意はそれから2年もたたないうちに実行に移されることになった

1988(大正7)年の夏の金田一の訪問以来 旭川の近文教会の3人の女性と金田一の親交は深まり 伯母や祖母との「仲介役」を幸恵がつとめるようになり 金田一が分からないことがあった時には 幸恵宛のハガキで祖母たちに聞いてよこしていた

銀のしずく記念館10-1


幸恵によるカムイユカラなどのアイヌ語筆記は女学校を卒業した17歳の秋頃から始まり 女学校ではローマ字学習がなかったので幸恵は金成マツに教えを受けながら ほとんど独学でローマ字を覚えたようだ

1922(大正11)年5月に幸恵は上京 
幸恵のアイヌ語ノートを金田一が民俗学者柳田國男や渋沢敬三らに見せたことから出版の話が持ち上がり 幸恵は本を出したいとの一心での上京だった

金田一宅での暮らしでは 金田一のアイヌ語の助手や子守りの手伝いしながら出版を待つ毎日


1923(大正12)年8月 幸恵が心血を注ぎこんだ「アイヌ神謡集」が金田一京助ら3人の後押しで日の目を見ることになった
 
「アイヌ神謡集」の原稿の校正を始め その作業がすっかり済ませた夜に 心臓麻痺にて死去 18歳と3カ月の短い命を閉じた

アイヌ神謡集

残念ながら 刊行は幸恵が心臓病のため金田一宅で生涯を閉じた1年後のことだった

「アイヌ神謡集」に収録されたカムイユカラ13編を含む幸恵の筆記したノートは4冊現存しており 北海道道立図書館が収蔵している

銀のしずく記念館5

「アイヌ神謡集」は現在も岩波文庫で発行されており 1978(昭和53)年の第1刷から数え今年で第59刷が発行されている

また
この記念館の裏に幸恵の生家があり 今は建て替えらえれているが NPO法人知里森舎の表札が付けられていた

「銀のしずく記念館」館長の横山むつみ(旧姓知里むつみ)さんが住んでいたようだ
この横山むつみさんは 幸恵の弟高央氏の娘にあたり 姪ということになる

銀のしずく記念館7-1
(右の木は藤の木などで 100年ほど経っているとか)

横山むつみさんの夫は漫画家の横山孝雄氏でこのような本が記念館に置かれていた

銀のしずく記念館8
( 原著 知里高央 編・絵 横山孝雄の [アイヌ語 絵引き字引き」)

知里幸恵と金成マツは登別の墓地で眠っている
幸恵の墓は東京都 の金田一家の墓所に埋葬されいたが 1975(昭和50)年に祖先が眠る故郷に改葬されている

銀のしずく記念館6

「知里幸恵 銀のしずく記念館」の紹介でしたが 

つくづく 才能のあるアイヌの女性 知里幸恵さんにはもっともっと生きて活躍してもらいたかった
という思いでいっぱいです



※ 写真撮影については記念館の許可を受けています



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Comment

No title

先回に続く知里幸恵さんの生家跡の「銀のしずく祈念館」への取材は登別までいらしたのですね。おっしゃるようにもっと長生きしてもらいたかったですね
もっともっと良い仕事をたくさんなさったことと思います。この取材の後、登別温泉に浸かって”いい湯だな♪~”ってやってきましたか?

Re: No title

この日は暴風雨で荒れ模様。
登別温泉には行かなかったのですが、苫小牧の義兄宅の湯煮度風呂(ユニットバスと読む)に浸かり〝いい湯だな♪~”とやってきました。
この字からも連想される様にチョット熱過ぎたかもしれません。ここには地獄谷は無く、天国三谷がありました(知る人ぞ知る)。
金田一京助への知里幸恵の毛筆による手紙の内容と達筆さにも驚きでした。若過ぎる人生でした。
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プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。

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