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「現存天守12城めぐり」~丸亀城~

「現存天守12城めぐり」 第4弾 丸亀城

6月11日松山市から宇和島城を巡り 松山に戻る高速道路で香川県丸亀市へ
宇和島から約3時間のドライブで 丸亀城に到着

丸亀城は別名亀山城 
標高66mの亀山に生駒親正(いこまちかまさ)が慶長7年(1597)から5年の歳月をかけて築城した平山城

丸亀城14(1)

築城後元和の一国一城令でいったん廃城となり
その後入封した山崎家治(六角・織田・豊臣・徳川氏と仕える主君を変え生き延びた大名)が卓越した石垣技術で丸亀城を堅固な石垣に守られた城に築き直した 
しかし後継ぎが無く改易

その後に入った京極氏がこの城を完成 現在の天守はこの京極氏がつくったもの

東西約540m 南北約460mの内堀内に史跡がある

内堀の北側に位置する大手一ノ門  堀端の高麗門のニノ門
そして堀の様子

丸亀城1-1

玄関先御門 
この門は京極氏の屋敷の表門にあたる 
この門に接して番所 長屋がある

丸亀城2-1

三ノ丸へ向かう見返り坂 
結構長い坂なので休み休み登って行く

丸亀城3-1

現存していないが 三の丸の3ヶ所に隅櫓(すみやぐら)があったとのこと
月見櫓跡からは讃岐富士を望む

丸亀城4-1

三ノ丸北側の石垣は 丸亀城では最も高く20m以上の城壁が続き
隅角部の石垣は算木積みされた美しい曲線美で「扇の勾配」と呼ばれている

丸亀城6-1

丸亀城の石垣の種類がパンプレットに載っていた
分かりやすい解説だ

丸亀城7-1

三ノ丸から二ノ丸へ
現在は無いが 二ノ丸にも石垣上に隅櫓や渡櫓(わたりやぐら)があった

丸亀城5-1

大手から入ると 三ノ丸から二ノ丸 そして本丸へと時計まわりに螺旋状に回らなければならないようにできており
動線を長くし 敵を側面から何度も攻撃できるような工夫が施されている

天守は高さ15mと日本一小さい 
しかし 三重の小規模な天守ながら 石垣の上に築かれた天守は美しく風格がある
内部は狭いので一度に入城できる人数は限られ 順番待ちをしていた

丸亀城9-1

北側(城外側)は唐破風や出窓 格子窓に飾られているが
西面(城内側)は飾りは殆ど無く 殺風景でもある

丸亀城10-1

内部は他の城と同じ 各種の狭間があるが
ここには大砲狭間もあった

丸亀城12-1 jpg

内部の様子

丸亀城13-1

丸亀公園前からの丸亀城

丸亀城15-1




「現存天守12城めぐり」~宇和島城~

「現存天守12城めぐり」 第3弾 宇和島城

6月11日
松山市から同じ愛媛県の宇和島市まで高速道路で1時間半

江戸時代から四国西南地域の中心として発展した宇和島市は 伊達十万石の城下町と呼ばれた
宇和島城はリアス式海岸の宇和海の最深部に位置し
標高74mの山頂に本丸をおく平山城

駐車場に車を置き 山頂目指して登って行く
お多福の足取りはボクよりずっと軽やか

宇和島城1(1)

途中ボランティアの方が上までの道の様子を教えてくれた
天守が見えてきた 

宇和島城2(1)

宇和島城は慶長元年(1596)から6年を費やして築城の第一人者藤堂高虎が築いた
堀は全て埋め立てられ 三ノ丸など総郭部分はほとんど焼失などで失い
残っているのがわずか本丸の天守と武器庫(現在は資料館)

宇和島城3(1)
(天守は小さいが 立ち姿が素晴らしい)

天守は三層三階 もともとは下見張子小柄で旧式の望楼型天守だったが 
特徴的なのは石垣や土塁を用いず 隆起した岩盤の上に建設

寛文6年(1666)に建てられた現存の二代目天守は宇和島伊達家2代宗利が再建 
層塔型で千鳥破風や唐破風などに飾られた装飾性の高いものになった

宇和島城4(1)
上の尖った形のが千鳥破風 下左右の丸みがかったのが唐破風

二階と三階の様子

宇和島城5(1)

階段はどこの城も急で歩幅が広く危ないので
観光客用が 手すりが付けてれれている

宇和島城6(1)

下の写真上は宇和島城を描いた鳥観図
襖絵であったものを昭和になって屏風絵に仕立てられたものをデジタルカメラで原寸大で複製したものとのこと

宇和島城8(1)

上写真の下は伊達政宗と伊達秀宗(正宗の長男)
築城した藤堂高虎はすぐ今治築城のため宇和島を離れ 
大坂の陣後 石垣や天守 櫓は慶長20年(1615)に入部した伊達政宗の長男秀宗が修築
秀宗は正宗の後継となれずこの地で十万石を与えらえれ この城は伊達家が明治まで伝えた

宇和島城からの宇和島市の街並み
宇和海を見渡すことができる

宇和島城7(1)


ローズミンタラさんの庭を拝見

1週間前の日曜日 
砂川市の「ローズミンタラ」さんのローズガーデンを拝見させていただきました

ローズガーデンは誰もが自由に見学出来るようになっているので
ご主人の大福さんおよび 奥様の豆福さんが留守でも OK!

お伺いしたこの日も先客がいて
大福さん 豆福さんがお相手していました

ヤ~ 綺麗なこと 庭はバラが満開
これはガーデンの入口

ローズミンタラ1(1)

大福さんは「北海道ガーデニングマイスター」の資格をお持ちなので
その道の「プロ」

ボクは花の名前はさっぱり分かりませんが
とにかく種類も多く 色々な色のバラが咲き乱れています

ローズミンタラ3(1)

今年は咲くのが早いそうです 雪解けも早く 気候のせいなのでしょうか
ちょうど見頃になったとか 良い時期に来てくれたと大歓迎
 
ローズミンタラ4(1)

ウチの庭とは比較の対象になりませんが
手入れも行き届き 見事なものです 

これまでもNHKでも放映されたり 
ガーデニングの専門誌・情報誌に何度も紹介されているとおり
かなり知れ渡っている私設バラ園です

額縁風のものにも花が飾られていました
これは豆福さんの作品なのかも

ローズミンタラ2(1)

バラの苗木を一本いただいてきました
「ハニーブーケ」という名で
写真下右のような花を咲かせるのとのことでした

ローズミンタラ5(1)

これからも何度か見頃を迎える時期があるようです
砂川市を通るときは 是非寄ってみてはどうでしょうか

「ローズミンタラ」と言えば 地元の人は誰でも知っているので
場所のわからない方は 聞いてみてください

ボクのブログにもリンクしていますので 興味のある方はクリックしてみてください
綺麗なバラの写真が沢山アップされています


「現存天守12城めぐり」~松山城~

「現存天守12城めぐり」 第2弾 松山城

十数年前に愛媛県松山市を訪問した際に 道後温泉方面へゆっくり電車で見学 その後松山城を見学するためロープウエイに乗ろうとしたら
「上に上がってももう城は見れませんよ」と言われた

すでに午後5時近くになっており4時半で見学受付終了だとは知らなかった

今回は その時のリベンジ 
6月10日 松山城に入城することが出来た

松山城1(1)

松山城は関ヶ原の戦いの功績で伊予を与えられた加藤嘉明が 
慶長7年(1602)に築城を開始 
標高132mの勝山山頂に本丸を置き
麓に 二ノ丸 三ノ丸を設けた平山城

建物の多くは数度の火災で焼失 
安政元年(1854)天守が再建され 
これが現存のもので三重三階地下一階の建造物

松山城2(1)

松山城は勝山に築城したことから「勝山城」
または「金亀城」と呼ばれている 

「金亀城」の由来は 築城の際 
山麓の内堀の所が深い淵になっていて
そこに「金色の亀」が棲んでいたといわれたため 
その伝承にちなんだそうである

下の写真は
上左から 筒井門 一ノ門  下左から ニノ門 三ノ門

松山城3(1)

城の見どころは石垣 松山城の石垣も美しい

天守群は 天守 小天守 南隅櫓 北隅櫓の4つが天守四隅に配置され
多門櫓と廊下などで結ばれた連立天守 
天守の構えは最も厳重なものと言われている

松山城4(1)
(天守入り口と北隅櫓)

松山城5(1)
(十間廊下と多門櫓)

廊下と櫓には 数多くの各種狭間(さま)と石落しが設置されている

この十間廊下は資料館としての機能が備えられていた

松山城6(1)
(加藤嘉明の着用していた甲冑 刀剣類 藩札)

松山城7(1)
(後の城主松平定則の書 長持ち 伊予四季図屏風)

城は加藤氏の時代には完成せず
蒲生(がもう)氏を経て 松平氏の時代に完成
松平氏が明治まで続いている

これは松山城二の重南の下見板張りの裏に描かれていたもので
天守再建当時の大工が描いたと思われ モデルは作事奉行ではないかとされている

松山城8(1)

小天守の様子
ここにも 狭間 石落しが多く設置されている

松山城10(1)

天守の様子

松山城9(1)

天守から見下ろした風景

松山城11(1)

以前に使われていた鯱と加藤嘉明像
鯱は左の口を開けたものが南棟に 口を結んだものは北棟に置かれていた
鯱は頭部が竜虎 背に棘をもつ海魚の形をした想像上の海獣

大棟の両端につけ 防火の効があると言われているそうだ

松山城12(1)

加藤嘉明は松山城の完成前に会津に移されことになった
石高はさらに倍増されての いわゆる栄転であったが
これは自身の望んではいなかったことらしい

会津若松城の大改修に携わったが 転封後4年で死去
工事は息子に引き継がれ 完成後幕府によって家中騒動を理由にお家断絶させられ
松山城と同じく 親藩の松平氏が入って堅城に守られることになったそうだ

築城に利用された加藤親子だったようだ


「現存天守12城めぐり」~松江城~

「現存天守12城めぐり」第Ⅰ弾
6月9日に訪れた「松江城」

松江城は山陰に現存する唯一の天守

松江城2(1)

慶長15年(1610) 宍道湖を見下ろす亀田山(標高28m)に築城

天守は外観五重内部六階 黒塗りの下見板張で覆われ
極めて実践的に造られた城である

松江城1(1)

平成13年(2001)に二の丸の南櫓・中櫓・太鼓櫓が復元
松江城は別名 「千鳥城」と呼ばれる

天守台の石垣内部は石蔵になっており 中央には井戸ががあった
この石倉は 非常時に備えて生活物資を備蓄する所でもある

松江城4(1)

階段はスライド式になっており 非常時には敵が上がってこられないような構造になっている

また他の城と同じように 
板張り部分のいたるところに狭間(さま)や石落(いしおとし)が設けられている

松江城3(1)

石垣を登っている最中に 大きな石を落とされたら
どんな石頭でも たまったものではない

次の写真は 後藤又兵衛(ごとうまたべえ)所用と伝わる甲冑と槍
後藤又兵衛は黒田長政の後に豊臣秀頼に仕えた武将 
大阪の陣で奮闘し戦死

甲冑と槍は松江藩士の土岐円太夫家に伝来したとのこと

松江城7(1)

旧鯱(しゃちほこ)と鬼瓦
下は松江城に天守の屋根に葺かれていた鬼面の鬼瓦
鬼面でないものも鬼瓦と呼ぶが 松江城天守には現在も鬼面の鬼瓦が載る

松江城5(1)

他域では家紋や吉祥文様の鬼瓦が多く 
鬼面を用いる松江城の例は珍しいようである

徳川幕府から 松江城の築城を命ぜられたのは築城の名人堀尾吉晴

堅固な石垣による築城は難工事で 人夫に賃金の値上げを要求され 藩主夫人自ら奥女中とともに餅を作って工事現場で売ったというエピソードが残っている

堀尾氏は二代で用済みとなり その後城主は京極
そして家康の孫にあたる松平直政が入り 明治まで継承された

松江城前に建立されている堀尾吉晴像と 
この日城内をイベントで隊列を組み行進していた侍たち

もうちょっと早く着いていたら ボクも甲冑を身に着け参加できたかも

松江城8(1)

天守からは 松江市と宍道湖を見降ろすことができた

松江城6(1)



「ふぐの子」の加工品があった

今回の「現存天守12城めぐりの旅」の途中
能登輪島朝市で「ふぐの子」の加工品を見つけ

買ってきたのが
「ふぐの子糠漬け」と「ふぐの子クリームチーズ」

ふぐの子加工品1(1)

お多福の生家は元大謀網(大規模定置網)を経営
父親は鳥取から北海道へ渡ってきた三代目 
祖父から始めた漁業で生計を立て
ニシン漁の衰退後 厳しい時代を過ごしたが

さばが獲れ出し ふぐが獲れ 続いてまぐろも獲れ
定置網の名称は 元々は「さば定置網」であったが

「さば・ふぐ定置網」そして「さば・ふぐ・まぐろ定置網」とその名も変わり 色々な魚が獲れた時代があった

お多福はこのふぐと まぐろのお陰で大学を卒業できたようだ
結婚した当時もまだ結構ふぐが漁獲されていて 
ボクも実家を訪問したときは 水揚げの様子を見に行ったものだ

ふぐは大型のものは剝き身にして出荷
小さなものは焼乾し後 粉々にほぐして出汁用として蕎麦屋など料理屋などに卸していた

お多福の母親はこのふぐの加工の責任者
いわゆる加工場の工場長をしていた

ふぐはご存知のとおり内臓・皮膚・血液・筋肉の一部などに毒があり
料理を間違えると食中毒による死亡原因となる

国内の食中毒の原因はふぐと きのこが多い

1522139(1).jpg

だから
ふぐの料理屋には必ず「ふぐの調理師免許」を持つ調理人を置かなければならない
特にフグの卵巣には猛毒がある

今回輪島朝市で購入してきたものはまさにこの卵巣だ

実家のふぐ加工場では当時
この卵巣を塩漬けにした半製品をこの石川県に出荷していた

出荷後はどのように加工され 販売されているのか
父親が石川県に視察に行ったこともあるようだが詳しいことは聞かされていなかったとのこと

その加工品がこの輪島朝市にあった
卵巣は2~3年間塩漬けで寝かせておくと毒が消える

何故塩漬けで毒が無くなるのか 科学的には証明されていないようだが
石川県ではこの方法で解決し 加工品として販売されている

手間暇かけているので値も高いが 
本州では人気なのか 楽天市場でネット販売もされている

高価な珍味として人気があるそうだ

一方北海道ではほとんど見かけない

今回手に入れたこの加工品はまだ食べていないが

「糠漬け」は スライスして食べ
「クリームチーズ」はクラッカーなどに塗りつけて食べると美味しいとのこと

お多福の実家の「ふぐの子を塩漬けにした半製品」はこのような製品になって販売されていたことが解った

また一つ 
北海道と石川県が繋がっている物を発見した旅であった


「現存天守12城めぐり」帰りのフェリー

7日から 13泊14日(フェリー2泊)の城めぐりの旅が終わった

復路は海流の関係で 1時間以上早いが 21時間の船旅
20日往路と同じように船内では色々なゲーム・クイズなどが開催されていた

今回は お多福が色々な景品を獲得
まず「ビンゴゲーム」では

ポストカード1-1

フェリー会社が所有するフェリーのポストカードをゲット
このフェリーの船名は往路と同じ「はまなす」

カフェ・ホールでは また「ユニット妖」によるオカリナと琴の演奏があり

IMG_20190620_152224(1).jpg

演奏者から出されたクイズでは オリジナルCDが当たった

CD景品1(1)
(左がオリジナルCD 右がボクが当たった懐かしき名曲集)

さらに 船内クイズラリー5問完全正解

正解者のうち抽選で お多福が当選者3名に入り 
船内売店で販売されている「バターあめ」をゲット

参加者数は少ないが 確率は18分の3 

船内クイズラリー1(1)
(当選者発表と フェリーの箱に入った「バターあめ」)

3種類のゲーム・クイズなどで完全制覇 

この旅は 「行きは良い良い 帰りも良い良い」で終了

小樽港到着20時45分
自宅に着いたのが 23時30分 
自宅には泥棒も入った形跡もなく どうやら 鉢類も無事だったようだ

下の写真は舞鶴港での乗船前に隣にとまっていたバイク
バイクの前には 何故か「ダルマさん」が付いていた

バイク2(1)

小樽港から何処まで行くのか 
目的地に着いたら この「ダルマさん」に目を入れるのか
まだ両目とも「白目」だった

京都・大阪・鹿児島・三重・名古屋ナンバーで北海道を回る高齢者夫婦の車も見うけられ
大型バイクで北海道を走る高齢者の姿も見受けられたが

元気な高齢者が何と多いことか

まだまだ 健康でいたいものだ


 
プロフィール

KEARASHI

Author:KEARASHI
2013年10月リタイアをきっかけに、木彫・木工クラフト工房を開設しました。
木に新しい命を吹き込むという思いを込め、「萌樹工房」(もえぎこうぼう)と名付けています。
ブログでは、工房の様子や他の趣味等を載せていきます。

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