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「現存天守12城めぐり」~松山城~

「現存天守12城めぐり」 第2弾 松山城

十数年前に愛媛県松山市を訪問した際に 道後温泉方面へゆっくり電車で見学 その後松山城を見学するためロープウエイに乗ろうとしたら
「上に上がってももう城は見れませんよ」と言われた

すでに午後5時近くになっており4時半で見学受付終了だとは知らなかった

今回は その時のリベンジ 
6月10日 松山城に入城することが出来た

松山城1(1)

松山城は関ヶ原の戦いの功績で伊予を与えられた加藤嘉明が 
慶長7年(1602)に築城を開始 
標高132mの勝山山頂に本丸を置き
麓に 二ノ丸 三ノ丸を設けた平山城

建物の多くは数度の火災で焼失 
安政元年(1854)天守が再建され 
これが現存のもので三重三階地下一階の建造物

松山城2(1)

松山城は勝山に築城したことから「勝山城」
または「金亀城」と呼ばれている 

「金亀城」の由来は 築城の際 
山麓の内堀の所が深い淵になっていて
そこに「金色の亀」が棲んでいたといわれたため 
その伝承にちなんだそうである

下の写真は
上左から 筒井門 一ノ門  下左から ニノ門 三ノ門

松山城3(1)

城の見どころは石垣 松山城の石垣も美しい

天守群は 天守 小天守 南隅櫓 北隅櫓の4つが天守四隅に配置され
多門櫓と廊下などで結ばれた連立天守 
天守の構えは最も厳重なものと言われている

松山城4(1)
(天守入り口と北隅櫓)

松山城5(1)
(十間廊下と多門櫓)

廊下と櫓には 数多くの各種狭間(さま)と石落しが設置されている

この十間廊下は資料館としての機能が備えられていた

松山城6(1)
(加藤嘉明の着用していた甲冑 刀剣類 藩札)

松山城7(1)
(後の城主松平定則の書 長持ち 伊予四季図屏風)

城は加藤氏の時代には完成せず
蒲生(がもう)氏を経て 松平氏の時代に完成
松平氏が明治まで続いている

これは松山城二の重南の下見板張りの裏に描かれていたもので
天守再建当時の大工が描いたと思われ モデルは作事奉行ではないかとされている

松山城8(1)

小天守の様子
ここにも 狭間 石落しが多く設置されている

松山城10(1)

天守の様子

松山城9(1)

天守から見下ろした風景

松山城11(1)

以前に使われていた鯱と加藤嘉明像
鯱は左の口を開けたものが南棟に 口を結んだものは北棟に置かれていた
鯱は頭部が竜虎 背に棘をもつ海魚の形をした想像上の海獣

大棟の両端につけ 防火の効があると言われているそうだ

松山城12(1)

加藤嘉明は松山城の完成前に会津に移されことになった
石高はさらに倍増されての いわゆる栄転であったが
これは自身の望んではいなかったことらしい

会津若松城の大改修に携わったが 転封後4年で死去
工事は息子に引き継がれ 完成後幕府によって家中騒動を理由にお家断絶させられ
松山城と同じく 親藩の松平氏が入って堅城に守られることになったそうだ

築城に利用された加藤親子だったようだ


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プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。

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